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夜の森

 バチッと乾いた音を立てて、火の粉が森の闇にはぜる。念入りに張った結界の中だとはいえ、完全に安心できる状況ではない。現に、結界の外には無数の霊の気配がある。この手のモノは、無視しておくのが一番良いのだが、不測の事態に備えて監視は怠れない。それでも、四人が同時に起きていることはないという判断で、交替で仮眠を取ることにしていて、三十分ほど前に雅哉と梓乃と入れ替わったところだ。丑三つ時が近づくほど、霊的なものの干渉も多くなる。前半担当だった二人は今、斜め奥の簡易テントの中のシュラフで横になっている。猫三匹も、彼らと一緒に眠っている。

 裕樹と蒼雲は、斜向いに座りながら炎を眺めている。

「ありがとう」

 差し出された金属製のカップを右手で受け取って、裕樹は小さく礼を述べる。

「夜はまだ寒いな」

「そうだね」

 カップの中のコーヒーが、体が冷えていたことを改めて感じさせる。

 新緑の季節とはいえ、秩父の山中の夜は、まだ冷える。手の中のコーヒーのぬくもりを両手で吸い取りながら、裕樹は背を丸めた。

「平気か?」

 蒼雲にしては珍しく過剰な心配をしている。

「お前らしくないな。随分優しいじゃん」

 それを、裕樹が茶化す。

「責任感じてる?」

「少しな」

「冗談だよ。俺が自分の意志でお前に任せたんだから、お前が責任感じる必要なんてない。それに、梓乃ちゃんから聞いたよ。だいぶ無理して俺が痛くないように制御してくれたんだろう?」

 蒼雲からの返事はない。

「それに、俺は少し嬉しかった」

 炎を見つめていた蒼雲の視線が、すっと裕樹の瞳に移った。

「お前が日々感じている痛みを、ほんの少しでも体験できて、なんか嬉しかった」

「お前、馬鹿か?」

 ぶっきらぼうに吐き出された台詞には幾分かの照れが隠されていた。

「かもね。痛いのに嬉しいなんて、我ながら馬鹿だと思うよ」

 裕樹も口角を緩める。その頬が赤く染まって見えるのは炎の照り返しばかりではないだろう。

「でもさ。お前と同じ感覚を共有する機会なんてそうそうないからさ。知ることができてよかったなって」

 蒼雲からの返事はない。

「俺たちが初めて出会ったのも、こんな深い森の中だったなって思ってさ」

「まぁ、最後は記憶ないけどな」

「だよな。お前、死にかけてたもんな」

 樹海の森で化け猫四匹に対峙したあの夜が、蒼雲と出会った初めての夜だった。交わした言葉こそ少なかったが、お互いが命の危機を抱えながらの衝撃的な出会いは「吊り橋効果」以上の心理作用を及ぼしたことは間違いない。

「あの頃はまだ猫化が十分にできていなくて、強引に使役していたからな」

 夜の森の気配が、あの日の夜の緊張感を思い出させてくれる。

「俺の人生もあの夜から大転換したしね」

 裕樹も、あの夜を境に平凡だった日常から切り離された。

「お前も、馴れる前は気を失ったりしてた?」

「いや。俺は猫化で気を失ったことはない」

「おー。さすが、優秀だな」

「そんなんじゃない」

 小さく首を振った蒼雲の横顔が、炎に照らされていつもよりより一層物憂げに見えた。

「俺たちは、物心付く前から猫と一緒に生活して自分が契約を結んだ化け猫を使役する術を学ぶ。それと平行して、猫化に耐えられる体にするために強引に猫化させられて痛み馴化をするんだ。常に痛くて、それは徐々に強くなる。生まれ落ちた瞬間から強引に猫化させられて、体がそれに適応してくんだ」

「強引に、って……」

「化け猫の力を借りると、本人の意思に関わらず外からの力で猫化させられるんだ」

「俺はそれを今回体験したってわけか?」

「まぁ、似たようなものだが、全く同じじゃない。強引な猫化は、もともと猫化因子があることを前提に行われるものだからな。普通は、因子がない者は猫化できない。今回は、お前の体を俺の体と繋いでひとつと認識させて術をかけた。猫たちも裕樹になついているし、裕樹とならできると思ったんだ。無理させてすまない」

「いや……なんか、こっちこそすまない。俺、耐えられると思ったんだけど」

「普通の痛みじゃないからな。むしろ、あそこで気を失わなかっただけでもすごいことだ」

 褒められることになれない。照れ隠しに、カップの中のコーヒーを喉に流し込む。苦みが心に沁みる。蒼雲は慣れた手つきで炎の中に小枝を焚べていく。遠くでフクロウが鳴く低い声が聞こえる。

「ところで、巫女は本当にあの場所に来るのか?」

「必ず来る」

「確信的だな。お前のことは微塵も疑ってはいないが、根拠を聞かせてくれないか」

「根拠か…」

 蒼雲は遠くを見るような目つきになって言い淀んだ。

「あぁ、いや、別にいいんだ。ただの勘だっていうなら、それで。お前の勘なら十分な根拠だ」

 自分の質問を打ち消しながら、裕樹は少し身を乗り出した。 

「お前はどこまで気がついた?」

「どこまで?」

「ぬいぐるみの中にあったものが何か」

「えっと……あれは、巫女の体の一部のような気がした」

「あぁ。あれはおそらく、臍帯だ」

「さいたい? へその緒ってことか?」

「巫女が結婚していたという話は聞いていないが、子供を産んだことがあるのだろう」

「まさか?」

「押収品のリストに、臍帯を入れる桐の箱があった。しかし、昨日保管庫で確認したら、中は空だった」

「その中身があの中に?」

「おそらく」

「ってことは、そこにあるのは……」

「あぁ。何らかの理由で死んだ、もしくは死産した田原つゆ子の子供だ」

 パチッと、炎の中の小枝が小さな音を立てる。

 フクロウの低い鳴き声が、背後の森の中から響く。

 夜は深々と更けていく。

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