99.グランシアルボを狩る①(5月28日)
火を吐く巨大なシカだというグランシアルボの足跡を見つけた俺達は、その魔物を狩ることに決めた。
ビビアナの実戦経験を積むという目的は勿論だが、何よりグランシアルボの市場価格に釣られた所が大きい。
何せ金貨10枚である。
俺の養成所教官の固定給が金貨10枚だ。
教官の待遇は決して悪い方ではないらしいから、元の世界の価値に直せば20万円〜30万円といったところだろうか。
6人で割れば3万円〜5万円の間ぐらいか。1日の稼ぎとしては悪くはない。
しかしである。
狙うは俺にとっては未知の魔物だ。大きさは?素早さは?攻撃パターンは?弱点は?確認しておくことは山ほどある。
「まず初めに、そのグランシアルボはどこにいる?足跡から推定できるものなのか?」
「えっと……蹄の輪郭がはっきりしているので、グランシアルボが通ってからまだそんなに時間は経っていないと思います。それと蹄の大きさの割に抉れ方が深くありませんから、駆けたり急いだりはしていないと思われます」
ビビアナが地面に這いつくばるようにして足跡を観察しながら説明してくれる。
スキャンの効果範囲内にいない事は確認済みだ。
レーダーを使えば簡単に発見できるのかもしれないが、これはあくまでもビビアナの実戦訓練だ。俺達が狩りをしては意味がない。
「そうね。焦げ跡も冷め切ってはいないわ。30分ってとこかしら」
イザベルが木の幹を指でなぞりながら言う。
イザベルの見立てが正しければ、グランシアルボはおよそ30分の距離にいる。
30分か。人が目的を持って、例えばウォーキングなどで30分も市街地を歩けば、2㎞は進めるだろう。
グランシアルボがサラブレッドほどの大きさだと仮定すれば、30分でおよそ4㎞程度か。
だがここは森の中で、且つ奴は何かを探すようにふらふらと移動しているのが素人目にもわかる。
「お兄ちゃんのスキャン?には反応ないんだよね?」
イザベルが今度は北の方を透かし見る様に細目で見ながら訊いてくる。
「ああ。だから半径300メートル以内には大型の魔物は存在しないと思っていい」
「了解。だったら北の方角に500メートルから1㎞までの間にいると思うけど、ビビアナの考えは?」
「私も北のほうに向かっていると思います。シカの習性を強く残しているなら、移動距離はもっと短いかもしれません」
イザベルとビビアナの意見が一致したのなら、おそらくグランシアルボは北にいるのだろう。
奴について知りたい情報はたくさんあるが、とりあえず発見してからでも遅くはないか。
「わかった。じゃあ北の方角に探索範囲を絞ろう。ビビアナは索敵魔法は得意か?」
「もちろんです。探索範囲を絞れば、森の中でも200メートルは索敵可能です」
「よし。隊列を変更する。先頭2人はイザベルとビビアナで前方を警戒。後続にアイダとノエさんで左右を、殿は俺とアリシアで後方を警戒する。ノエさんもそれでいいですね?」
「ああ。それぞれの距離は少し離れたほうがいいね。そのほうが索敵もしやすいし、万が一突進を許しても躱せるだろうから」
「わかりました。皆もいいか?」
「了解。先頭は任せて」
「はい。不安ですが頑張ります」
イザベルとビビアナは準備万端のようだ。
アイダは背負っていたミリタリーリュックからM870を取り出し、5号装弾を装填してから背負いなおした。先日のゴブリンとの遭遇戦以来、アイダはM870がいたく気に入ったらしい。
「私もいざとなったら参戦します。でも今日はビビアナさんが主役ですよ。みんなそれを忘れないようにね」
アリシアが纏めてくれた。
では出発しよう。
◇◇◇
午前中の遅い時間から始めたグランシアルボの追跡は、木漏れ日の角度が垂直になりそして傾きが大きくなるまで昼食も摂らずに続いた。
追跡の途中で血溜まりを見つけた時は冷や汗をかいたが、散乱した痕跡をみるに犠牲となったのはイノシシのようだ。
街道から離れているとはいえ、隊商や狩人でなくてよかった。
先頭のポイントマンを任せたイザベルとビビアナは、お互いハンドサインを駆使して意思疎通を図りグランシアルボの痕跡を見つけ合いながら追跡していった。
一昨日にはあわや一触即発の状況に陥ったとは思えない息の合い方だ。
2人が導く追跡ルートは森の中の起伏に沿って何度も折れ曲がり複雑な道程となったが、直線距離としては大して移動していない。
やはりそう遠くない場所に奴はいるようだ。
突然イザベルとビビアナが崖下で動きを止めた。崖といっても高さは5メートルほどの急斜面と言う方が正しいだろう。
2人は顔を見合わせ、一斉に崖をよじ登り始めた。
先にノエさんとアイダが、次いでアリシアと俺が追い付く。
「この崖の上にいるみたいですね。カズヤ殿、何か見つけてますか?」
アイダが聞いてくる。
そういえば意識は後方にばかり集中していた。あらためて前方にスキャンをかけると、大型の魔物の反応がある。この形は……
「反応があるな。なあ、そのグランシアルボって、こう……手の平みたいな形の角があるか?」
「そうです。普通のシカの角と違って、縁がギザギザの木の葉のような大きな角が生えています。やっぱり奴がいますか?」
「ああ。崖上だいたい50メートル付近だな。イザベルとビビアナの位置からなら見えるか」
崖をよじ登った2人がそっと頭を上げて向こう側を見る。
と、ビビアナが引き攣った顔を崖下に向けた。その顔は今にも泣きだしそうに見える。
イザベルがハンドサインで“この先にターゲットがいる”ことを知らせてきた。
一旦2人を崖下まで呼び戻し、作戦会議を開く。
「状況は?」
「崖の上がだいたい100メートル四方の台地になっていて、その中央部で寝ているようです。途中に背の低い藪はありますが、障害物や遮蔽物のようなものはありません」
実際にグランシアルボの姿を間近に見たビビアナが、震える声で報告してくれた。
「奴の頭は東に向いている。この崖の面がちょうど奴の右側面ってことね。それと……」
イザベルがグランシアルボの体の向きを説明してから、ビビアナに話しかけた。
「まあここまで奴を追いかけてこれたんだし、初めてにしては上等じゃない?ここで休んでる?あとは私達がやるわ」
イザベルが小声で言った言葉は、そのまま受け取ればビビアナを全く充てにしていないように思える。
だがその声は僅かに震え、イザベルが異様に緊張していることがわかる。これは……そうだ。マンティコレを双眼鏡越しに見た時と同じ雰囲気だ。
「いいえ。私が役者不足なのは十分承知しています。ですが、せめて一撃を与えたいと思います!」
「そう。まあ奴の姿を見てもそう言えるんなら、覚悟は本物でしょうね。わかった。初撃はあんたに任せる」
「背後から忍び寄って……ってビビアナさんどうやって攻撃するつもり?グランシアルボには火系統の魔法は効かないんですよね」
「ええ。だから氷の槍を打ち込みます。これでも養成所の競技大会では毎年優勝してますから」
「そういえば。前回の競技大会は私も剣士の部で出場しました」
競技大会?まあ学校というからには文化祭や体育祭があってもおかしくはない。それが魔法や剣で闘うものになるのも当然だろう。
「話が横道に逸れそうだが、じゃあビビアナが後方に回り込んで一撃を喰らわせる。直後にイザベルと俺が遠距離から攻撃する。ノエさんもいいですか?」
「了解だよ。ビビアナの護衛はボクとアイダちゃんでいいかな?」
「ええ。俺とイザベルは正面に回り込みます」
「カズヤさん!私は!?」
「おう……もちろんアリシアも俺達と一緒だ。これで3人づつだ。攻撃開始はノエさんの判断に任せますよ」
「ああ。任されよう。じゃあ行こうか」
ノエさんがビビアナとアイダを促し、台地を西に移動していく。
残った俺とイザベル、アリシアはゆっくりと崖を登りはじめた。