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神楽坂の混乱

 蒼雲たちが秩父の山中を歩いていた日。ゴールデンウィークの最終日。連休など関係なく授業があった学院の生徒たちにとってはただの週末日曜日にしか過ぎないが、神楽坂祥子は、午前中の琴の稽古を終えて家への道を歩いていた。歩くとは言っても大した距離ではない。家から200メートルほどの距離にある祖父母の家だ。祥子は週に3回、この家で、祖母から巫女舞と琴を習っている。日曜日の午前中は琴の時間だ。

 社叢に沿って緩やかにカーブする坂道を登りきり、角を回ると鳥居の前に出る。境内に車が複数台停まっているのが見えた。スーツ姿の男女が、慌ただしく家と神社の間を行き来している。

「祥子ちゃん」

 祥子の姿をいち早く見つけて声をかけてくれたのは、神楽坂家の神社で働く若い巫女だった。

「萌さん、一体、何があったのですか?」

 駆け寄ってきた巫女装束の花田萌に、祥子が心配そうに尋ねる。

「それが、私もよくはわからなくて……」

「あの人達は?」

「警察の方々だそうです」

「警官?」

 敷地内には、黒やグレーのセダンが複数台停まっているが、パトカーは一台もない。

 御幣を持った背の高い男性が数人、祥子と萌の横を通り過ぎていく。

「SICSのみなさんだそうです」

 萌が、祥子の方に身を寄せて小声で言う。花田萌は、祥子の母の妹の娘。祥子の従兄弟にあたる。彼女もまた、霊泉学院の生徒だった過去がある。しかし、霊能力不足で卒業はできず、3年生の途中で除籍になった。天御柱付きの呪術者にはなれなかったものの、それ以降、神楽坂家で働いている。学院の入学者のうち、3年間の在籍可能期間のうちに天御柱の術者になれるのは三人に一人だ。卒業しなければ呪術師としての公的な仕事はできないが、萌のように、天御柱の術者の下で霊能力を糧に働く道を選ぶ者は少なくない。

「シックスって、あの? 警察庁の超常現象捜査班?」

 祥子はまだ詳しくは聞かされていないが、霊能関連の仕事がSICSを通じて依頼されてくることは知っていた。それと同時に、全国で起こる悪霊・悪鬼の類が関わる事件の捜査や処理にも関わっていることを。

「信徒の方が亡くなった事件のことかしら?」

「えぇ、おそらくそうだとは思うけど……ところで、祥子ちゃん、何か聞いてる?」

 萌がさらに体を寄せて声のトーンを落とした。

「何かって?」

 萌の質問の意図がわからなくて、祥子は首を傾げて聞き直した。

「信徒の方の遺体の場所を見つけてくれたのって、祥子ちゃんの同級生なのよね?」

「あぁ、それは違います。蒼雲さんは、現場で見つかった板符を見て、式神の還呪で場所がわかるんじゃないかって教えてくれただけ。実際に式神を還呪したのはお父さんだと思う」

「蒼雲さんって? 以前祥子ちゃんが言ってた猫風家の人よね? ほら、入学式の時の事故でみんなを助けてくれたっていう」

 萌とは幼い頃から姉妹のように育ったからとても仲が良いが、神楽坂家の屋敷に共に住んでいるわけではないので、昼間学院に通って留守にしている祥子は、ここしばらく萌とはゆっくり話せていない。学院の話はほとんどできていなかったが、入学式の時の事故の話はした覚えがある。その時に、強くてイケメンで、とか、そんなことも話した記憶がある。唐突に質問されたが、萌もやはり、その話の続きが気になっていたのかもしれない。

「えぇ、そうだけど」

「猫風家って、どんな呪法が専門なの? 式神法?」

「どうだろう? 化け猫さんたちは、使役魔の一種だと思うけど、そのほかはよくわからないけど、」

 祥子の視界の先、玄関の向こうに父親の姿が見えた。

「萌さん、ごめん。また後で!」

 祥子は、萌との話を打ち切って、慌てて家の中に駆け込む。

 家の中も人でごった返していた。そのほとんどが術者であることを、祥子は肌で感じた。スーツの人の間を縫って、大広間に向かった父親の背中を追いかける。

「お父さん!」

「祥子か? 帰ったか」

「お父さん、何があったんですか?」

 見回せば、大広間では、神楽坂家の使用人たちが集まって、大量の呪符を書いていた。

「お前は、今すぐ身の回りの荷物をまとめなさい。お前は今夜から、学院の寮に移ることになったから」

「え? 学院の寮に?」

「そうだ。入寮の手続きなどはもう終わっている。だから、生活に必要な荷物をまとめなさい。段ボールなど必要なものは、弥栄子(やえこ)さんが用意してくれている」

 畳み掛けるように告げられる言葉に、祥子の頭は追いついていかない。

「ですから、それはどうしてですか、お父さん。いったい、なにがあったんですか?」

祥馬(しょうま)さん」

 父親の背後から、スーツの男性が声をかける。

「はい、すぐ行きます」

 父親は肩越しに男性の方を振り返って、キリリとした声で返事をする。

「祥子、お前は部屋に行きなさい。弥栄子さんが、事情を知っている」

「わ、わかりました」

 複数の男女とともに社殿の方に消えた父親と別れて、祥子は二階の自分の部屋に上がった。

「あぁ、戻ったのね、祥子」

 部屋で段ボールを組み立てていたのは、母の妹の神楽坂弥栄子だった。妹といっても、母とは15も歳が離れているので、祥子にとっては、叔母さんと言うよりお姉さんの感覚に近い。

「弥栄子さん! いったいなにがあったんですか?」

「運転手の丸山が逮捕されたの」

「丸山さんが?」

 祥子にとっては、この1ヶ月、学院への送迎で一緒に時を過ごした運転手だ。寡黙で実直な男性という印象があり、特別に仲良くしていたというわけではないが、それなりに親しみを感じていた使用人だ。

「どうして、丸山さんが?」

「先日の信徒殺害事件に関与したからって」

「彼が殺人を?」

 思ってもみなかったことに、祥子の声が驚きで震える。

「今のところは、遺体の運搬に協力したってことみたいだけど、ほら、彼、式神防除の札を持っていたでしょう? それで、何らかの憑依を受けて利用されていたってことのようよ。それに、先日、祥子達が下校途中に襲われたって事件。あれにも丸山が関与していた疑いがあるって」

「そ、そんな……」

 あの後、家までの1時間ちょっと、丸山は、怯えていた祥子のことを優しい言葉で気遣ってくれた。そのことを思い出し、祥子は言葉を詰まらせた。

「逮捕といっても、SICSの逮捕だから表には公表されていないのだけど」

「それで、SICSが家宅捜索に?」

「そうね。正確に言うと、うちが疑われているというのではなく、何者かにうちが狙われている可能性があって、その他に侵食されている部分がないかを調べてくださっているの。結界そのものが不安定になっているっていってたし、丸山みたいに、本人が意図しないうちに、憑依を受けているかもしれないでしょう? それに、」

 弥栄子はガムテープをめくる手を止めて、未だ部屋の入り口に立ったままの祥子に向き直った。

「うちには守らなければならないものがあるでしょう?」

 神社の本殿の地下にある地下神殿のことだと、祥子にもすぐにわかった。

「SICSの皆さんが来てくれている間に、鎮魂祭を行う予定で、今、姉さんがその打ち合わせに出ているわ」

 神楽坂家の敷地内に立つ御玉神社は、表向きは婿養子である祥馬が神主を務める普通の神社だ。しかし、天御柱の呪術組織としての「神楽坂家」の当主は、妻である神楽坂三宝子であり、それを補佐する妹の弥栄子だ。代々守り伝えてきたものを鎮魂することを第一義の使命として、神楽坂家は、代々女性当主が巫女舞を継承することで家を守ってきた。

「なら私も手伝います。私も、舞を」

「大丈夫よ、祥子。姉さんと私、そして今回は、萌にも手伝ってもらうから」

「でも、私だって!」

「祥子は学院から重要な任務を命じられているのでしょう? 今回の件も、その任務に関係がある事象かもしれないけど、高天原の命令が優先されるわ。そちらだって、まだこれから始まるのだし、家のことであなたをわずらわせられないわ」

 まだ何か言いたそうにしている祥子の口を、立ち上がった弥栄子の指が物理的に塞いだ。

「グダグダ言わないの。ほら、必要な荷物や持っていきたいもの、早くまとめなさい」

「でも、そしたら祥次は?」

 寮に避難できる自分と違って、弟の祥次は普通の中学生だ。

「祥次はもう、志知郎兄さんの家に行ったわ」

 家から追い出されているのが自分だけではないことを知って、祥子はようやく諦めることにした。術師の卵とはいえまだまだ学生だ。未熟者がいると邪魔だと言われれば、これ以上わがままを言っても仕方がない。

「制服や教科書や呪具は先にまとめておいたから、あとは私物ね。段ボール3箱もあれば十分だと思ったけど、必要なら自分で組み立てて。16時ごろにSICSの人が東京に戻るときに、あなたを寮まで送り届けてくれるから。早くしないと間に合わないわよ」

 祥子の手にガムテープを乗せると、弥栄子はそのまま部屋を出て行ってしまった。

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