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ぬくもりの記憶

久々に続きをアップすることにしました。

 優しい声が自分の名前を呼ぶ。

 温かな手が頬に触れる。

 体を包むフワフワとしたぬくもり。

 そのぬくもりに身を委ねて、思い切り甘えてみる。

 とても幸せな気分だった。

 頬に触れる心地よい振動。

 光に包まれた穏やかな場所。

 肌に触れる暖かな気配。

 甘く蕩けるような匂い。

 自分の体を包み込んでくれている女性の柔らかな感覚。

 髪を梳いてくれる優しい手。

 自分の名前を愛おしそうに呼んでくれる優しい声。

 魂を両手で温めてもらっているような心地良さ。

 幸せな気分が体中を駆け巡り、心が癒されていく。

 温かく柔らかく幸せな感覚に包まれる。

 静かに顔をあげて、自分を抱きかかえてくれている女性の顔を仰ぎ見る。

 まばゆい光のせいで、その顔がよく見えない。

 朗らかな笑顔。

 一生懸命に目を凝らしても、その顔は良く見えない。

『蒼雲』

 優しい声が自分の名を呼ぶ。

 首筋に触れてくる暖かな手の感触。

 じんわりと体の奥にまで浸み込んでくるぬくもり。

 幸せな気分。

 ずっとここにいたい。

 ずっとこのまま。

 いつまでも、ずっと…。



     *****

 頬にフワフワとしたぬくもりを感じる。

 眼を開くといつもの灰色の世界。

 枕元で、灰色の長毛猫が丸くなって眠っていて、その背中に顔を埋めて眠っていた。刹那的な眠りの中、幽冥界に降りた。猫風蒼雲は、ほんの少し明るくなっている廊下の障子を見ながら、幸せな気分に浸っていた自分に嫌悪する。

 自分には、幸せになることなど、許されてはいないのに。

 今朝も体はだるい。

 今日は三時起床を免除されていたが、体に沁みこんだ日課は、こんな気分の日でも変わりなく彼を目覚めさせていた。

 体を起こすと体中が痛んだ。

「…っく」

 無理もない。並の猫使いなら、完全猫化の後は数日間起き上がれないのだ。無意識のうちに痛覚を遮断していたのか、手先の感覚が鈍い。数回手を開いたり閉じたりして感覚を確認する。

 時刻は時計を見なくても分かる。たぶん、二時五十分だ。

 首筋に、優しく触れた女性の手の感覚が、まだリアルに残っていた。夢だったとは思えないほどに。

 蒼雲は、左の首筋に右手を添えた。傷の上に貼られた絆創膏のカサカサした手触りが返ってくるだけだ。昨日の呪法の際に雲風に噛ませた傷だ。小さくため息をつく。

 起き上がって、寝間着から道着に着替える。

「うぅぅん? どうしたの? 早いじゃん。もう時間なの?」

 枕元で眠っていた風霧が、首だけをこちらに回して話しかけてくる。

「いや。ちょっと散歩だ」

「散歩?」

「庭に出てくる。お前たちは寝ていろ」

「ふにゃぁぁん」

 風霧は、気怠そうに欠伸をしながら返事をする。壁際の座布団の上で眠っている雲風も、大欠伸をしながら思い切り体を伸ばしている。

「せっかく休みなのに、蒼雲はまじめだね」

「そんなんじゃねぇよ。ただの習慣だ。それで、眠れなくなっただけだ」

「眠くないの?」

「くそだるいし眠い」

「体は?」

「痛くないの?」

「痛いに決まってるだろ」

「ツンデレだな」

 雲風が寝転がったままニヤッと笑いながら見上げている。

「ツンデレツンデレ」

 二匹の猫が楽しそうに笑う。

「他人事だな、お前ら。それにその使い方、たぶん間違ってるぞ」

 楽しそうな猫達を呆れた目で見下ろして、気怠そうに首を回す。今日も体は痛い。袴を付けて、しっかりと紐を結わえる。何千回と繰り返して来た動作。体が無意識のうちに動く。寝ている風霧をそのままに、落とさないように器用に布団を畳む。睡眠時間が足りない自覚はある。猫化してアドレナリンが出ているからなんとか体が動くが、油断したらぶっ倒れそうだ。体は重く、痛む。それでも、長く眠ることもできなかった。

「ねぇ蒼雲」

 首だけを器用にこちらに向けながら、雲風が話しかけてくる。

「うん?」

「蒼雲は、生きるの楽しい?」

「あ? なに当たり前のこと聞いてくんだよ。楽しいわけ無いだろう」

「蒼雲は虐められるの好きだから平気だって」

「なんだよ、それ、誰が言ったんだよ」

「源五郎」

「ったく。源五郎のヤツ」

 小さく舌打ちをする。言われてみて、蒼雲は改めて考える。端から見れば、おかしな話だろう。嫌なのに、わざわざ虐められに行くなんて、どう考えても。

「うーん。そうだな。そりゃぁもちろん、やりたくない。辛いし、痛いし、眠いし、だるいし。でも猫使いでいる以上は、修練積まなきゃなんない。仕方ないだろ。選択肢は無いんだ。それに、楽しくはないけど嫌いじゃない」

「真面目だね、蒼雲は」

「そんなんじゃねぇよ」

「蒼雲は真面目なのに不良のふりしてる、ツンデレなんだって」

「それも源五郎さんの話か?」

「そう」

「ったく。久しぶりに来たかと思えば、ろくなこと言わねーな。もう」

 蒼雲は、土曜日の夜に不意に訪ねてきた黒猫のことを愚痴った。そもそも、最初に風霧と雲風に「ツンデレ」という言葉を教えたのも源五郎だ。源五郎は、猫王の側近を務める化け猫で、猫風家とは非常に縁が深い。猫岳を拠点に、高天原から依頼される仕事で全国を奔走している最上位の化け猫の一匹だ。父親の蒼龍とは頻繁に会っているようだが、家まで訪ねてくるのは非常に珍しい。

「蒼雲が生きるの嫌いでも、俺は楽しいぞ」

「アタシもー」

「蒼雲と一緒に遊ぶの楽しいもん」

 風霧は折りたたまれた布団の上をゴロゴロと転がる。そんな風霧の頭を撫でてやって、蒼雲は立ち上がった。

「こっちは楽しくないけどな。でもまぁ、俺も、お前らと一緒にいられるのは楽しいかな」

「わーい。楽しい楽しい」

「うれしいにゃぁ」

(俺が甘えられるのは、お前らだけだからな)

 猫たちの台詞を背中で聞きながら、蒼雲は一人、ヒンヤリとする廊下に出た。

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