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新たな影

「しかし、どうして学校あるんだよ。まったく」

 後部座席で、雅哉が愚痴る。朝から、もう二桁になるくらいに口にしている台詞だ。学院の暦では、祝日は一切関係なく普通に授業が行われる。特に今年は、非常事態宣言が出されており、月一で実戦型の実習が予定されている。入学式が2週間以上遅れた上に最初の模擬戦が来月半ばに迫っているので、授業時間が足りないのだという。

「あぁぁ。世の中はゴールデンなホリデーだぜ。それが1日もないってどうなってんだよ。ほら、見てみろよ。いつもなら渋滞しているこの道も、こんなに空いてる」

 学院までは車で十五分ほどだが、朝の通学時間帯は、通勤時間と重なることもあり三十分はかかるのが普通だ。

「雅哉さん。文句を言っても状況が変わるわけではないので諦めましょう」

「そうだぞ、雅哉」

「なんだよ。みんな休みたくないのかよ」

「確かに、俺も休みたいって気持ちはあるけど、それでも仕方がないだろう? でも、今日は午後からSICS本部だし、少しは気分転換になるんじゃないか?」

 前列に座っている裕樹が慰めるように振り返る。

「それだって仕事だろ」

「でも、久々に街歩きできるし、それに、喫茶店くらいなら寄ってもいいって言われているじゃないですか」

 梓乃が言うように、SICS本部までは徒歩で行っても構わないという許可をもらっていた。それに加えて、喫茶店に寄ってもいいという寛大な対応だ。

「街歩きったって、大した距離じゃないだろ? あぁぁ。やだやだ。高校生にもなって、自由に遊び回れないなんて、マジないわ」

「嫌なら行かなくていいんだぞ」

 まだ愚痴っている雅哉に、前を向いたままの蒼雲が冷たく言い放つ。

「わーい。雅哉だけ留守番」

「るすばんるすばん」

 座席の背もたれによじ登って戯れあっている蒼雲の二匹の猫が、クスクスと笑う。猫にまで馬鹿にされて、雅哉は不機嫌そうに口を尖らせた。

「なんだよ。俺は繊細なんだぞ。もっと大事にしろよな」

 他人にあまり興味を示さない蒼雲だが、雅哉をからかうのは楽しんでいる節がある。大人に囲まれて、常に物事の裏の裏を読みながら生活してきた蒼雲には、単純明快な反応をする「子どもらしい」雅哉が新鮮に映るようだ。不貞腐れる雅哉たちを乗せたまま、車は学院に向かっていた。


 ***


「梓乃ちゃん、あれ」

 廊下を曲がったところで、裕樹が傍の梓乃に呼びかけた。教室の前に、人が立っていたのだ。制服姿で、カバンを手に下げた女子生徒は、先週食堂で昼食を共にした、神楽坂祥子だ。長い髪を、右肩に垂らし緩く三つ編みで結んでいる。裕樹たちに気がついて頭を下げる。

「おはようございます。祥子さん。どうされたのですか?」

 梓乃が駆け寄って話しかける。裕樹たちが使っている教室と祥子が使っている教室とはフロアも違っているし、位置関係も正反対で遠く離れている。朝一でわざわざ訪ねてくるからには、何か大切な用事でもあるのだろう。

「登校直後に申し訳ありません。見ていただきたいものがあって」

「見てもらいたいもの?」

 梓乃が裕樹の顔を見上げる。

「とりあえず、こんなところではなんだから教室の中へ。授業が始まるまでにはまだ時間がある」

 梓乃と祥子が、ほぼ同時に小さく頷いた。

 椅子に腰掛けるとすぐに、祥子は、カバンの中から、小さな布包みを取りだした。それを静かにテーブルの上に置く。白い布に包まれた、十五センチほどの長方形の物体だ。布の縁に封印の印が描かれている。

「中身は木札です」

「触っても?」

「はい」

 彼女の前に座っている裕樹が、慎重に白い布を広げる。二重の布に包まれた中に、半分に割れた木札が入れられていた。

「蒼雲」

 立ったままでいる蒼雲を見上げる。その声が緊張している。

「うちの信徒の方で、一人暮らしの三十代の男性の家から見つかりました。本人は二週間ほど前から行方不明になっているようで、警察にも届けを出しているようですがまだ見つかっていません」

「SICSには?」

「SICSから、うちに問い合わせがあったのです」

 蒼雲の手が、木札の半分を拾い上げた。

「どういうことだ?」

 雅哉も、残された半分の木札をひっくり返して確認している。

「式神の気配がする」

 左手に乗せたままの木札を見通しながら、蒼雲がつぶやいた。彼の青い猫の眼が、木札に残された気配を探り当てたのだ。

「はい。三ヶ月ほど前、その男性から、自分の周囲で良くないことが続く、そして誰かに見られているような気配があると相談を受けまして。もともと霊に敏感な方だったようです。父が、そのために、身を守るための式神を作ってお渡ししたのです」

「なるほど。その式神が、これを割ったのか」

「え? まじ? そうなの? うーん。俺には全く式神の気配なんかしないんだけどなぁ」

 下半分の木札を掌に乗せて目を瞑ってみたり両手で挟み込んでみたりして、雅哉はブツブツと独り言を言っている。

「その方のご自宅には、うちから差し上げている護符が何枚か貼ってあったのですが、それが全て損壊していたために、SICSから問い合わせがありました。父達が昨日確認に行って、天井裏で、その板符を発見したのです」

「で、SICSからは、直接俺たちに持っていって渡せと?」

「はい。本件は、すでに蒼雲さん達に、いえ、私たちに任せたものだから、と」

「なるほど」

 蒼雲が布の上に戻した呪符を、裕樹も手にとってまじまじと見た。真新しい木札に、朱墨で禍々しい呪が書き込まれている。

 象形文字のようにも、ただの記号のようにも見える不思議な文字は、神代文字のひとつとされているものだ。裕樹も、学院で教科書として利用されている古文書で、解説されているのを見たことがある。

「学院の襲撃の際に使われた呪と同じものですか?」

 梓乃も心配そうな顔で、裕樹の手の中のものを覗き込んでいる。

「いや。それとは違うようだね」

「これは、相手を意のままに操ることを意図して作られる呪符だが、普通は、血液など、本人につながるものが必要だ」

 裕樹には何の符かまではわからなかったが、蒼雲は的確にそれが何かを言い当てた。

「朱墨に血液を?」

 梓乃が顔を上げて蒼雲と目を合わせる。梓乃の眼も、緑色の猫の眼をしていた。

「かもな」

 祥子も不安そうな顔をして蒼雲を見上げる。

「この方の行方はわかりますか?」

「残念ながら、もう生きてはいないようだ」

 感情を抑えた蒼雲の返事に、祥子の顔が曇る。自分でもわかっていたこととはいえ、信頼できる相手に改めて言われると事実となって逃げ場がなくなる。

「そうですか、やはり……」

 俯いた彼女の肩を梓乃が優しく抱く。

「おそらく、体は式神と同じ場所にある。還呪で辿れば見つかるはずだ」

「今回の件も、土御門典膳の仕業でしょうか?」

「連中は、目的は不明確だが、人間の死体を集めている。中でも、心臓に強いこだわりを持っている。表立って一般人を手にかけるようになったのは、焦っているのか、それとも、俺たちを挑発しているのか」

 腕組みをした蒼雲の顔はいつもと変わらないように見えたが、纏っている気は、刃のように鋭く尖っていた。

「信徒の方で他に同じような目にあっておられる方は?」

「聞いておりません」

「祥子さんのご家族にも影響は出ていませんか?」

 裕樹の問いに、祥子は首を横に振った。

「ありません。護符が破られたことの影響も特には」

「式神には手を出していないからなのか?」

「これは呪殺の符だ。相手を死にたい気分にさせる。そして、目的を達すれば自ら燃えてなくなるような種類の符だ。おそらく、神楽坂家の式神が追いかけ回して割ったおかげで燃えずに残った。神楽坂家に直接なにかをしかける気があったわけではないと思うが、その男性が、術師に守護を依頼していたことは知っていたのだろう」

「では部屋の護符を破ったのは、それを意図した人間か……」

 裕樹は、板符に触れていた手を離し、もう一度、蒼雲の顔を見上げた。

「わざわざ破ってまで自分たちの力を誇示しようとしたってことか?」

 雅哉の言葉には、誰も答えを返せなかった。

「新入生が殺された時のように、術師が直接狙われるケースもある。気をつけておいた方がいい」

「祥子さんも、式神をつけているのでしょう?」

 入学式の日に、入学予定の新入生が殺されたことから、新入生たちには、身近に式神を置いて身を守るようにという厳命が下されている。

「私はまだ式神法を上手に扱えないので、父に付けてもらっています」

 授業開始五分前を知らせる予鈴が鳴った。教室に帰る祥子に、十分に気をつけるようにと声をかける。彼女は、何度も頭をペコペコと下げて、上のフロアに戻っていった。

 机の上には、祥子が置いていった木札が置かれている。すでに呪力は失われているとはいえ、ゴミ箱に不用意に捨てられるようなものでもない。

「で? これ、どうすんだ? 何かに使うのか?」

 木札を指先で弄ぶようにしながら、雅哉にしては珍しく

「すでに呪詛返しにも使えないし、特に新しい情報を持っているわけでもない。SICSの保管庫にでも置いてもらうか」

「へぇ。そういうこともしてくれるんだ」

「雅哉さんって、本当に弥生班長のお仕事内容知らないのですね」

 梓乃が驚くのも無理はない。遠山家は、夫婦揃ってSICSのリーダーをしているのだが、息子の雅哉は、本当に両親の仕事内容を知らされていないらしい。

「信用ないからじゃない?」

 テーブルに寝そべっていた雲風が、二本の尻尾をバタバタと振りながら実に意地悪な言い方をする。

「容赦ないな」

 裕樹も苦笑いを浮かべている。

「真実を知れば自由がなくなる。言わなかったのは二人の優しさだろう」

 蒼雲が意外にも雅哉をフォローするような言い方をしたので、裕樹はこちらにも苦笑いを返した。

「とにかく、連中は死体を集めようとしている。表に出ているものだけでもこれだけの数ある。身寄りがない人などが狙われていれば、もっと件数が増えるはずだ。それに、今回の事件は、意図的に霊力が強い人間を選んでいる可能性を示している。目的が違うのかもしれない。あの夜俺たちを襲った黄泉津醜女(よもつしこめ)も、恐らくは、そうやって復活させられた鬼だ」

「なぁ、蒼雲。新入生みんなで土蜘蛛衆の壊滅にあたれってことなら、そろそろ俺たち、一度集まって対策を考える時なんじゃないか?」

「そうだな。秩父の案件が一区切りついたら、一度集まってもらおうと思っている。全員の技術と能力についても、早めに把握しておく必要がある」

「模擬戦も来月ですしね」

 返事を返す代わりに、蒼雲の目が入り口の扉に向けられた。机の上に寝転がっていた猫たちの耳も一斉に動く。足音を立てることもなく、担任の猫風蒼龍が教室内に入ってきた。羽織袴姿だ。先ほど猫風家の道場で顔を合わせたばかりだが、学院内で会うと、また雰囲気が違う。彼の両肩に乗っていた二匹の猫が、軽やかに机に飛び移ってくる。フワフワの長毛が、軽やかに揺れる。黄茶の被毛に黒い縞の入った猫が虎風、銀鼠色の被毛に黒い渦巻き模様が入った猫が龍風。どちらも、蒼龍の使役する化け猫だ。

 机の上には、まだ先ほどの板符が置かれたままだ。

「それは?」

「神楽坂家の信徒の家から見つかった木札だそうです」

 立ったままの蒼雲が説明する。SICSから報告があったのだろう。それ自体には驚くこともせずに木札を一瞥する。

串魂根(くしだまね)文字か」

 チラリと見ただけで、蒼龍は全てを理解したように、文字の名を口にした。

「はい」

 返事をしたのは蒼雲だけで、残りの三人はきょとんとしている。

「ちょうどいい。神代文字大全は持っているな? 護符の講義の時間だが、先に串魂根(くしだまね)文字の説明をしてやる」

 教科書類は、教室内の棚に置かれている。それを取り上げ全員が席に着いたタイミングで、授業開始のベルが鳴った。

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