82 変幻自在の体
傷がある程度完治し、骨の損傷も体が動く分には治っているのを身体を軽く動かしながら確認する。
「よし、第二ラウンドだ」
大体のフェンリルの行動は把握した。相手が避けるなら俺も避けるまでだ。
しかし、フェンリルは様子を見たままで攻撃を仕掛けてこようとはしない。
このフェンリルの行動からもう察してはいるが、ケテルネスはフェンリルに対して頭が悪いと言っていたがその逆だ。
使役されたくなくて頭の悪いふりをしていたのだろう。でなければこんな戦略的な戦い方ができるわけがないのだ。
それに、さっきまでの戦いは完全にフェンリルのペースで戦いが進行していた。
勝つにはまず、相手のペースを乱しガクトのペースに持ち返す必要がある。その為にはこれまで戦い方ではだめだ。
もっと相手が考えるイレギュラーな戦法をしなくては……
ガクトは部屋の隅に座り、ガクトの事をじっと睨みつけるフェンリルに対して右手を差し出し、手招きをする。
「来いよ、動けないのか? 臆病者……いや……臆病犬か……」
安易な挑発をフェンリルに向けてみる。
すると、歯をむき出しにしてゆっくりと立ち上がると威嚇の喉鳴らしをながら飛びかかる体勢に入った。
本心、こんな挑発に乗るなんて思わなかったが案外短気な性格のようだ。だが、あともう少しだ……もう少し、あいつを怒らせれば……
「そこでずっとグルルル言ってるだけか? ほらほらどうした来いよ? ピ~~ピ~~♪」
ガウッ!! グゥアアアアアアアア!!!!!!
口笛でまるで子犬をあやすような煽りがよほど効いたのか、口の中の大牙をガクトに見せつけながら大きく跳躍しガクトに向けて上から鋭く太い大爪を薙ぎ払うように引っ掻いてきた。
「来たか」
ガクトはニヒルに笑うと正面から振り下ろされるフェンリルの攻撃に動揺することなくしっかりと攻撃の軌道を確認する。
≪発動:【歪む肉体】≫
攻撃がガクトの体に当たると思った刹那、ガクトの体が突然、身体がぐにゃりと九の字に曲がると爪の当たるギリギリを掠めながら回避したのだ。
そして、ガクトの柔軟に曲がった体は瞬時に元に戻る。
「どんどん来な」
フェンリルは自身の攻撃が避けられたことに怒りの感情をあらわにしながら続けてガクトに攻撃を畳みかける。
何度も何度も大きな爪を両手で振り下ろしていくがガクトはまるで身体が勝手に動いているかのように体が曲がったり、ひねったりをしてフェンリルの攻撃を紙一重で回避していく。
その動きは明らかに常人ができる動きではなく、『化け物』と言われてもおかしくはない。
挑発的に攻撃を回避することでフェンリルもむきになり攻撃を続ける。そんな循環が続き、ガクトはあれから1度も攻撃が当たることはなかった。
そして逆にフェンリルの体力が消耗され、舌を出して息を上げている様子が見える。
チャンスだ……!
ガクトはその隙を見計らってフェンリルに向けて拳を振るう。しかしフェンリルもそれを確認し、咄嗟に攻撃を回避する。
案の定、ガクトの拳は空を切る。
「空振りだと思ったか?」
そうつぶやいたその時、無数の指の爪が伸ばし、フェンリルの体を縛り上げる。
≪発動:鋼糸≫
「やっと捕まえたぞ、拳はフェイントだ。俺がやりたかったのはお前を殴ることではなく、お前を捕まえることだったのさ」
流石のフェンリルもこれは予想していなかったようだ。じたばたと体を動かそうにも縛られてまともに動くことはできない。
そして、縛っている糸に噛みつき、糸を切ろうとする。
「残念ながらお前の力じゃ切れない。お前の体力消耗で生まれた隙をつかせてもらったぞ。自分の考えた作戦がまさか敵に使われるとは笑い話だよな?」
フェンリルはじたばたともがこうとするがそれはもう無駄な抵抗だった。
そう悟ったフェンリルは大気中の水分を急激に冷やすとフェンリルの近くに無数の氷の槍が生まれる。
その槍が一斉にガクトの体を貫く。
しかし、ガクトの体からは血が出ていなかった、よく見ると氷の槍の形状に合わせてガクトの体に穴が開いていたのである。
【歪む肉体】をさらに応用して体に穴をあけたのだ。
これにはフェンリルも目が点になるしかなかった。
「残念……これで終わりだ……ありがとうよ、勉強になった……じゃあ……な!!」
縛っていた糸を一気に引っ張り、フェンリルの体を締め上げる。
鋼糸がフェンリルの肉厚の四肢に食い込み、そのまま肉を切断する。両腕、胴体、そして頭が地面へと落ちる。
綺麗に切れた切断口から赤い血がドクドクと流れ出てくる。ピクリとも動かなくなり、フェンリルは完全に絶命していた。
「終わった……」
身体の形状、そして体の環境を元に戻す。そして、目の前のフェンリルの死体はそのまま煙のように消えてしまった。
部屋の中はフェンリルがいなくなったことにより室温は正常さを取り戻し、凍り付いた壁や床は霜が解けて水が滴っている。
ガクトはフェンリルが元々いたであろう場所の先を見ると鉄製のドアがあり、さらに道が続いているようだった。
「よくやったな、ガクト」
後ろの入り口からかつかつと靴の音を鳴らしながらケテルネスが入って来た。
「遠くから見させてもらったが良い戦いぶりだった。フェンリルの戦闘能力はお前よりも上だとは思っていたが能力を巧みに操ったお前がその上をいく……見事だ」
腕を組み、ガクトに向けてニヒルな笑みを浮かべる。
「試練はこれで終わりか?」
「……もっと試練がやりたいのかい?」
「いや……」
「冗談だ冗談」
もし次があったならシャレにならない。
「見事、試練を達成したんだ。試練を越えた者に送るものはこの先にある。着いてこい」
そう言ってケテルネスが歩いた先はこの部屋の奥にある鉄製のドアだった。
ケテルネスがまたドアに手をかけると青い魔方陣がドアに浮き上がり、ガチャリと鍵が解錠された音が聞こえると、金属音を鳴らしながらゆっくりと開いていく。
その先はまだ道が続いているように見えた。ガクトは静かにケテルネスについて行く。
相も変わらずその道は薄暗い。しかし、少し目が慣れたのか壁の石の様子などは見れるまでになり奥にやや松明の光が見える。
松明の火までたどり着くと目の前には石でできた台の上に中ぐらいのツボが乗っていた。この部屋にはそれ以外何もなくただツボが中央にあるだけの部屋だった。
「このツボがお前に与える報酬だ」
「このツボの中身はなんだ?」
「開けてみろ」
ガクトは恐る恐るその壺の蓋を開ける。
開けた途端、黒に近い赤色がガクトの目に入る。
壺の中は一面赤、赤、赤。
それと鼻にツンとくる刺激臭がガクトの鼻に刺さる。
思わずガクトは鼻を塞いだ。
それはまさしく悍ましいとしか言えないものがその中に入っていた。
「臭い!! こ……これは何だ!?」
「聞きたいか?」
「勿体ぶらずに言ってくれ! このグロテスクな物は一体何だ!!」
「こいつは……『神子の竜血』さ」
「っーーーー!!」
その時ガクトはこの目の前の物がそれである事が信じられず、言葉を失った。





