0:竜骨、目覚める。
深海の静寂は時折耳鳴りですらも消し飛ばし、意識ですらも今眠っているのか起きているのかでさえも分からなくなってしまう。一定の間隔を保って響くソナー音でさえも、まるで眠りへいざなう幻聴のように聞こえていた。
空の蒼よりも尚深く、潮騒の碧よりも尚色濃く、穏やかに降下していく温度はどこか心地よく一瞬でも瞼を閉じてしまったら本当に二度と拓くことができないのではないかと思うほど──……。
《起きてる? 先ほどから反応がないんだけど》
「うおっ!? っととと、あぶねぇあぶねぇ。わりぃな、今起きた」
《全く、しっかりしてよね》
オペレーターの呼びかけでようやく自分が本気で眠りかけてしまっていたと気が付き、操縦者は慌てて両の手で自身の頬を叩いた。
これだから深海層の探索は苦手なんだと息をつき、こわばりかけた肩を軽く回してほぐす。
深海……とはいっても下部漸深層に入る深度、周囲には過去の戦線によって積み上げられた瓦礫の山ばかりが針山のようにそびえたっている。目ぼしいものもないなと操縦者は網膜投影を一度わざと切り、両サイドに備え付けられたアナログタイプの操縦桿を握りなおした。
ガラス質の板が多く見受けられるここは、深海にしては明るかった。
アセンの放つカメラアイやエネルギーラインの光が、そこらに散乱しているガラスに反射し反射を繰り返し独特のライトアップを照らし出しているからだ。とはいっても、それだけであって対した面白味もないものだ。女性ならばこの光の中に何かを見いだせるのかもしれないが、生憎操縦者はそういう性格ではなかった。
大きなガラス片に写ったアセンの姿は骨のような四肢型フレームに外套を乗せただけのような独特の形をした外殻、戦利品を持ち帰るために背負った空箱は棺のようで、筋に奔る黄金色のエネルギーラインはさながら死神の鎌のようにも見えている時点で。そういう性格ではないのだ。
《様子はどう? なにかある?》
「見る限りじゃ完全にゴミ山だなァ……とりあえず子機出すわ、ライン引いてそっちでも確認頼む」
《分かった。ものがもったいないから、一騎出したらワイヤーで連れてってね》
「へいへーい」
網膜投影を再開し、周囲をぐるりと旋回し立ち位置を定め「ここらかな」とアセンは肩に乗せていた探知用哨兵子機《SENT》を一騎出立させる。SENTにさらに指示を出しここら一体に識別用音波を振りまかせ、跳ね返りによる探知結果を待つ。
跳ね返りの低いただの鉄くずや紙装甲の棺桶の残骸は認識しても発見音が鳴らないように設定している、しばらくこの無音を繰り返しているがそろそろアタリを引いてほしい、というのが操縦者の本音だった。
淡々と同じ作業を繰り返し、今回は外れかとため息をついたころ。
「……なんだ?」
《どうしたの?》
「何か、聞こえた」
《探知には何も出てないよ》
「んー……こっち、か?」
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ほんの微弱な、音を聞いた。
音といっても探知結果には確かに何も出ていない、だが操縦者の生身の耳には確かにキィンと音が弾かれるような異物の微かな吐息を聞き拾っていた。
自身の勘と耳が探知した方角を信じアセンを潜らせる、屑鉄渓谷へ慎重に深く、深く、決して小さくはないアセンを泳がせていく。
深度がじき本気の「深海層」に到達しかけるあたりで、ワイヤーをかけて引きずっていたSENTが大きく反応を示した。
《半径10f圏内に反応アリ! これって……》
視界の端に匂いを捉えアセンを泳がせる、屑鉄渓谷の出っ張りに座るように一機の鉄機兵が眠っているのを操縦者は目ざとく発見した。ライトを照らすと光の中に濡れた黒のフレームの照り返しを見つけ、そこが頭であることを確認した。
反応はここから出ている、結果は──。
「──ビンゴだ! ベルタ! 運搬用の棺桶を送ってくれ、ひっさびさの大物だ!」
思わず声が上ずるほどの高揚が操縦者当人でさえも驚かせる。
噂だけに沈んでいた「怪物」は、どうやら本当に眠っていたらしい。
だが、この時はまだ知りもしなかった。
こいつが正真正銘、本物の怪物だったとは──。