心臓の行方
昼食用に橘が案内したのは、八王子刑務所にほど近い和食の店だった。
SICSのメンバーが時々使っているということで、店主とも顔なじみだ。八人は2階の個室に案内された。さすがにどうかと思ったのだが、化け猫三匹も入店を許可されている。
先に店に着いていた橘たちが奥に四人、遅れて着いた裕樹たちが手前に四人。向かい合う形で席についている。
「で? 肉食は控えた方がいいんですか?」
ランチメニューを示しながら、橘が、主に高校生四名に尋ねる。
「精進潔斎ですか? そういうのには自分はあまり関係ありません」
「そうなんですか?」
橘だけでなく、裕樹も雅哉も蒼雲の方に視線を向けた。
「猫は元々が肉食なので、潔斎することに意味は無いんですよ」
「ふぅん、そうなんだ」
「猫化する前には、むしろ血の滴る生肉を食べるくらいの方が理に適っている」
「え?」
梓乃以外の全員が、蒼雲の言葉に一瞬言葉を失う。
「ふふん。蒼雲も最近、冗談が上手くなったね」
顔を洗っていた雲風が、ウインクしたまま鼻を鳴らす。
「冗談なのか?」
「へ?」
油断していたからなのか、雅哉は雲風のその言葉が聞き取れなかったようで、裕樹の切り替えしに首を傾げている。その光景を、梓乃と七枝がクスクスと笑っている。
「俺も平気だし、潔斎が必要だとすれば、雅哉じゃないですかね?」
いたずらっぽい口調で、裕樹が向かいに座っている雅哉を見る。
「平気な人は、この花籠懐石おススメですよ。値段の割に食べごたえあるので。あぁ、値段のことは気にしないでください。ここは経費払いなので。それで、雅哉さんは、こっちの精進懐石でいかがですか?」
橘は、雅哉が肉食禁忌という前提で話を進めている。
「いやいやいや。俺も平気。絶対平気。俺も花籠でお願いします」
「お前、本当に大丈夫なのかよ?」
大げさに首を振って自らの主張をする雅哉に、全員が思わず笑い出した。普段の食事から、特に精進潔斎を必要としていないことは全員が知っているのだから、からかわれていることはわかっているはずだが、期待通りの反応をするのが雅哉である。彼自身もその事実に途中で気がついたような表情をしたが、一緒に笑いの中に巻き込まれることでうやむやにした。
「お前ら、俺をおちょくって楽しんでるだろ?」
「それを楽しんでいるのは雅哉だろう?」
知り合って一ヶ月。思いがけず死地をくぐり抜けたせいで、四人は今ではすっかり仲良しだ。個別で見れば、性格も考え方も全然違っていて一緒にいられるのが不思議なくらいなのだが、相乗効果というやつだろう。
頼んだメニューが出てきて、再び室内が八人だけになると、一同は、お互いの調査の成果を交換し始めた。
「おそらく、敵の目的は心臓だ」
「は?」
蒼雲の最初の言葉がそれだったので、全員が呆然とする。雅哉など、刺身を口に放り込んだままあんぐりとしている。
「心臓ですか?」
脇坂と佐々木が咄嗟にメモ帳を取り出す。
「それも子供や若い年代の人間の心臓だ」
「でも、全員心臓は抜かれていたんだろう? 若いとか関係なく」
「カモフラージュということもあるし、できるだけ若いものをと思っていても、せっかくあるのならば念のためという考えだったということかもしれない。それにそもそも、一か所は遺体が炭化していて心臓の有無が分からない現場だったということだから、一件だけ特異事例だったことも考えられる」
蒼雲は顔色も変えずに、淡々と自分の意見を述べていく。遺体から心臓が抜かれていたと明らかにわかるのは、2番目の母と娘が亡くなった火事、3番目の男子大学生が亡くなった火事、そして最後の現場の子供達三人が亡くなった火事の3件だ。
「待て。ってことは、実際に若者の心臓が目的だったというのもわからなくないか?」
最初に放り込んだ刺身を飲み込んで、雅哉が疑問を口にする。そのまま、質問が適切かどうかを確認するように裕樹の方を見る。
「いや。心臓が無い状態の焼死体が三件重なるというのは確率的に考えられない」
念のため四人の刑事の方に視線を向けると、橘が代表するようにして同意してくれる。
「蒼雲のことだから、もっと具体的な根拠があるんだろう?」
「もちろんだ。俺たちは、幽冥界に下りて三人の子供の霊に会った」
俺たちは、と言われて、雅哉が「は?」という顔をする。確かに一緒に行って子供の霊が胸から血を流している映像は視たが、それは事実と矛盾するものではない。もう一か所の現場では特段新しい情報は得られなかったのだ。
「母親の野中美菜世は、『あなた達の心臓が欲しい』と言ったそうだ」
「それが根拠ですか?」
「詳しくはこれから野中美菜世本人に確かめないといけないがな」
「母親を操った何者かが子供の心臓を集めていた。そしてその何者かが、口寄せの巫女と関係している、ということだね」
食事に箸を付けながら、裕樹が蒼雲に確認するように尋ねる。鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしている雅哉とは違って、裕樹はもう少し状況を理解しているようだ。
「仮にそれが本当だとして、心臓なんてどうすんだよ?」
「心臓といえば、太陽に捧げるものだろう」
「再生、か…」
尋ねた雅哉は、蒼雲と裕樹のやり取りを理解できていない。四人の刑事たちも、お互い顔を見合わせている。
「太陽に生贄の心臓を捧げる。確か、アステカ帝国の太陽の祀りでしたね?」
橘が、その用語を発した裕樹に確認を取る。
「マヤやアステカで行われていたようですね。チャックモールという台の上に生贄の心臓を置いて太陽に捧げる儀式。太陽が夜の闇と戦って再び地上に上ってくるように。太陽に力を与えるために、人の血と心臓を捧げたと言われています」
蒼雲の代わりに裕樹が情報に言葉を足して補足する。
「ってことは、おい。太陽神ってことか…」
雅哉の脳裏に浮かんだのは、おそらく誰もが知る神の名だ。高天原の主要な神でもある太陽の神。
「それは違う」
蒼雲が即座に否定をする。
「アステカの太陽神は心臓を必要としたかもしれないが、アマテラス様には必要ない。それより重要なのは、『復活と再生』だ」
「復活と」
「再生?」
雅哉と梓乃が顔を見合わせて首を傾げる。
「何かの復活のために心臓を必要としている。そのためには、より若い心臓の方がいい、と」
「死者の蘇り?」
「ってことはまさか!??」
「ここで結論を決めてしまうのは良くない。だが、今回の仕事が俺たちに回ってきたのは意味があることだと思っている」
蒼雲の声はいつもの調子と変わらなかった。さざ波ひとつ立たない深い泉の底を覗き込んでいる時のような、吸い込まれそうな目でこちらを見ていた。その場の全ての人の意識が、蒼雲の瞳に吸い寄せられていた。
「俺の方の成果は、後は、そのきっかけがぬいぐるみじゃないかと疑っているということだけだ」
「あ? あのソファーに置かれたぬいぐるみか?」
同じ光景を視た雅哉だが、彼は特段疑問を抱かなかったようである。
「あの日あの家に新しく入ったもので母親に影響を与えたとすれば、あのぬいぐるみくらいしか考えられないからな」
「なるほど」
「まぁこれも、直接本人聞いてみなければわからないが」
納得した若者四人とは対照的に、呆然と、まるで神でも見るかのようなまなざしでこちらを見ているのは、K-SICSの四人だ。
「いやー、さすがですね。蒼雲様、ほんと、SICSの捜査官になって欲しいくらいです」
「おい、バカ。猫風家の次期ご当主に何言ってんだ」
「もう拾いつくしたと思っていた現場からこんなにたくさんの情報を拾われるなんて、本当にすごいです」
などと、賞賛の言葉が次々に飛んでくる。
「いえ、最初からそういう視点で見ているから思い込みで推論をしているだけです。捜査としては最悪な手法ですよ。これはあくまで推論で、検討してみるべき仮説のひとつにしかすぎません。とはいえ、あの三人が成仏できずにあの場にいたというのは事実ですから、彼らの死に母親が関与していて、母親がまともな精神状態ではなかったことは、彼らがいつまでもあの場に留まっていたことからはっきりわかります。でも、抜き取られた心臓がどこに行ったのか、どのように使われているのかはわかりません。でも、きっかけが無いと、次の魂追ができないので、念のために仮説を組み立てているだけです」
蒼雲の言葉に、溜息しかこぼれてこない。
「それより、そちらはどうだったんだ? 裕樹」
ようやく食事に箸を付けながら、蒼雲が斜め向かいの裕樹を見る。裕樹もその言葉で我に返り、どこから話そうかと考えを巡らせる。
「やはりすでに、被害者の霊はあの場には無かったね。だからこちらは、一件目の現場の隣の家の飼い犬から話を聞いてきた」
「飼い犬から?」
と言ってしまってから、少し離れたところで箱座りをして目を閉じている七枝に気がついて、雅哉は質問をひっこめた。
「あの老夫婦の家には庭に柿の木が生えていてね。その木が、隣の家の犬が、あの夜何かを見て、恐ろしく怯えていたと言っていたんだよ。それで七枝に、犬の話を聞いてもらったんだ」
梓乃がその話を引き継ぐ。
「彼はあの夜、あの家に入って行くモノを見ていました。人と人で無いモノ」
「人で無いモノ、か…憑依していた何か、だな」
「はい」
「腐った土の臭いがした、と」
「繋がったな」
「えぇ」
梓乃は、蒼雲に返事をしてから、チラリと裕樹を見る。こちらの車の中では、裕樹から梓乃に対して説明がなされた後らしい。
「まさか? 土蜘蛛か?」
「そのまさかだよ」
裕樹が雅哉に頷く。
「なるほど」
「この一件も、土蜘蛛が関わっているということですか?」
森川が身を乗り出すようにして声を立てる。
「俺たちは初めから、それを前提に情報収集をしています」
蒼雲の意識はすでにその場になかった。これまでの断片的な情報を繋ぎ合わせて、次の仮説を構築している。
「わからないのは、どこで口寄せの巫女と繋がるかなんだよね」
「口寄せの巫女が憑依されて黄泉津醜女の召還に手を貸していたとして、今回の被害者はなぜ選ばれたのか? ただの偶然とは思えないけど、今のところ目に見えての関連は無い」
「交遊関係については警察の方で散々調べた後でしょう」
蒼雲が斜め向かいに座っている森川と視線を合わせる。森川は、さらに斜め向かいに座っている橘に視線を送る。
「もちろん、交友関係は徹底的に調べました。俺たちの前に、県警も捜査をしていますからね。親族も含めて徹底的に。我々が引き継いでからも一通り霊的なつながりが無いかの捜査をしている」
橘がこれまでの経緯を簡単に説明する。
「そこが妙なんだよな」
裕樹が腕組みをして、右手を顎に当てて思案するような仕草をした。
「あぁ、出来すぎている。事件の経緯はともかく、死因は似通っている。心臓を抉り出された後に放火だ。犯人に共通点があるはずなのに、何のつながりも見えない。不自然すぎる」
何か言葉を挟もうとした刑事達を蒼雲が片手で遮る。
「仮説です。あくまでも」
「俺たち、少なくとも俺と蒼雲は、土蜘蛛の術者と三回戦っています。他の系統の呪術は、魂に触れてくる感覚が全然違います。一度でも触れれば、はっきり判別はできなくとも、それが何であるかの推察はできます。そして普通は、霊障が関係している現場なら、わずかでも痕跡が残る」
「裕樹は木霊使いだから、人よりは、微細な気配に対する感受性は高いはず」
蒼雲と裕樹が、その場の会話を支配していた。梓乃と雅哉は、もうすっかり空気に飲まれ、二人の推理を聞くだけの状態になっている。
「とりあえず、次の現場に行かないといけないから。梓乃ちゃん、雅哉」
名前を呼ばれて初めて、二人は箸を持ったままほとんど食べずに止まっていたことに気がつく。
「賀茂班長との待ち合わせは、13時半でしたよね?」
「あ、はい」
橘が弾かれたように返事をする。
「ここからだと、十分程度で到着予定です」
脇坂が具体的な移動時間を補足する。
八人は、すっかり冷めてしまった料理を、慌てて口に運んだ。




