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心に刺さる棘

 蒼雲の手がドアノブにかかる。

「なぜなの? どうして彼女は戻らないの?」

 弥生の棘のある声が扉の外にまで聞こえた。

 シャワーを浴びて元のスーツに着替えた蒼雲は、そのタイミングでモニタールームに戻って来た。

「呪法は成功したのよね。現に彼女の魂は、ここに戻って来ているのだから」

 椅子に腰掛けたまま、弥生が隣の部屋を覗いている。

 部屋の中には、相変わらず生気のない顔をしたままの野中美菜世が寝かされている。

 最初と違うのは、彼女のベッドのすぐ脇に、彼女自身の霊体が立っていることだ。悲しそうな顔で、己の体を見下ろしているのが、術者であるその部屋の全員に視えていた。

 部屋に入ってその姿を確認した蒼雲は、軽く眉を顰めた。

「ならどうして、彼女の魂は体に戻らないの?」

 つい先ほどまで、野中美菜世の診察をしていた医務官が弥生の前に座っている。弥生は彼に対して質問を重ねてぶつけている。

「体の方も魂の方も、戻ることに何の問題も無いはずです。経絡糸も強化されていて、すでに肉体と魂は太く結ばれています。それでも帰魂の呪法を受け入れません。あれだけ試しても戻らないということは、もう、彼女自身が戻ることを拒否しているとしか思えま……」

「だから! その理由を聞いているのよ」

 医務官の煮え切らない答えに、弥生は声を荒げる。本来語るべき美菜世の霊魂自身も、その理由を明らかにしていない。

 弥生は心の中のイライラを押しとどめ、抑えた表情で、席に着いたばかりの蒼雲に視線を送った。

「蒼雲君、野中美菜世の魂が、肉体に戻るのを拒否しているわ」

「そのようですね」

「あなたにはなぜだかわかる?」

 蒼雲は、ほんの一瞬、父親の方に視線を向けた。蒼龍は腕組みをしたまま眼を閉じている。全ての判断を、蒼雲に委ねるということだろう。

 蒼雲は気持ちを整理するように眼を閉じて、大きく息を吐いた。

 改めて弥生と目を合わせる。

 裕樹も梓乃も雅哉も、固唾を飲んで蒼雲の答えを見守っている。

「先ほど敵が送って来た呪詛は、あらかじめ準備されていたものではありませんでした。おそらくあいつらは、自分たちのアジトが発見されるとは思っていなかった。なぜなら、アジトに、彼女の魂が入ったものがあることを知らなかったからです。俺が彼女の魂を追跡してあの場所に辿り着いて、それに気がついた連中の中の誰かが、慌てて、考えなしに呪詛を放った。何の準備も無く、大した威力も無いモノを、無秩序に。そして俺がその呪詛を打ち返した。返されることも想定していなかったとみえて、もろに食らってましたね。おそらく呪詛返しにあたって、生きてはいないでしょう。手加減はしませんでしたから」

「容赦ないな」

 雅哉が苦笑いを浮かべる。地図の赤い印がつけられた場所には、術者の捕縛のためにすでにK-SICSから人が派遣されているが、蒼雲の口ぶりだと、彼らの仕事は遺体の回収になりそうだった。

「やりすぎたとは思っていない。やつらは、死をもって償ってもあまりあるほどの苦痛を、彼女の魂に与えたんです。彼女が、自ら死を切望するくらいに激しい痛みです」

「随分状況を把握しているのね」

「彼女の魂に直接触れたんですよ。痛みは、直接感じています」

 いったん雅哉に向けた言葉を、再び弥生に戻す。

「ちょっと待て、それってつまり…」

 彼女が死にたいと思うほどの苦痛を、蒼雲は共有したということを意味している。裕樹はその言葉の意味に気がついて息を飲んだ。

 蒼雲はそのことを語らなかった。視線だけを裕樹に合わせて、そして少し悲しそうな顔をしてから黙って外した。

「それはつまり、彼女の魂は捕らえられていたわけではないと?」

「えぇ。捕らえておく意味がないからです。連中はおそらく、霊魂には興味が無かったはずです。もし興味があったのなら、憑依のために使った器が、逆に自分たちの持ち物に憑依したことに気がつかないようなドジはしないはずです。それに連中は神降ろしには興味があっても、人には興味は無いですよ。人の魂では、弱すぎますからね」

 蒼雲の意図していることを感じ取って、梓乃の表情が曇る。憑依されて体を操られていた時間も、野中美菜世の魂は体の中にあったのだ。彼女が何を感じていたのかは、想像に難くない。

「憑依されて意識を乗っ取られた時に、よほど恨みに感じたのだろう。子供の命を奪うことは、彼女にとって何よりもつらいことだったはずだ。死を選ぶほどに」

 目を潤ませてい唇を噛んでいる梓乃の方に少しだけ顔を向けて、蒼雲は梓乃の感情を抑えるような口調で言った。

「それで魂は、体に戻ることを拒否しているというわけね」

 弥生が腕組みをする。もう一度、マジックミラーの向こうの霊体を視る。

「愛していたのね。子供達を」

「えぇ、たぶん、とても強く」

 そちらに背を向けたまま、蒼雲ははっきりと言った。

 母親の無償の愛について……。

 一瞬だけ記憶が蘇り、古い傷がズキリと痛んだ。

 弥生は医務官の表情を伺って、自らの側近の梨木の方を見た。どうしたらいいのか、みな判断をしかねている。

「どうしましょう。班長」

 梨木の声も悲しみで重い。

「猫風君、あなたはどうしたらいいと思う?」

 弥生の呼びかけで、これまでずっと黙って腕組みをしていた蒼龍が目を開く。蒼龍は、応える代わりに視線を蒼雲に送る。二人の目が合う。その一瞬に、二人の間に精神感応による意思疎通があったかどうかは周囲の人間にはわからなかった。それでも、蒼龍が、判断の全てを蒼雲に委ねたことだけはわかった。

 皆の視線が、蒼雲に集まる。

「聞きたいことはすべて聞きました。自分たちは、もう彼女に用はありません」

 冷たい言葉。

 蒼雲の口からは、彼女を突き放し責任を放棄するような言葉が飛び出した。

「蒼雲君…」

「蒼雲さん」

「蒼雲、お前なぁ」

 弥生が、梓乃が、雅哉が同時に彼の名を呼んだ。裕樹だけが、グッと口を引き結んだまま、黙って蒼雲を見ていた。

「彼女の魂を、彼女の意に反して肉体に戻すことが正しいことなのか、自分にはわかりません。少なくとも自分は、それを判断する立場にありません」

 その言葉に、誰からも反論は上がらなかった。

次話エピローグでいったん終わります。年内に終わることができそうでよかった。

来年は、このまま続きをアップし続けるか、番外編に逃避するか悩み中。

とりあえず、解決させるところまでいきたい。

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