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痛みと友情

 車はクネクネとした細い山道を上っていた。山腹にある神社に向かう道で、しっかりと舗装され車通りもあるが、緑深い山の中に分け入って行くために周囲は薄暗かった。

 巫女の自宅で、四人は式服に着替えを済ませている。

 自分だけ山伏の格好をさせられていることをブチブチと愚痴っていた雅哉がようやく一息ついたところで、蒼雲は隣で押し黙っている裕樹に声をかけた。裕樹達は袴姿だ。

「大丈夫か、裕樹」

 キャップを開けたペットボトルを差し出す。

「ありがとう」

 浮かんだ笑みが作り笑いであることが蒼雲にはすぐに分かった。

「眩暈がひどくないか?」

「いや、もう落ち着いたよ」

「懐かしいな」

 弱々しく返事をする裕樹に小さく笑いかけながら、蒼雲が呟く。

「うん?」

 裕樹は、受け取ったアイソトニック飲料を喉へと流し込み、小首を傾げた。

「お前と初めて会った夜のこと。覚えているか?」

「あぁ、もちろん」

「あの時は、お前が蓋を開けてくれた」

 裕樹が蒼雲に初めて出会った樹海での夜、ペットボトルの蓋を開けて差し出したのは裕樹の方だった。

「痛みは一晩で抜けるとは思うが…」

「なぁ、蒼雲」

「うん?」

 手に戻ってきたボトルにキャップをしながら、軽い声で裕樹に応じる。

「あれが、猫化なのか…」

「まぁそうだな。一瞬だったが、色が飛んだだろう?」

「裕樹も同じ世界見たよね」

 グレーの尻尾を一度大きく振って体を起こした風霧が、蒼雲の膝から顔を上げて裕樹を見る。

「痛かった?」

 蒼雲の手が喉に触れ、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。

「初めてだと、視覚より聴覚の方がきついだろう。結界の中でノイズも絞られているから大丈夫だと思ったが、すまない。説明すると身構えてしまうと思ったから敢えてしなかったんだが…」

「いや、前もって聞いていたら完全にビビってたと思うから、聞かなくて良かったと思うけど…」

 裕樹は少し首を回して、斜め後ろの席に座っている梓乃も視界に収めた。

「私たちは、ノイズはノイズとして無視できるように訓練されてるから平気なんですけど、いきなりだと三半規管をやられますよね」

「あんな痛みを、蒼雲も梓乃ちゃんも日常的に耐えているってことだろ?」

「私は日常的にしているわけではないですから。それに、多くの場合耐えられていないのは、裕樹さんもご存知の通りですよ」

 梓乃が恥ずかしそうに、ぎこちない笑みを浮かべる。

「そうそう。ほんとの猫化は、あんなもんじゃないもんねー」

「だねー」

 蒼雲の膝の上の風霧が仰向けに仰け反って、隣で箱座りしている雲風の上にしな垂れ掛かる。

「こら。猫のくせに煩いぞ」

「えー、だって本当のことじゃん」

「蒼雲はツンデレだから照れてんだよ」

「照れてるかよ、馬鹿」

「照れてる照れてる」

「ッチ。もう撫でねーぞ」

「えー」

「蒼雲のケチ」

「ケチケチ〜」

「何がケチだ、うっせーぞ」

 蒼雲と二匹の猫とのやりとりはいつも通り楽しげで、眺めていると大事なことを忘れてしまいそうになる。裕樹は蒼雲の横顔をぼんやりと見つめた。初めて会った時から、蒼雲は裕樹の想像できない世界を生きている。裕樹の人生も平凡とは大きく外れてしまっているけれど、それでも、蒼雲が歩んでいる人生の方が桁違いに過酷だ。蒼雲の眼は今もまだ青銀色の猫の眼のままだ。

 裕樹は、左の掌に残る温もりとともに先ほどの激痛を思い出していた。

(ほんの一瞬なのに、危うく意識を失いそうになるほどの痛みだった。蒼雲は、今この瞬間もその痛みの中にいるんだろう?)

「蒼雲さん。こっちで大丈夫ですか?」

 助手席の森川が、軽く体を捻ってこちらを向く。最後の民家を過ぎて程なく、道は既に未舗装の林道に変わっていた。何度かの分岐を通過して、四輪駆動の車は、ひらすらに山道を登っていた。

「えぇ。行けるところまででいいですよ」

 車は斜面手前の少し開けた草地に静かに止まる。

「ここまでで限界ですね」

「ありがとうございます。十分です。助かりました」

「ここなのか?」

 雅哉が再び身を乗り出してくる。梓乃が興味深そうに窓の外を眺めている。

「ここから山歩きだ」

「まじかー」

「そう言っていただろう?」

「それは聞いてたけどよー、もっとなんかこう、ちゃんとした登山道みたいなとこじゃないのかよ?」

 愚痴る雅哉をよそに、蒼雲と裕樹はラゲッジスペースからリュックサックを取り出して背負う。二人それぞれの手には、袋に入れられたままの太刀が握られている。太刀は袋のまま肩にかけて携帯する。

「あの、私は」

 短弓を肩にかけた梓乃が、他の荷物のことを気にかける。

「梓乃ちゃんはこれね」

「こんなに小さい物で大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。梓乃ちゃんは自分の荷物だけ持ってくれれば。後は山歩きの専門家であらせられる雅哉御師(おし)が持ってくれるから」

 一番大きなリュックサックは、当然のように雅哉に差し出された。

「不公平だろー」

「富嶽先生から『山歩きは雅哉に任せて大丈夫だ。遠慮なく使ってやってくれ』ってお墨付き貰ってるからな」

「はぁ? なんだよ、親父、そんなテキトーなこと言って…」

 左手に錫杖、右手にリュックを手渡された雅哉は、富嶽がそこにいないことをいいことに、グチグチと文句を言い続けている。文句を言いながらも、手慣れた手つきで頭巾をつけているあたりは、体に染み込んだ習慣というのは恐ろしい。

「もうすぐ日暮れですが、本当に大丈夫ですか?」

 森川が心配そうな顔で、蒼雲に再度確認を取る。山歩きは四人だけで行くと伝えてあったが、帰りの足の件も含めて、彼は気にかけてくれていた。

「えぇ。想定していたので、野営の準備はしています。それに、帰りはどこか麓に降りたら、うちの者に迎えを頼みますから」

「そうですか……蒼雲様がそうおっしゃるのならば……」

 佐々木と顔を見合わせて、あまり納得はしていないような顔で頷く。

「遠隔での監視は継続中です。何かあれば、遠慮なく救援を呼んでください」

 猫塚も、実に心配そうな顔をしている。

「準備できたよ」

 裕樹が声をかける。彼の肩には、既に雲風がちょこんと座っている。

「何だ、お前。裕樹に乗せてもらうのか?」

「いいでしょー? 羨ましい?」

 二本の尻尾を裕樹の首に絡めた雲風が、「ふふん」と鼻を鳴らす。

「羨ましいわけねぇだろ」

「うそうそ。ほんとは羨ましいんだよねー。蒼雲は」

 ラゲッジスペースに座っている風霧も、ニマニマと笑いながら蒼雲を茶化す。

 猫達と会話をする時、蒼雲の表情はとてもリラックスしたものになる。

(本当に仲いいんだよな)

 裕樹は、それを、少し羨ましくも感じる。

「煩い。そんなこと言ってると、乗せてやらねぇから」

「えー。蒼雲のケチ」

 そう言いながら、風霧はすぐに、前動作も無く、ふわりと蒼雲の肩へと飛び移ってくる。

「では、行きます」

「はい。どうぞお気をつけて」

「ご武運を」

 大人三人に見送られながら、四人は急な斜面の森へと分け入っていった。


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