秩父へ
穏やかな陽気の昼下がりだが、気温は低い。
奥秩父に着いてすぐに、男性の遺体が見つかった現場を調べた後、一旦秩父警察署に寄ってから、裕樹達は一軒の家に立ち寄っていた。山間の小さな集落に建つ立派な木造の家だ。目的の口寄せの巫女の家ではない。テーブルを挟んで座っているのは、この家に住む主婦。五十代半ばの女性だ。彼女は長年、口寄せの巫女の手伝いをしていたのだという。
「度々すみません。増井さん」
森川が改めて頭を下げる。
「いえいえ。いいんですよ。先生のことを探して下さっているのですから、私の知っていることでしたら、何でもお伝えしますよ」
「彼らは別の事件を追っているのですが、その事件と、田原さんの失踪が関係しているかもしれないという話になって、それで今回伺った次第です。彼らはかなりの実力者ですから、新たなことがわかるかもしれません」
「そうですか」
増井米子が、眩しそうに目を細めた。
「皆さんまだお若いのに。相当優秀な術者でいらっしゃるのね? あぁ、私には特別な力はないのよ。だからそういうのまったくわからないのだけど」
増井はそう前置きをした上で、
「でも、先生のお手伝いをする間に、霊能力のある方にも何人かお会いすることがあってね。なんとなくだけど、力のある方はわかるようになったのよ」
と小さく笑った。増井米子は、口寄せの巫女の弟子というわけではない。かつて口寄せの巫女の力により家族を救ってもらったことがあり、それ以来、車に乗れない彼女のために、買い物や外出の手伝いなどをしていたらしい。無意識に相手の霊能力を推し量れる能力は、本人には自覚はないようだが、自身に霊力がある証拠だ。巫女と付き合ううちに、霊的な物事への理解も深まったのだろう。詳細は知らされていないものの、寄せの巫女が警察の特殊チームの手伝いをしていることも知っていた。それゆえ、彼女に対して自分たちが術者であることを隠す必要は無いと言われていたが、「優秀」という言葉はくすぐったい。
「早速ですが、いくつかお伺いしてもよろしいですか?」
蒼雲はといえば、そんなことは気にも留めずに話を先に進めたがっていた。
「どうぞなんでも、私の答えられることであれば」
落ち着いた表情でゆっくりと頷く。肩にかかる白髪混じりの髪が、その動きに従ってサラリと流れた。
「増井さんは、巫女が失踪した日の昼間、巫女と一緒におられたと聞いています」
「はい。おりました。先生に頼まれて、郵便局に荷物を出しに行って、それから買い出しに参りました」
増井の証言はSICSが捜査段階でまとめていて、その調書には全員が既に目を通していた。今日の発言もそれに矛盾しない。
「二点お伺いしたいことがあります。まず一点目ですが、荷物はいつも増井さんがお出しになっていたのですか?」
蒼雲が単刀直入に質問を繰り出した。
「はい、そうです。郵便局から郵便物をお出しするのは私の仕事でした。先生は車に乗れませんでしたから」
「最後にお出しした荷物の中に、小包はありませんでしたか? 内容物については具体的に書かれていなかったかもしれません。大きさは、このくらい。このくらいのものが五つです」
言いながら、蒼雲は荷物の大きさを手で示してみせた。
「はい。ありました。そのくらいの大きさの物が五つ」
「巫女は、その時、その中身について何か言っていましたか?」
増井は小さく首を横に振った。
「中身については聞いていません。ですが、先生は、よく信者さんに頼まれて、祖霊社に納める霊代の鞘を作ってお分けしていました。そのようなものをお送りすることは何度かありましたので、軽かったですし、おそらく今回もそうだったのではないかと思っています」
「しかし、今回それは、ゆうパックではなく普通郵便で出すように言われませんでしたか? 郵便局員にどれだけ他の方法を勧められても必ず普通郵便で出すようにと念を押されたのではありませんか」
「どうしてそれを?」
増井は驚きで目を見開いた。蒼雲の言葉には少しのためらいも無かった。
「まるで、その場にいらっしゃったみたいですね」
当日の朝、増井が口寄せの巫女と交わした会話の内容はまさにその通りだったらしく、彼女はその時の会話の内容を、一通り話してくれた。
「どういうことですか? 蒼雲さん」
梓乃が不安そうな表情で蒼雲を見る。
「証拠が残ると困ると考えたのだろう。小包などでは、発送記録が残る。宛先もわかってしまう。それに、中身がクマだということを知られたくなかったのかもしれない。」
「え? ではあのぬいぐるみが、先生の失踪に関係しているということですか?」
「おそらく」
(ぬいぐるみ?)
裕樹は一瞬それを問い質しそうになって、蒼雲が敢えてそこに触れなかったことを尊重して沈黙を守った。増井の目の表情が微かに変化しているのも感じる。
「ではもう一点質問です」
「はい。なんでしょう」
増井の声のトーンが確実に上がっている。目の前の少年への期待が、確信に変わったのだろうか。先ほどより興奮しているのが表情からもわかる。
「単刀直入に聞きます。あなたは、口寄せの巫女の居場所を知っていますね」
「え?」
最初の一言は裕樹の口から溢れた。
「はぁ?」
「まさか!?」
雅哉と梓乃が顔を見合わせ,森川と佐々木も思わず腰を浮かせていた。さまざまな反応が一気に湧き上がって部屋の温度が上がったような錯覚すら抱かせた。その場の全員の視線が、蒼雲に集まる。
「な、なんでですか!? 私がそんなこと…」
渦中の人物だけが視線を逸らし、しどろもどろな返事をする。明らかに動揺しているのがそのオーラからもわかった。二人の間にザワザワとした波が立った。
「そうですよね」
意外なほどにあっさりと、蒼雲はその波をかき消した。
「え?」
突っ込まれることを恐れて身構えていただろう増井は、押して来ていた圧力が急に引かれたことでかえって狼狽した。
「念のために、聞いてみたかっただけです。すみません」
蒼雲は何事も無かったかのように先ほどの言葉を謝った。
「それで、郵便局から送った荷物とは別に、巫女はあなたに荷物を一つ託しましたね」
「ど、どうしてそれを?」
「最初の質問に、あなたは『荷物の中身を知らない』と言ったが、その後すぐに、『あのぬいぐるみが失踪に関与しているのか』と聞いた。つまりあなたは、あの中身がぬいぐるみだと知っていた」
蒼雲の言葉は淡々と降り積もる雪のように冷ややかに、増井の前に舞い降りていく。彼女の目が、せわしなく左右に流れていく。
「そ、それは…そんなこと言ったかしら…、えっと。確かそれを先に言ったのはあなたではなかったかしら?」
髪を何度も耳にかける仕草をして、落ち着かない様子だ。
「いいえ。俺は『中身はクマだ』とは言いましたが、それがぬいぐるみだとは言っていません」
「そ…そうだったかしら?」
「それに、実際に送られた荷物は四つのはず。でもあなたは、荷物は五つだったと言った。つまり一つは、最初からあなた宛だったわけですね」
感情を排した蒼雲の声は、冷たく無機質だったが鋭さは無かった。むしろ、相手の心に入り込む穏やかな波を伴っているようであった。
「巫女は死期を悟っていたはずです。年齢のこともあるでしょうが、体を悪くしていたのではありませんか? そして、もし自分がいなくなったら、これを自分だと思って大切にして欲しい。と、ぬいぐるみの一つをあなたに託した」
容赦なく言葉が重ねられていく。増井の体から、ストンと力が抜けたのがわかった。大きく息を吐き出して、ゆっくりと視線を上げた。
「あなたは本当に、お力のある霊能力者なのですね」
それからテーブルの隅に置いてある湯のみに手を伸ばし、すっかり冷めてしまった緑茶を一口喉に流し込んだ。
「おそらく、あなたには何もかもが視えていらっしゃるのでしょう」
彼女は細い指で、再び髪を耳にかける仕草をした。諦めた、というよりも、安心した表情が、彼女の顔に浮かんでいる。
「おっしゃる通りです。私は、先生の無事を祈っていると申し上げましたが、本当は、先生はもう、この世にいないと思っております」
話しだした彼女を、全員の視線が黙って見守っている。水を打ったような静けさだ。
「先生は末期の肝臓癌だったんです。それで、余命半年と言われていて。それでも最後まで霊能者でいたいとおっしゃって。ですから私は、誰にも言わずにおりました」
「最後の荷物を預けた時、巫女は、これが自分にとって最後の大きな仕事になるかもしれないというようなことを言っていましたね」
「はい」
「それで、あなたに、ぬいぐるみを託した」
「蒼雲、それってまさか…」
テーブルの反対側に座っていた雅哉が思わず身を乗り出す。
蒼雲は、小さく頷く。昨日、野中美菜世が子供を殺害した現場で幽冥界に降りたとき、自宅に置かれていたのがクマのぬいぐるみだった。雅哉はそれを思い出していた。現場は火災で焼失している。現場検証では、その痕跡など見つかるはずもないものだから、ぬいぐるみがその場にあったことを知っているのは、あの日、幽冥界に降った二人だけだ。
「そのぬいぐるみを、見せていただけないでしょうか」
「わかりました。少しお待ちください」
増井はそう言って立ち上がり、客間から出て行った。
「もしかして、蒼雲。巫女がぬいぐるみを送ったと?」
足音が部屋から遠ざかるのを待って、裕樹が小声で蒼雲に話しかける。
「ぬいぐるみって、火災前の野中美菜世の自宅にあったというぬいぐるみと同じ物ですか?」
森川も会話に参入してくる。皆、気持ちが前のめりになっていた。
「おそらく」
応えながら、手元の封筒から紙の束を取り出した。
「昨日見ただろう?」
隣に座っている裕樹が同意に首を動かす。
「巫女の家から押収した物のリストですか」
「あぁ」
ワードのファイルで出力された表には、口寄せの巫女の自宅から押収した物品の一覧が、写真付きで掲載されていた。先日、警察庁の地下にある証拠品保管庫を訪れた際に貰ってきたものだ。梓乃もテーブルに肘をついて身を乗り出し、紙に視線を落とした。
「それが何か関係あるのか?」
「一つ、足りない物がある」
「足りないもの? なんですか、それは?」
森川の言葉を視線だけで受けた。扉が開いて、増井が戻って来たのだ。
「こちらです」
二十センチちょっとの大きさのクマのぬいぐるみだった。
蒼雲は差し出されたぬいぐるみを手に取った。
両手で挟んだぬいぐるみをしばらく見つめる。
「やはりな」
「どうした?」
「触れてみろ」
そう言って、ぬいぐるみを裕樹に手渡す。
「これは…」
裕樹の顔に、驚きの表情が浮かび、それがすぐに納得の表情に変わった。
「増井さん。これを、いただいても…、いや、この中の物を、いただきたいのですが」
「中の物?」
「巫女が託した物は、このぬいぐるみの中にあります。このぬいぐるみをあなたに託す時、おそらく巫女はこう言っていたはずです。『私はいなくなっても、これを持っていてくれればいつでも会える。私はこれといつでも繋がっているのだから』と」
増井はもう驚かなかった。蒼雲の言葉に深く頭を下げた。その通りという意味だった。
「それを知っている人は他にいますか?」
増井は静かに首を横に振った。
「いいえ。誰にも。主人にも話してはいません」
蒼雲はもう一度、手の中のぬいぐるみに視線を落とした。
「それはお持ちください。私は、先生に、こうも言われています。『もし私が、霊能力者としての最後の役目に失敗したとしても、あなたがこれを持っていてくれれば、まだお役に立つことができるかもしれない。だからしかるべき時が来るまで、大事に保管しておいて欲しい。そして、これを持っていることは、例え警察の人が来たとしても言わないで欲しい』と」
そして、申し訳なさそうに、森川と佐々木に向かって頭を下げた。
「先生は、『黙っていても、この存在を指摘してくる方がいらっしゃるだろう』と。今が、先生のおっしゃっていた『しかるべき時』だと思いますので、あなた方にそれを委ねます」
蒼雲は、増井の決意の籠った視線を真っ正面から受け止めて、
「ご期待に添えるよう、全力を尽くします」
と、力強く返事を返した。




