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兄のような

「一緒にいると何かが起こる」と、先ほど雅哉が皮肉を言ったが、ただの馬鹿げた冗談とも言っていられない。もうすぐ日比谷公園という位置まで来て、それは起こった。

「来たか」

蒼雲が唐突に立ち止まり振り返った。視線の先、二重橋前の方向から、一台のワゴン車が猛スピードでこちらに向かってきていた。

スピンをしながら突っ込んできた車は、四人の眼の前で派手にクラッシュして宙を舞い、破片を撒き散らしながらアスファルトに叩きつけられた。

激しい衝突音が、広場の人達の足を止める。

続いてもう一台。先ほどの車にぶつかってジャンプ台にでも乗ったように跳ね上がる。宙に舞い上がった車が、信号待ちの人で混み合っている歩道の方へ落下してくる。

「ダメだ、間に合わない!」

裕樹が叫んだ次の瞬間、歩道に向かっていたその青い車は、見えない壁に跳ね返されるようにして宙返りするように反転した。そしてそのまま、スローモーション映像でも見るように後端からゆっくりと地面に落下した。

(結界!?)

裕樹には、結界の気配が感じられなかった。猛スピードで突っ込んでくる車を受け止めるほどの結界強度なら、感知できるはずだ。しかし、顕現するまでわからなかった。超短時間、ピンポイントに高強度の結界を発動できる術者がこの場にいる。

派手な破壊音とともに、黒い影のようなものが横切ったような気がした。

夕方で混んでいたのもあるが、巻き込まれた車が十数台。

 ガソリンの臭い。

 鳴り続けるクラクションの音。

 悲鳴。

 叫び声。

 派手な交通事故に、現場は騒然となった。歩道を歩いていた人たちが、ざわざわと集まり騒ぎ出し、あちこちでスマホのシャッター音がする。

「おい、今の!」

 走り出そうとした裕樹の腕を、顔を伏せたままの蒼雲の右手が引き留める。

「蒼雲!」

「関わるな」

 抑えた声。

「お前、本気で言ってるのか!? さっきの車には、確かに……」

『……何か憑いていた』と言おうとした言葉を、裕樹はそのまま喉の奥にとどめた。ふと顔を上げた蒼雲の眼が、鋭い猫の眼をしていたからだ。その威圧感に、裕樹はギリリと奥歯を噛んだ。

「その判断は正解だ」

 突然別の声がして、裕樹は慌てて後ろを振り返った。

(いつの間に!?)

 全く気配はなかった。しかし、振り返ったすぐ後ろに、きっちりとスーツを着た青年が立っている。ざわめき立つ周囲とは隔絶し、そこだけ時が止まったかのような静寂があった。長めの前髪が額にかかり、眼鏡に影を落としているため、表情はうかがい知ることはできなかった。しかしその立ち姿の雰囲気だけで、裕樹には、彼が「こちら側」の人間であることがわかった。

「お兄様!」

 梓乃の嬉しそうな声。眼が輝いている。

 お兄様と呼ばれた青年が、視線と顔の動きだけで「こちらへ」と合図をする。

 すでに、サイレンの音が響いている。

 裕樹達は、青年に導かれるようにして交差点を渡り、日比谷公園に入った。人々の視線は事故現場に向かっている。その流れの中を、ひっそりと、木々の影へと移動する。

「もういらしていたのですね、お兄様」

 青年にピタリと体を寄せるようにして話す梓乃の声は、いつもより弾んでいる。

「今着いたばかりだが」

 青年はちらっと背後の交差点の方に意識を向けて、すぐに戻した。

「君たちは本当に、トラブルに愛されているな」

 落ち着いた声音。耳の奥に響く、心地よい低音だ。

「お久しぶりです。柾一郎(せいいちろう)さん」

 蒼雲が青年に声をかける。蒼雲も長身の部類だが、柾一郎と呼ばれた若者はさらに背が高い。身長差は15センチくらいか。

「あぁ。久しぶりだね」

 華奢な細身のグレーのスーツをピシリとまとったその姿は、しなやかなネコ科動物。そう、まるで、チーターのような姿だ。差し出された手を、蒼雲が躊躇なく握り返す。少し離れたところで、裕樹はそれを興味深く眺める。

 蒼雲が何の警戒もせずに握手に応じる相手というだけで、特別な人間なのだろうと思う。

「雲風さんも風霧さんも、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

 柾一郎も、蒼雲の猫たちには特別丁寧な言葉を使う。当然のように霊体化した2匹の猫たちに、軽く頭を下げる。柾一郎の右手に頬を擦りつけた風霧が、ふと顔を上げて、

「柾一郎は寝不足気味だね」

 とニヤリと笑った。

「わかりますか? やっぱりごまかせませんね。最近仕事がたまっていまして」

「フフン」

 得意げにヒゲをピクピク動かしている猫は、化け猫だとわかっていても愛らしい。

森景(もりかげ)は?」

「あぁ、事故現場でSICSの人間が来るまでの見張りを頼んでいます」

「あー、いいなー。オレたちも行く」

「行ってくる」

 風霧と雲風は、ほんの一瞬、使役者である蒼雲を仰ぎ見て許可を取ると、柾一郎の猫がいるという事故現場へと風のように駆けて行ってしまった。

「警察庁の猫森柾一郎だ。よろしく」

「待ち合わせの人って、もしかして?」

「えぇ。お兄様です」

「きみが、弥生班長の息子さんだな?」

 雅哉とがっしりと握手をしながら、柾一郎が笑みを浮かべる。梓乃とどことなく雰囲気が似ているのは、やはり兄弟だからだろうか。

 眼鏡を外して、額にかかる柔らかな前髪を搔き上げる、ただそれだけの動作ですら洗練されて見える。

「お袋、いや、母のことをご存知なんですか?」

「もちろん。俺は兵部(ひょうぶ)の所属だが、刑部(ぎょうぶ)とは日常的に一緒に仕事をしているからね。弥生班長にも、遠山隊長にもお世話になってるよ」

「そりゃ、どうも」

 苦笑いを浮かべながらぺこりと頭をさげる雅哉が、なんとなく可愛らしい。

 辺りはすっかり色を落として、街灯の明かりだけが公園の緑を照らしている。

「で、御鏡裕樹くんだね?」

「はい。はじめまして」

見下ろしてくる柾一郎の目は、緑色の猫の眼をしていた。

「俺も、兵部司(ひょうぶのつかさ)の所属でね。御鏡副長官の直属の部下なんだ」

親しみが存分に込められた声。自分の知らないところで父は、とても良い上司をしているらしい。そう感じさせてくれる気持ちのこもったオーラだ。

「え? でも、あなたは警察庁の」

「あぁ。そうだよ。国内の治安維持の監視ってことで、兵部司は公安の役目を担っている。兵部司自体は、警察組織とは全く別系統で、天御柱(あまのみはしら)の直属だから、中の人間が全員警察官というわけではないんだが、合法的に全国の警察を動かすには、組織に属していないと不便なこともあるからね。それで、全国の公安警察に指示を出す役目として、兵部司の人間が何名か、警備局に籍を置いているんだ。猫使いの家はここで働いている者が多くてね。今、俺のいる課には、猫海家の長男と、猫塚家の次男がいる。おかげで、猫さんトリオとか呼ばれてるよ」

裕樹には、まだまだ知らないことがたくさんある。兵部司や超常現象捜査班(SICS)の組織図に関しても、警察との関係についても、よくわかっていない。梓乃の兄が警察官だったことも、初めて知った。無意識に、ため息が口をついて出る。

「どうした?」

柾一郎が心配そうに覗き込んでいる。

「いや、まだまだ知らないことがたくさんあるなと思いまして」

「秘密主義だからね、御鏡さん」

フッと、柾一郎が小さく笑った。

「遠慮せずに聞けばいい。聞かれたことには答えてくれる。こちらから知りたいと願えば、ちゃんと教えてくれる。ただ、知ってしまうと逃げられない。その覚悟があるかどうかだ。御鏡さんは優しい人だから、逃げ道を塞ぎたくなかったんだろうな。天御柱にとってきみが不可欠な人材であることを知りながら、それを強制しない。俺たちからみれば、羨ましいくらいに優しい」

「……はい」

自覚はある。甘やかされている自覚は。そして、それに甘えてしまっている自分にも。

話している間にも、続々とサイレンの音が近づいてきて、背後の事故現場がさらに騒然としてくるのがわかる。すっかりと夜の色に包まれた周囲の木々が、赤色灯に照らされている。

「もうすぐSICSの連中も来るから、あれは大丈夫だ。幸い死者も出ていないようだしな」

ほんの少しだけ意識を背後に移して、柾一郎が落ち着いた声で言う。

「柾一郎さんの適切な防壁のおかげですね」

その言葉に、裕樹は、柾一郎に向けていた視線を慌てて蒼雲に戻した。

「防壁?」

雅哉が怪訝そうな声を上げる。

「歩道に向かった車が見えない壁に跳ね返されたように見えました」

「大したものではないけどね」

柾一郎が裕樹を、そして雅哉の顔を見る。

「生徒の車が巻き込まれなかったのは、蒼雲くんが何かしたからだろう?」

ニコリと口角を吊り上げたままの柾一郎の視線が、蒼雲に移る。学院の生徒の乗った車が何台か、直前で現場をすり抜けて行ったのを、柾一郎は見逃していなかった。

「護身用に式神を渡しただけですよ」

「なるほど。それで結界の縁で外れたのか」

「外れたって、さっきの、車に憑いていた? あれはどうなったんですか?」

自分が走り出そうとしていたあの一瞬に、二人の猫使いが、人の目に見えない形で戦っていたことを知って、裕樹の声が上ずった。

「心配ない。今頃、森景(もりかげ)が食べてしまっているだろう」

対する柾一郎の声は落ち着いている。ゆっくりと裕樹の方に向き直る。視線が合う。

「あの時、走っていってどうするつもりだった?」

深い森の緑のような瞳に、心の奥まで見通されてしまっているような気分にさせられる。

「きみは意外と直情型だな。正義感が強いのは素晴らしいことだが、俺たちの仕事は、人目につかないことが大前提だ。時には、関わらないという選択も必要だ」

柾一郎のいうことはもっともだ。その言葉に裕樹は「すみません」と小さく謝る。指摘されるまでもなく蒼雲のようにはうまくいかない。

裕樹は、ぐっと唇を噛んで俯いた。情けなくて泣きだしそうな気分だ。

「実はさっきのは、俺が兵部司に入った時に、御鏡さんに言われた言葉なんだ。俺も、昔はきみみたいでね。後先考えずに守りたいって思うタイプだったから、最初は大変だったよ。目の前で起こっている事象に関わらない選択をすることほどつらいことはないからね。俺たちの仕事は、不用意に表に出てはいけないんだ。覚えておくといい」

凹んで俯いている裕樹の頭を、柾一郎の手が優しく撫でる。まるで弟に接するかのように。それだけで、裕樹の気持ちが動いていく。

「人間としての正しさと、天御柱としての正しさは、時に大きく違っている。理解できても受け入れるのは難しいがね。今回だってそうだ。学院の生徒を関わらせないようにしようとして、一般市民を危険にさらした。正義感の狭間で苦悩するところさ」

柾一郎は、自らの心にも葛藤があることを、改めて言葉にした。

「知りたいことがあればなんでも聞いてくれ。俺に答えられる範囲のことならなんでも答えよう」

「ありがとうございます」

裕樹は、兄のように優しさをかけてくれる柾一郎に丁寧に頭を下げた。

「それにしても、お兄様。目的はなんだったのでしょう?」

「後ろ2台の車はどこのかわかるか?」

「はい。藤間家と先頭を走っていたのは神楽坂家の車です」

「蒼雲くんが式神を渡したのも?」

「そうです」

「神楽坂家か……」

柾一郎が一瞬何かを考えるようなそぶりをした。

「何かあるんですね?」

「その話は後だ。梓乃。お店の予約をしてるんだろう?」

「はい。18時です」

「では急がないとな」

救急車のサイレンの音がひっきりなしに響いている。周りの喧騒に振り回されることなく、五人は静かに公園の中へと消えた。

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