導き手
日の出前に目を覚ました一行は、手早く朝食を済ませ、陽の光が空気を温め始める頃には、出立の準備を整えて歩き始めていた。
「ここからどのくらいだ?」
一際大きな荷物を背負った雅哉が、先頭を歩く蒼雲に声をかける。昨日と同じように、蒼雲が先頭を歩き、雅哉が殿を務めている。裕樹と梓乃は入れ替わり、梓乃が蒼雲のすぐ後ろに従っている。
「そうだな。昨日のペースだと2時間ちょいといったところだろうが、この先は、少し足場が悪そうだ。もう少しかかるかもしれない」
両肩に雲風と風霧を乗せたまま、軽く首だけ捻るようにして、蒼雲が雅哉に答える。足元は、木の根だけでなく、大きな岩があちらこちらから張り出し歩きにくい。
「確かにな」
雅哉が右手に持つ錫杖が、シャンシャンと澄んだ音を林間に響かせている。
「昼前後に着ければいいから、昨日より少しゆっくり歩く」
「助かります」
山歩きに慣れていない梓乃に、蒼雲が配慮した形だ。梓乃は、相変わらず足音も立てずに軽やかに歩みを進めてはいるが、歩くペースは明らかに落ちてきている。
「獣は龍脈がわかるのかな?」
そう言ったのは裕樹だ。道無き道の山中だが、わずかに踏み固められた獣道が、龍脈に沿うように山を登っている。彼らはその獣道を辿る形で歩みを進めている。目の前に現れた大きな倒木を慎重にくぐり終えたところで、不意に蒼雲の足が止まった。
「シッ」
三人に静かにするよう指示を出す。
蒼雲の肩で、風霧の二本の尻尾が倍くらいに膨らんでいる。雲風も、ヒゲを全て前方に向けたまま、ゆったりと膨らんだ尻尾を振っている。裕樹のリュックの上に乗っている七枝も、全身の毛を逆立てている。
猫たちの逆立った毛先からは、ピリピリとした電気のようなオーラが放出されているのが見える。
蒼雲の視線は、進行方向斜め前、大きな岩が突き出た部分に向けられている。「雅哉」
堅い声だ。
「お前の出番だぞ」
立ち止まった三人も、蒼雲の見つめる大岩に視線を送った。
グワァン
と、突然、耳の奥に直接響くような無音の圧力が四人を襲った。一瞬、平衡感覚が失われる。これまで聞こえていた鳥の声が全く聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれている。
空気が張り詰める。
岩の陰から、岩と同じくらいに巨大な真っ白いオオカミが、のっそりと歩み出て来た。ビリビリと皮膚に突き刺さるような気配を纏いつつ、じっとこちらを見ている。
「山の神か」
「あぁ」
「相手の結界に入ったってことだな」
最後尾から蒼雲に並びかけた雅哉の声も緊張している。
白いオオカミは、鋭い眼差しでまっすぐにこちらを見ている。豊かな首回りの被毛が、風もないのに、ゆらゆらと揺らめいている。
「話をつけてくれ」
蒼雲が前を向いたまま右に避ける。
「あいよ」
代わりに雅哉が前に出て、錫杖を右手に持ったまま左手で印を結んだ。裕樹達は数歩後ろに下がってその動きを見つめている。
雅哉はすぐに祈請文を唱えはじめた。心地よい声音が林間を渡る。軽く節がつけられているのか、唄うように大らかな声だ。ひとしきり唱えた後、錫杖を胸の前に突き出して肘を伸ばした。
シャラン
シャララン
錫杖の立てる澄んだ音色が場を満たす。
「さすがだな」
裕樹が感嘆の声を漏らすのも無理は無い。
雅哉が錫杖を地面につけて数度打ち鳴らすと、それだけで巨大なオオカミが背を向けたのだ。
「案内してくれるらしいぜ」
雅哉が三人を振り返る。
「よし、行こう」
雅哉を先頭にしたまま、四人はオオカミに従った。
*****
険しい山道を黙々と登っていく。前を行くオオカミは、時々立ち止まっては後方を振り返り、明らかに彼らを誘導しようとしていた。
「獣臭くないね」
裕樹の肩の上に移ってきた雲風が言う。風のように飄々とした声だ。
「せっかくオオカミに化けているのに、獣臭くなかったらバレちゃうよ」
言われて気がついたが、確かに獣の気配はない。
「山の神が具象化したモノだ。普通の人には視え無いんじゃないのか?」
「ふぅん。そうなんだ」
つまらなそうな声。残念なことに、常時視えている彼らにはそれを確認する術はない。
「あんなにカッコイイのに、見えないのは残念だね」
「まぁね。でも、あんなサイズの真っ白いオオカミが目の前に現れたら、普通は逃げるんじゃないかな?」
「そうなの?」
「だって怖いだろう?」
「まぁ、人間は軟弱だからね」
化け猫に比べれば、人間は随分と軟弱な生き物に違いない。裕樹は、雲風の言葉に苦笑いを浮かべた。普段は猫のように可愛らしい生き物だが、その奥に恐ろしい凶器を潜ませていることを、こういう時、改めて感じさせられる。
灌木の間を抜けて、少し開けた場所に出る。強い風が吹き付けて皆の髪を揺らす。数メートル先の大岩の脇でオオカミがこちらを振り返っている。
それを認識した瞬間、視えていたはずのオオカミの姿は、いつの間にか消えていた。
「ここだな」
「あぁ。そうみたいだね」
楓の木が何本か生える中に、大きな榊の木が一本だけ密やかに立っていた。周囲には抱えるほどの岩が複数散在している。
「磐座か?」
キョヨキョロと周りを見回しながら、雅哉が振り返る。
「あぁ」
「ここですか? お二人が見たのは」
「庭にあった榊は、間違いなくその榊の分身だよ」
裕樹が力強く頷き、榊を指差す。
「ヤマトタケルが東征する際に持参した榊のようだ」
榊の脇に、岩と低木の陰に隠れるようにして小さな祠が置かれていた。風雪に晒されて傷んだ社の姿は、月日の経過を物語る。
「へぇ。それじゃぁ、その祠は巫女が?」
「たぶんな。さて、そしたら準備を始めるか」
「準備って、何すんだ?」
リュックサックを下ろした蒼雲に、雅哉が暢気な声で疑問を投げかける。
「ここで御霊寄せの儀式をやる。その準備と結界を張る。裕樹」
「わかった」
「御霊寄せ?」
「雅哉、ちょっと手伝ってくれ」
「俺は何を?」
「穴掘りだ」
「はぁ?」
その間に、蒼雲は躊躇なく岩の根元に置かれた小さな祠を取り外して脇に寄せた。先を尖らせた木の棒でその下の地面を掘り始める。雅哉も、差し出された木の棒を握って、ブツブツ言いながらそれを手伝っている。
「巫女はここに因縁がある。おそらくそれはこれだ」
程なく掘り出された二十センチほどの長さの長方形の木箱が、皆の前に置かれた。
「おそらく、田原つゆ子の子供だ」
「胎児?」
梓乃の言葉に黙ってうなづく。
「これと、あのぬいぐるみの中にあったモノを使って、巫女の魂をここに呼び寄せる」
「でも蒼雲、そんなことをしたら」
裕樹が口にした懸念に、頷いて同意の意を示す。
「わかっている。要らぬモノまでついてくるかもしれない。そうなったら、ここで戦闘になる可能性もある。霊的なものだけならまだいいが、生身の人間だった場合が厄介だ。繋がったと同時に攻撃が仕掛けられてくる。俺と梓乃は夜でも見えるから構わないが、お前達の力を借りられないのは戦力ダウンだからな。できれば夜は避けたいが、儀式の性質上避けられない」
「少し下ったところに松林があったね。精霊を呼び出して松明づくりを手伝ってもらうよ」
「頼む。雅哉も一緒に行ってやってくれ」
「わかった」
「梓乃。俺達は御霊寄せの儀式の準備だ」




