73 愛と死の矢
長身の女性となったルタは、ブルーのワンピースと桃色の長い髪をなびかせながら、一生懸命に弓を引き絞った。
――だれを狙うんだい、ルタ。
古代妖精であるルタの守り神、弓の九十九神イゾルデは大人の女性となったルタが扱うのにちょうど良い。
イゾルデは弓型の身体をしならせ、今にも矢を放とうとしていた。
「ユーリが殺してしまう前に、あなたの言葉を聞かせて。
行くよ、イゾルデ!」
【慕情清廉たる金の矢】
木製の弓から桃色の光をまとった金色の矢が射出されると広大な草原の上に広がる戦場を走り抜け、敵の指揮官の横に侍る女騎士の胸に突き刺さった。
「ああああああああ!」
遠く離れたオレ達にも聞こえるような声で女騎士は叫びを上げた。
「私は愛していました、あなたを。
ハール様」
女騎士は兜を脱ぎ捨て、騎乗する指揮官の馬に跳び移り、同じように指揮官の兜を脱がして強引に唇を奪った。
「ミレイ、やめるんだ!」
副官の激しい慕情が指揮官に突き付けられている。
――集音魔法は効果抜群でしょう?
遠く離れた場所で繰り広げられる愛憎劇を、クリームの集音魔法で聞きとっていた。
「集音魔法のおかげで良く聞こえるんだけど……ルタは、何が聞きたいんだ?」
――古代妖精には彼我の差、自分と世界の違いはないんだ。幸せな心が好きで、伝えあう心が好きで、隠したり、裏切ったりすることが大嫌い。だから、あの女騎士ミレイだったかな。あの子のことが気になっていたみたいだよ。
「優しいんだな」
――優しいわけでは無いと、これからルタがすることを見ればわかると思う。でも、ユーリ様、古代妖精を人間のものさしで図るのは良くないよ。そうしないと、おとぎ話に伝わる人間のように古代妖精に裏切られたように感じて殺してしまうよ。古代妖精に悪気はないんだ。でも、人間とはちがう価値観で生きてるからね。
「ミレイ、頑張って気持ちを伝えてね」
ルタの上気した頬は女騎士を応援しているように見えた。
「来月、伯爵家のご令嬢と結婚すると聞きました。
それならば……どうして私を抱いたのですか?」
女騎士ミレイは、指揮官ハールに縋りつく。
馬上でハールは落ちないように、そして、ミレイを落とさないようにコントロールしようとする。
「落ち着くんだ、ミレイ」
「あなたは、私の気持ちを知っていた。
でも、私は身分が違うから、その気持ちはずっと秘めていたのに……
ハール様、あなたは強引に私に迫りました。
愛している、と」
ミレイは身体を震わせた。
「……どうして、どうして……
一緒になってくれるといったじゃない。
……あなたが火をつけたのです。
全てを捨てて辺境でイモを育てて生きていくのも悪くはないなと言ってくれたではないですか。
ハール様、私と生きてはくれませんか」
馬上で縋りつくミレイをハールは抱き寄せてこう告げた。
「すまない、ミレイ」
ルタは残念そうに口を開いた。
「愛する人から別離を告げられたミレイ。
あなたにはイゾルデの【白の選択】をあげる」
ルタはイゾルデを引き絞り第2の矢を放った。
【愛憎毒化したる白の矢】
イゾルデから放たれた黒い影をまとった白い矢がミレイの胸を刺した。
「あああああああ!」
ミレイは平原を揺るがすような大きな声で叫んだ。
「ハール様、あなたは私の秘めた想いに火をつけた」
ミレイは大粒の涙を流しながら、ハールを見つめた。
そのミレイに白い矢が尋ねた。
――ミレイ、ハールを許せる?
白い矢からルタと思われる少女の声が聞こえる。
「許せない、許せない……この想いに火をつけた報いを……」
ミレイは目を見開き白い矢に答える。
――であれば、どうするの? 白の矢は【白の選択】をあげる。想いの通り、行動して。
「許せない、許せない……でも、私は……」
「ミレイ……」
――じゃあ、許せばいい。愛の弓イゾルデの【白の選択】は、許す「愛」か、敵意の「死」しかない。「恨み」で魂を汚すのは許さない。
「私は、ハール様を愛しています、でも、許せない」
――では、殺す? 【白の選択】は「恨み」で魂を汚させない。
「でも、殺せない、ハール様」
ミレイはハールに縋りついた。
「ミレイ!」
ハールはミレイを強く抱きしめた。
――許せない、殺せない、……残念。ミレイ、あなたに数十年、「恨み」で世界を汚させてはあげられないわ。許してね。私は「愛」を汚したくないの。
白の矢はミレイの胸に入り込む。
ミレイはピタリと動きを止めた。
「どうした、ミレイ」
視点の定まらないミレイはハールの声掛けに対して答えず、不意に動き出しハールの腰に帯びた剣を抜く。
ミレイは目線も合わせず、ハールの首に剣を当てた。
「ミレイ!」
ハールの声にまるで反応なく、ミレイは女の細腕とは思えない速度で剣を横に引いた。
シュバッ
ハールの首が飛び、流れ出る血がミレイにかかるとミレイは目を見開いた。
「ハール、ハール!」
意識を取り戻したであろうミレイは、首のないハールの身体に縋りつき、嗚咽を漏らした。
――「愛」をなくしても、ヒトは楽しく生きていける。その方法はある。でも、「後悔」でその身を焦がすなら、ここで私が殺してあげる。
ミレイの胸から出た白い矢は、ミレイに語りかけた。
「その必要はありません。ハール様……いつまでも一緒です。
あなたと生きていけないなら、はじめからこうすれば良かったのです」
ミレイはちょっとの躊躇もなく、ハールの命を奪った剣で胸を深く突いた。
「……ハール様」
ミレイは瞳から一筋涙を流したのち、絶命した。
「お見事、ミレイ。
あなたの魂が美しかったこと、覚えておく」
そう言うと、ルタはうっとりとした顔を浮かべた。
用を終えたイゾルデは、元のボーイッシュなヒト型に戻った。
「何だかやりきれないな」
オレはボソリとイゾルデに話しかけた。
「古代妖精は、『愛』と『許し』と『行動』を愛しているんだ。
行動しないなら、許せばいい。
許せないなら、殺せばいい。
殺せないなら、死ぬしかない。
行動に続かない『恨み』『後悔』を、ひどく嫌悪する」
桃色の髪をなびかせるルタがミレイにあんな酷な選択を迫るとは思わなかった。
「ユーリ、あなたもきっと辛い選択をせまられる。
私が、背中を押すからね」
ルタはにっこりと笑った。
「ルタ、お前に背中を押されないように頑張るよ」
「頑張ってね、ユーリ様」
イゾルデも笑っていた。
「ユーリ様」
ブリュンヒルデが声をかけてきた。
「敵の大将を、ルタが射止めたんですね」
「あれを射止めたって言っていいのかな」
「ルタは、悪趣味ですよねえ」
オレは、ブリュンヒルデをジロッとにらんだ。
「お前も悪趣味だろ。即死しないように斬るだろ」
「私はあんなに内面をさらしたりしませんし、恋仲の二人を殺すときはサービスしますよ」
ブリュンヒルデはわらいながら答えた。
「サービスって?」
「二人が手をつないで死ねるように、出血量を調節します」
まあ、有情かもな。
戦士同士が、戦場で散るならそれもありか。
「ふう、頑張ったよ」
ハガネとイザベラが戻って来た。
ハガネは既にヒト型に戻っている。
「おお、ハガネお帰り。
戦い見てたぞ。強くなったな」
ハガネは頷いていた。
「ふふ、もっと強くならないとね。
みんなを守れるようになりたいからね」
ハガネは向上心の塊だな。
「ハガネはいつも頑張ってるよ」
「うん」
「イザベラ」
「はい」
オレは、イザベラに近づき右手を持った。
「さ、さわらないで」
イザベラは顔に嫌悪感を浮かべてオレの手を払い、後ろに下がった。
「あ、ごめん……」
イザベラが以前とは違い、近づいてくるので平気だと思っていたが、イザベラは半獣で人間の血が流れているため、オレと近づくとスキル効果で殺したい程嫌いになってしまう。
「ユーリさま。
指揮官の首を拾ってきましたから、これで降伏勧告をお願いします。
一兵たりとも逃さず殲滅しろというのなら喜んで行いますけど」
ブリュンヒルデが首をひろってきてくれた。
「そうだな、これで降伏するだろう」
――じゃあ、敵陣の上で演説しましょうか。
オレが跳躍すると、クリームが風魔法を使って移動補助を行ってくれた。
飛べたりはしないので、足場を次々に作り出してくれた。
敵陣の前で、オレは首を掲げる。
クリームはしっかりとした足場を作り出してくれ、声量増幅魔法もかけてくれた。
「ロシヤ王国兵たちよ、これがハールの首だ。
大将首を取られた今、全滅するまで戦うほど愚かではあるまい。
こちらの損害は極々軽微、この状況で戦いたい奴は声を上げろ。
オレが一人ずつ、殺してやるぞ」
すでに崩壊していたロシヤ王国兵に、声をあげるものなど一人もいなかった。




