血みどろの再会
「……起きろ」
人の声が聞こえる。視線をそちらに向けてみると、街灯の明かりを背負って立っている人の形が見えた。
「椿はいつも、自己犠牲的、か……」
人影は、線路上に散っている赤い椿の花弁の欠片を拾って小さくつぶやいた。その肩に、どこからともなくやってきた毛の長い1匹の大きな猫が軽やかに座る。
「くっそ……」
身を起こしながらその背に声をかける。枕木にぶつけたのか、右腕がジンジンと痺れていた。
「それはこっちの台詞だ。馬鹿が。邪魔しやがって……」
振り向きもせずに、凛とした声でその男は言った。まるで、裕樹のことを以前から知っているかのような口振りで。
「俺……」
「気をつけろと、言ったはずだ」
「でも」
「霊に情けをかけるな。死ぬぞ」
「ごめん」
裕樹は、反射的に謝っていた。謝罪を引き出す無言の圧が、そこにあったからだ。
かといって威圧的な声ではなかったし、怒っているような調子でもなかった。むしろ非常に落ち着いた口調だった。けれども、その声音は冴え渡り、研ぎ澄まされた刃物のようだった。それは、その男の気配そのものからも感じられた。
「お前のせいで気づかれた」
少し責めるような調子でそう言いながら、ようやくその男は裕樹の方を振り返った。
「でも、蒼雲」
裕樹が知っている男だ。目が合った瞬間、張りつめていた空気に揺らぎが生じた。
蒼雲の目は、猫の目をしていた。
「相変わらず自殺行為が好きなヤツだな、お前」
蒼雲の左肩に乗っている灰色の猫が、真っ赤な舌でベロリと口の周りを舐めてから、こちらも呆れたような口調で言う。2本の大きな尻尾がユッサユッサと揺れる。
「立てるか?」
先ほどよりは穏やかな口調で、蒼雲は裕樹の前へ手を差し出した。
「久しぶりだな」
ぶっきらぼうだが、暖かみのある声。裕樹はその手を握って立ち上がる。
「会いたかった?」
裕樹が冗談を言うと、
「馬鹿、誰がお前なんかに会いたいかよ。それに、前回会ってからまだ176日しかたっていない」
「なんだよそれ? なんでそんなに細かい日数まで覚えているの? 蒼雲くん。やっぱりお前、俺に会いたかったんじゃないの?」
「違うって言ってんだろ。誰とどんな仕事をしたかを覚えておくのは、大事な情報の一つだ。それと、君付けで呼ぶな、気持ち悪い」
「普通、呼び捨てするなって言うもんなんだよ」
「煩い。お前に君付けされる方が気持ち悪いんだよ」
「ツンデレだな、お前」
「やかましい」
蒼雲は不機嫌そうに吐き捨てる。肩の上の猫が、その言葉にニマニマと笑っている。
「それよりなんだ、あれは?」
少し気がほぐれて、裕樹はようやく、起こった事象を振り返る余裕ができた。
「資料読んでないのか?」
「読んだ。あの親子じゃなくて、線路の向こうにいたヤツだ。あの、やばそうな黒いヤツ」
「あぁ」
蒼雲は視線をあさっての方に泳がせて、
「お前もアレに気づいたか?」
と言う。少し驚いた表情。
「馬鹿にするな」
裕樹は不満そうに口を尖らせる。
「今度の仕事はアレだ」
「資料にはなかった」
「持ち出せない情報があるんだよ。だからわざわざ、うちに呼ばれてんだろうが」
「なら明日まで待てばいいだろう? 明日1日準備に使って、それでその夜に祓いの儀式をするって、そういう指令だったじゃないか」
「お前が邪魔をしなければ、今日ここで片付けられた」
「抜け駆けしようとしてたのかよ?」
「あの程度のヤツ、俺1人で狩れる」
「お前なぁ~」
裕樹は付き合いきれないという顔で溜め息をつく。
「俺と一緒にやれっていうの、蒼龍さんの命令だろう? そんなことしたらまた怒られるの目に見えてんじゃん。お前、ほんとMだな」
「煩い」
蒼雲は、プイッと顔を横に背ける。
「お前こそなんでここにいるんだよ。抜け駆けしようとしてたのお前の方だろう?」
「俺は、たまたまだよ。資料には場所の詳細は書いてなかったし。今朝、さっきの赤色のスカートの女の子が出てくる夢を見て、それで、何となく気になって、走りに出たらここに辿り着いた」
「そもそも、アレは今夜、お前の親父と片付けるはずだった」
「それは知ってる。でも、俺、代わり頼まれたの嬉しかった。お前と2人っきりでコンビ組むの、初めてだし」
裕樹の言葉に、蒼雲は少し照れて顔を伏せる。
「なら予定通り、今夜来れば良かったんだ」
「今日は金曜日だよ。平日は学校あるの。それに今日は卒業式だったし。そもそもなんでお前は今まで学校通ってなかったんだよ。就学免除だかなんだかしんないけど、」
「その文句は父上に言ってくれ。俺だって、好きで行ってなかったわけじゃない」
「なによ、それ? なら、蒼龍さんが良いって言ったら通いたいと思ってたわけ?」
「思ってない」
「学校は楽しいぞ。勉強はめんどくさいけど、友達がたくさんできる。まぁ、今度の学校が、普通の学校ならばって話だけどね」
「普通なわけないだろ」
「ったく、相変わらず性格ひねくれてるな」
「その文句も父上に言ってくれ。俺だって、好きでひねくれたわけじゃない」
裕樹の脳裏に、一瞬、蒼雲と初めて出会った樹海の夜の映像が蘇る。
10歳まで普通の家庭の普通の子供として両親の愛情に包まれて育った自分と、10歳まで猫だけを友達に呪術と武術の修行に明け暮れて育った蒼雲。生きてきた世界が、まるで違う。だから今、同じ場所にいて同じ物を見ても、感じ方が違う。
「へぇ~、いいのかなぁ~。じゃぁ、『蒼龍さんのせいでひねくれたって蒼雲くんが言ってました』って蒼龍さんに言っちゃおうかなぁ」
「っちょ、止めろよ、バカ! 余計なこと言うんじゃねぇ!」
まじな顔で蒼雲が裕樹を睨む。
「普段の口調は咄嗟なところで出るから気を付けろってな。とりあえず、」
「まずいよ、蒼雲」
2人の会話に、いつの間にか足元にいた、白黒猫が口を挟んだ。
すでに、蒼雲の目は青銀色の光を増している。
「気づかれたみたいだ」
灰色猫が、線路の向こう側の闇から目を離さずに言う。
「ったく。お前が邪魔するから」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ、蒼雲」
白黒猫が、蒼雲の反対の肩に上ってくる。
「分かってる!」
2匹の化け猫に、怒鳴るような口調で返事をする。
「走るぞ! 裕樹!」
「おう!」
2人は既に走り出していた。
長くて読みにくかったので、二つに分けました。