育つ校舎
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、学生時代が楽しかった人間かしら? 私は……まあまあ、かな。
もしタイムスリップができたら、人生のどの時期に戻りたいか、アンケートみたいに尋ねられたこと、なかった?
私は大学時代だったら戻りたいかなあ。高校や中学校もそこそこだけど、小学校だけはご勘弁願いたいわ。ちょっと怖い思いをしたことがあるからね。
――え? その時の話を聞いてみたい?
まあ、君の物好きは今に始まったことではないけど、受けるかどうかは微妙よ? それでもいいっていうのなら。
小学校に上がってしばらく立った頃だったかなあ。私たちの間でも、七不思議がはやり始めたのよ。その中のひとつに、「育つ校舎」というものがあったわ。
私たちが通っている、この学校。年々、少しずつ大きくなっている、というもの。
それは表立って指摘する人が現れないほど、ゆるやかなスピード。だけど、確実な歩みでもあって、誰もが気がつかないうちに校舎とその敷地はどんどん広くなり、そこを取り囲む道は狭く、向かいにあった建物との空間もなくなってしまう。そして最後には、学校に触れたはしから、どんどん消えてなくなっていっていくのだとか。
私たちの学校は、交通量の多い道路に面している。そこからの排気ガスは開校当初から問題視されていたらしいわ。その道路がなくなってほしい、という密かな願いから生まれた話なのかも。
実際には、柵の裏側に沿って「カイヅカイブキ」の木が何本も植わっているわ。排気ガスを受け止めてくれるって話でね。こまめに剪定して形を整えられる彼らに、私たちは登下校のたび、出迎えられていた。
例の怪談の話に戻るけど、ちょっと考えてみたら、おかしな話よね。誰も気がつかないのだったら、そんな不思議な話が伝わってくるはずがないのに。本当だとしたら、意図的に誰かがリークしたとしか思えないのよ。
でも、当時の私たちは起きるであろう現象のことばかりを考えて。身体を震わせていたわ。
何しろこの時期、校舎でおかしなことが、実際に起こっていたんですもの。
私が最初に耳にした話は、違うクラスの図書委員の女の子の話。彼女、放課後の仕事のために、クラスに残って支度を済ませ、図書室に向かったの。
彼女のクラスと図書室は、同じ3階の東端と西端に位置する。そのまままっすぐ歩いて行けば、到着できるはずだった。
校舎の設計上、東から西へ向かう際、廊下は途中でかくっと直角に二回曲がるのだけど、彼女がその直角に差し掛かった途端。
あたりが目をつむったように、わずかに暗くなったかと思うと、すぐに視界が戻ってきた。
ぱっと見る廊下は、先ほどと同じような形の道が並んでいて、知らないうちに長い瞬きをしちゃったのかな、と彼女は思う。けれども一目散に東端の図書室へ向かったはずが、たどり着いたのはコンピューター室だったの。
おかしい。コンピューター室は確かに同じ東端とはいえ、2階に存在している教室。3階の廊下をまっすぐ進んでいって、たどりつくはずがない。
そのはずなのだけど、手近な階段へ引き返した彼女は、自分のいるのが紛れもなく2階であることを確認することになったわ。自分は確かに、階段を下った覚えなどないというのに。
でも、実際に階段を上った先には、目的地だった図書室があり、自分がいつの間にか階下にいたという事実を、改めて認めるより他になかったらしいわ。
似たようなことは、それからもちらほらと聞いた。フロア違いの他に、グラウンドを走っていたのに、突然、目の前に壁が現れて、ぶつかったという話もあったわ。
校舎内の廊下の端。いつの間にかそこへ移っていたのね。外履きを履いたままで。無意識の間だったとしても、足を使ってここまで来たのなら、本来なら続いていなければいけない、土のついた足跡などは残っていない。
先生方は話こそ聞いてくれたけれど、これらの現象に再現性はなかった。先生方の目の前で口にしたような事態を見せなくては、証拠とならない。ただの生徒のたわごととして片付けられてしまう。
被害に遭った子たちは怖がりながらも、自分たちの体験が受け入れてもらえない現状に、悔しさを覚えていることもあったとか。
そして私自身も体験する時がやってきた。
体育の走り幅跳びの時間。私はクラスのみんなと一緒に、グラウンド隅にある鉄棒群と体育倉庫に挟まれた、砂場へ集まっていたの。先生は「必要なものがあった」と、いったん校舎に引き返していたわ。
跳ぶ順番を待っている間、周りはおしゃべりが絶えなかったけど、私はぼっち体質。ろくに口を聞くこともなく、ぼんやりとグラウンドを眺めていたわ。
この時間帯、車通りはなかなか多い。時々、大きな音を立てながら黒い排気ガスを盛大にまき散らしていくトラック。カイヅカイブキたちは、それらを健気に受け止めていたの。
そして私の跳ぶ番。一部の女子たちみたいに、「ガーリー」なぶりっ子手抜きなど、するつもりはない。全力で取り組むだけだ。
踏み切り板との間を疾駆し、私は思いきり砂場目がけて跳んだの。
その着こうとした足が、一気に埋まった。目で測っていた、着地のタイミング。それを通り抜けて砂場の砂の中へ、深々と潜り込んでいく。
反射的に、つこうとした手、お尻。そのいずれも感触はない。空中へ放り投げられたように、どこにも触ることができないまま、視界までも砂に覆われて……。
ようやく身体が止まったけれど、目の前がどうなっているかも分からない真っ暗闇の中で、私は真っ先に、お尻にむずがゆさを覚えた。バラのとげでも刺してしまったかのような、チクチクする痛みも伴っている。
その痛みは、腕にも足にも頭にも浮かんできたの。末端から中心へ、とか中心から末端へ、などというお行儀のいい伝わり方じゃない。無作為に、いつどこにくるか分からない襲い方。
身体中、いっぺんに痛みが強くなって、とうとう耐え切れずに叫び声を上げちゃった時。
「あ、いた、いた!」
目の前の暗闇が上にこじ開けられて、クラスメートのひとりの顔が視界に飛び込んできたわ。
私がいたのは体育倉庫の、折りたたまれたマットたちの中だった。私はおにぎりの具みたいにそこへ挟み込まれていたのね。
当然、あの砂場から私が移動した形跡はない。他のみんなからは、私は砂場に足を着く直前に姿を消したように見えたみたい。それでも、すでに友達から話を聞いたことがある数名が、「近くにいるかも」とすぐに行動に移ってくれたことが、功を奏したみたい。
やはり、その場にいなかった先生。みんなは熱心に話してくれたけれども、再び同じことが起こることはなく、決定的な場面を見せつけることができずに終わる。
みんなで先生を担ごうとしている。そうみなされた私たちも、その日から歯がみをする一員の仲間入りをすることになったわ。
そして卒業するまでの間、私たちの学校では同じようなことが、私たちだけの間でずっと起こり続けた。
最終的に原因はつかめずじまいだったけど、卒業間近の卒業式で校長先生が話してくれたことが、今でもやけに耳に残っているわ。
「一年が巡り、今年もまた多くの種たちが芽吹きました。皆さんもまた、大きくて、小さな種。どうか自分らしい芽吹きを、目指してください」
芽吹き。それはたいていが、土の下にうずまることによって、行われるもの。
私たち、あの奇妙な体験を通して、芽を出すことができるか試されていたんじゃないのかと、今でも思う。
それを証拠に、例の学校の敷地を取り囲むカイヅカイブキたち。私があの体験をしてから、本数が一本増えた、増えないと、しばらくの間、生徒たちが話題にしていたのよ。
先生方にも聞いてみたけれど、はっきりとした答えは返ってこなかったわ。