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医療刑務所

 八王子の医療刑務所は、医療が必要となる受刑者を収容する刑務所だ。しかしその一角に、SICS(シックス)が管轄する特別棟があることは、もちろん一般には知られていない。霊障を受けて治療が必要な「受刑者」を収容して浄霊などの治療を施す施設だが、より正確には、法律では裁けない類の犯罪者の収容にも利用されている。「霊に憑依されて殺人を犯した」と主張する人を、例えそれが事実であっても、普通の司法の場で判断することができないからだ。そこで、心神耗弱、心神喪失などの名目でこの刑務所に収監する。刑務所とは言いながら、緊急の場合は、刑が確定する前の段階でも収容することが可能だ。

 最後の放火と殺人に関わったとされる女、野中美菜世は、身柄を確保された直後からここに収容されていた。


 裕樹達四人と化け猫三匹は、担当者の案内でその特別棟の廊下を歩いていた。刑務所という場所が初めてなので、ここがどれほど特殊なのか判別はできない。ただひとつ、おそらくこれはここだけの特徴だと思えるのは、ゲートをくぐるたびに、結界が強まっていることだ。外からのものを入れないためというよりも、中のものを出さないための結界。その種の結界が、何重にも張られている施設のようだ。

 午前中に裕樹達を案内してくれていたK-SICSのメンバーは、脇坂一人を残し帰ってしまっている。

 何重にも重ねられた鍵のかかったゲートを通過してここに入って来た彼らは、地下3階のひとつの部屋へと案内された。

「お疲れさま。蒼雲君、裕樹君、梓乃ちゃん、雅哉」

 部屋に入った四人を、賀茂弥生の澄んだ声が迎える。弥生の背後に座っている猫風蒼龍が、手元の書類から静かに目を上げる。蒼雲は静かに目礼を送る。

 弥生が席を立つ。

「お袋…」

 わかっていても実際に目の前に現れると動揺するのか、雅哉が困ったような表情をする。とにかく、やりにくい。雅哉は、自分の母親が霊能力者であることは知っていたし、その力を用いて人の心を読む仕事をしているのも知っていた。しかしそれは、心理カウンセラーとしての仕事だと思っていたので、いきなり天御柱(あまのみはしら)の術者としてK-SICSの責任者をしているなどと言われても受け入れがたい。仕事の現場で、術者として対面するのも初めてだ。気恥ずかしい。

「班長と呼びなさい、雅哉。あ、弥生さんでもいいわよ。まぁ、あなたがママって呼んでくれるなら、それもいいかな」

「な!」

 母親の冗談に顔を真っ赤にする。

 賀茂弥生は、今日もボディコンシャスなミニ丈のスカートスーツに身を包んでいる。左右比対称のショートボブ、大きく開いた襟元から覗く豊かな胸、くびれたウエスト。そして、ミニスカートから伸びる長い足。梓乃とはまた違った大人の色香が漂っていて、母親だと思っていても、雅哉も目のやり場に困る。雅哉が母親の服装に驚いているのは意外なように思われるだろうが、家を出るときの弥生の服装は、こんなミニ丈スーツではないのだ。いったいどこで着替えているのやら。

 裕樹も遠慮気味に視線を送っている。

「お時間を割いて下さりありがとうございます。賀茂班長」

 視線を逸らしている二人とは対照的に、蒼雲は生真面目に弥生に頭を下げる。

「相変わらず堅苦しいなぁ、きみは。お父さんが来てるからいい子にしようとしているのかな?」

 弥生が悪戯っぽい笑みを浮かべながら、自分の背後に視線を送る。

 部屋には、刑務所の特別棟の担当警務長と、弥生の片腕とも言える梨木賢太郎の他に、蒼龍がいる。蒼龍が連れている虎風と龍風の二匹の化け猫は、目の前のテーブルの上に座ってこちらを見ている。

「父上の前で、今さら何かを取り繕ろうつもりはありません」

「お父さんの方は、あなたがちゃんと仕事を果たせるのか監視に来ているんでしょう?」

「班長。そういう追い込み方はやめて下さい」

 蒼雲は溜め息をついた。

「あら? そんなに柔じゃないと思うんだけど?」

「時と場合によります」

「それだけ緊張してる、と?」

 弥生は蒼雲を言葉で攻めながら、全員に席に着くように促した。

 すでに用意されているペットボトルから、グラスに麦茶が注がれて四人の前に置かれる。

「失敗出来ない状況のようですしね」

 指定された席の方に歩きながら、蒼雲は壁の一面を覗き見る。

 側面の壁面はマジックミラーになっていて、隣の部屋の様子が丸見えになっている。隣の部屋には、ベッドの上にうつろな表情で横たわっている一人の女性がいる。ベッドは少し持ち上がり、彼女の体を半身起こしたような形にしている。

 生気がない目。

 惚けたような表情で、真っ直ぐに正面の白い壁を見つめている。自分の子供三人を殺した母親、野中美菜世だ。

 人は魂が抜けると死ぬ。

 魂が抜けても死なないのは、その魂と肉体がまだどこかで繋がっているからだ。その繋がりが切れれば死が訪れる。そして通常、魂は肉体を離れて長く留まることはできない。肉体も、魂が離れた状態では長く保たない。

 現在の彼女の状況は、あまり猶予がないことを示している。

「切羽詰まった状況で、自分が得意じゃないことをしようとしているんですから、緊張しますよ。普通は」

 ゆっくりと弥生に視線を戻しながら、落ち着いた声で言う。

「ふふん。その割にはその緊張感が表に出てこないのね」

 弥生はさらに踏み込んでくる。蒼雲は、もう一度大きく息を吐いた。

「そういう風に教育されてますからね」

 視線を弥生の顔に合わせたまま、蒼雲は平然と切り返す。弥生は椅子の背もたれに緩やかに背中を押し付けて足を組んだ。満足そうな微笑み。

「さすがね。この程度では動じないか。いいわ。彼女への聴取、許可します」

「ありがとうございます」

「はぁ? 今の、蒼雲を試したのかよ。お袋!」

 反発は意外なところから上がった。雅哉が身を乗り出して、弥生に抗議をする。

「弥生さんでしょ、雅哉」

 弥生は落ち着いている。

「よせ、雅哉」

「蒼雲」

「彼女の状態はひどく悪い。俺の手元が狂えば、彼女を死なせてしまうかもしれない。貴重な証人だ。試されること自体は仕方が無い」

 魂追法は、相手の魂に直接触れる。肉体と魂を繋ぐ経絡糸を辿って、離れてしまった魂を探索する呪法だ。その上、目の前の対象者の状態は悪い。経絡糸がいつ切れてもおかしくない状況に見える。それはすぐ、彼女に死をもたらす。

 蒼雲の声はいつもより、より一層落ち着いていた。雅哉への答えというより、自分自身に改めて言い聞かせるような、そんな口調だった。

「ほんと、まったく可愛げ無いんだから」

 弥生が溜め息をつく。自分がかけた心理的な揺さぶりを完全に払いのけて、更に、揺さぶりをかけられることすらも予期していた蒼雲には、もう苦笑いを浮かべるしかなかった。

「若い頃の猫風君にそっくりね」

 弥生の視線を、蒼龍は無視している。


「挨拶まだだったわね。梨木には会っていたわよね? こっちの彼が、ここの棟の責任者の渡辺綱行」

 弥生に振られて、渡辺が挨拶をする。

「で、午前中の調査はどうだったの? めぼしい成果は得られた?」

 三人の視線が蒼雲に集まる。蒼雲が、裕樹に頷いて合図をする。

「俺たちは、蒼雲と雅哉、俺と梓乃ちゃんの二手に分かれて調査してきました。俺たちは距離的に近かった一番目と三番目の現場を回って来て、一番目の現場で、隣の家の飼い犬から興味深い証言を得ました」

 裕樹が、簡潔に状況を説明する。

「飼い犬から、ねぇ」

 腕組みをした弥生が、続きを促すように少し身を乗り出す。

「火災のあった夜、侵入者があったと。そしてそれはどうやら、何かが憑依した人間と黄泉津醜女(よもつしこめ)

「黄泉津醜女かぁ……」

 弥生の隣で、梨木が唸るような声を出す。

「嗅覚の鋭い犬の証言です。間違いないと考えています」

「なるほどね」

「被害者の霊へのコンタクトも試みましたが、やはり被害者は事件のことを忘れているようです。一時的なものなのか、記憶の操作を行われているのかわかりませんが、なので、どちらの現場からも、被害者の霊からは特に新しい情報は得られませんでした」

 裕樹はそこまで言って、会話の権利を蒼雲に戻す。

「自分たちは、最後の現場で未成仏霊になっていた三人の子供の霊から証言を得ました」

 蒼雲は、ほんの少しだけ視線を動かし、隣の部屋の彼女の姿を目の端に映す。魂のない体は、空っぽの器と同じだ。抜け殻のような体。いくら意識を向けてみても、今の彼女からは、なんの声も聞こえてこない。

「野中美菜世が、子供達を殺め心臓を奪った。野中美菜世はその夜、何かに憑かれていた。禍々しい瘴気を体中から発していた。そのきっかけは、彼女の祖母が持ち込んだぬいぐるみではないかと、今現在は考えています。ですから、彼女本人から、その時の状況を聞き出せれば、より詳しいことがわかると思っています。それから、敵の狙いは若い人間の心臓だろうと考えています。土蜘蛛がこだわっている死者の復活に、心臓が必要なのだと。四件の火災との関連性や、それ以前の憑依現象とにどのような関係があるのかは、まだわかりません」

「まったく、すごいわね。幽冥界に降りたの? 橘達、驚いていたでしょう? きっと。昼の日中にそんな強引なことやろうとする術者は、風の一族くらいなものよ」

 弥生自身もその現場に遭遇した経験があるのか、蒼雲が使った呪法がどのようなものだったのか正確にイメージ出来ているような口ぶりだ。

「で? 雅哉も行ったの?」

 そして息子には、疑うような視線。

「あぁ、もちろん…」

「雅哉には、彼らに引導を渡してもらいました」

「少しは働いたのね」

「くっそ、失礼だな…」

 少ししか働いていないのは事実だし、反論もできない。雅哉は悔しさに舌打ちした。

「ところで、いつ始めるの? 心の準備は?」

「心の準備は終わってますが、部屋の準備をさせてもらっていいですか?」

「もちろんよ。着替えるんだと思って、部屋も用意してあるわよ」

 弥生の言葉に蒼雲はおもむろに立ち上がった。

まったり更新していてすみません。

まだまだ続くのですが、年内に、一旦区切りのいいところまでアップしたい・・・。

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