裕樹と梓乃の場合
その頃。
裕樹達はすでに二件目の現場に辿り着いていた。連続不審火災の始まりとなる、最初の火事が起きた現場だ。一件目では、裕樹達は何の収穫も得られなかった。集合住宅の四階の一室で、裕樹が頼れる樹木がほとんど現場を見ていなかったのだ。フロアごと封鎖されていて梓乃が感じる程度の血の臭いが残っていたが、それ以上の情報は得られなかった。
「ここが最初の現場です」
森川が先導する形で、裕樹達は二カ所目の現場にやって来た。
老夫婦が暮らしていた、古い屋敷があったのだという。しかし、今そこには何もなく、庭木だけが黙って立っている。ここで亡くなったのは老夫婦とたまたま泊まりに来ていた小学生の孫だ。
「古い木造建築だったのでね。完全に燃え尽きてしまっていて、ほとんど火事場検証もできないような状態だったんですよ」
森川が裕樹と梓乃に説明する。その言葉には、ここも先ほどと同じだと思いますが、という言外の意味が含まれていた。
「七枝、何か感じる?」
梓乃が肩に乗っている化け猫に話しかける。
「この場からは何も」
七枝が小さく首を振る。
だが裕樹は、森川ほど絶望していなかった。
「じゃぁ、ちょっとやってみるよ」
それまでと変わらない調子で言って、庭木の方へと歩いていくと、おもむろにポケットから数枚の呪符を取り出した。
それを、剣印を結んだ右手の人差し指と中指とで挟み目の前に構える。一瞬にして、敷地内に結界が張られる。短く呪を唱え、右手を軽く振った。右手の中の呪符が意思を持つかのように宙を飛び、数本の庭木の幹に張り付く。
裕樹がかけた呪は、外界に現れ姿を保つことができる精霊を限定するためのものだ。その呪符を使って更なる呪をかける。
「宿いし神気を現せ」
裕樹の手が印を結ぶ。再び低く言葉を重ねる。
唐突に、同時に何体か、着物姿の精霊が目の前に姿を現した。
裕樹はそれを、心の目で視ていた。
長い時間、だが現実の世界ではほんのわずかな時間、裕樹は精霊達と交流した。
「どうでしたか? 裕樹さん」
「梓乃ちゃん、ちょっとやってもらいたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「七枝は他の動物と会話できるよね?」
「はい。できます」
梓乃の肩の上の三毛猫も頷く。
「この柿の木が、この家の主がおかしくなったきっかけを、隣の家の犬が知っているって言うんだ。話を聞けるかな?」
「もちろんです」
梓乃と七枝が裕樹に力強く返事を返す。化け猫は、猫同士はもちろんのこと、犬やカラスなど他の動物とも会話することができる。
「森川さん、えっと……、なかなか説明が難しいかもしれないのですが、お隣の方に……」
『お宅の飼い犬に話を聞かせて下さい』
なんて、まともな依頼とは思えない。いきなり訪ねて来た刑事にこんな要求をされたら、普通の人は混乱するというか、刑事の頭を疑うだろう。
しかし。
「はい、お任せください」
答えはあっさりと返って来た。しかも、「どーんと俺様に任せておけ」という表情をしている。
「え、っと、でも……」
「ご心配なく。自分たちは、そういうのが得意なんです」
どうやら、SICSの聞き込み捜査班には、そういった種類の呪術が得意な人間が配属されているらしく、今日派遣されている橘、脇坂、森川、佐々木の四名の中では、森川と脇坂が、特にその術に突出した才能を持っているらしい。
「自分たちが家族と話している間に、梓乃さん達は飼い犬から話を聞いて下さい」
「でも、森川さんの力借りて大丈夫かな」
「捜査のお手伝いをするよう言われています。捜査対象者の保護は俺たちの役目ですから」
「わかりました。ではお願いします」
そういうことなら何の異論もない。四人と一匹は隣家の玄関へと向かって行った。
*****
30分ほどの事情聴取を終えて、四人は再び車で移動を始めていた。
「それにしてもさすがですね。化け猫を使役して情報を集める梓乃さんの呪法はもちろん自分たちには真似ができないものですが、裕樹さんの呪法もすごかったです。自分、木霊使いの方の技を初めて見ました。最初に張られた結界も、特殊なものですよね?」
森川の声が興奮気味だ。助手席から身を乗り出すようにして後部座席に話しかけている。
散々調べて、あの家の人間から相当うざがられるくらい何度も話を聞いて、それでも大した答えが得られなかった現場だ。ほんの1時間弱の間に得られた情報は、とても価値のあるものだった。最終的には「化け猫が飼い犬から話を聞く」という超ウルトラC級の技を使った七枝の力だが、そこにたどり着く情報を得られたのは柿の木の精霊から飼い犬の情報を聞き出した裕樹の呪法によるのだ。
森川と佐々木が、あまりにも「すごいすごい」と褒めるので、裕樹は居心地が悪い。特に学院に通うようになってから、自分の実力には絶望感しかないのだからなおさらだ。
「いや…」
困ったように苦笑いを浮かべる。隣の席では、梓乃が嬉しそうに笑っている。クラスメイトが、ルームメイトが、親友が褒められるのは誰でも嬉しい。裕樹はその気持ちがわかるだけになおさら心苦しい気分になった。
「あの結界は、そんなに特別なものじゃないですよ。祓地祓魔の結界呪に招魂を補助するための呪術を重ねてあるだけです」
「いやいや。そんな簡単におっしゃいますが、呪法を同時に重ねて使うって簡単じゃないですよ。しかも、何の準備もなく、いきなり使えるなんてすごいです。裕樹さんも、その状態で太刀も使えるのでしょう? 実は自分、学院時代に御鏡副長官に剣術を教わっていたんですよ。今でも時々いらして下さる時に、稽古付けていただいているんです。でも結界を維持しながら剣術をっていうのは、なかなか上手くいかないです」
森川が饒舌になっているのは、裕樹が、自分の予想を上回る実力を発揮したからのようだ。憧れている先生の息子というだけで、期待は通常の何倍にもなる。
「あ、いや……、まだまだ俺なんて力不足で、父の足下にも及びません」
(彼の期待には、一応応えた形になってはいるけど)
心の中で全力で溜め息をつく。
(悪い意味ではなかったが、監視という言葉はある意味適切だったな)
と、裕樹は親友の顔を思い出す。
(父さんがそんな実力者だっての、反則だろ、まじで)
森川の更なる褒め言葉の応酬も裕樹の自虐的な思考も、電話の音で遮られた。
すぐに森川はそのコールを受ける。
「橘先輩のチームも、今終わったみたいで、八王子に向かっているとのことです。ちょうどお昼ですし、先にどこかで食事をしましょうという話です。八王子刑務所では、うちの班長も合流予定ですが、班長達は食事をしてから来るそうですから、自分たちだけでということになりますが」
電話を少し顔から離して、振り返って裕樹と梓乃に確認をしてくる。
「でも、森川さん達は、俺たちを八王子まで送ったらお役御免なんでしょう? 早く帰りたいんじゃないですか? 周辺で降ろしてくれたら俺たちは適当に…」
そこまで言うと、森川が小さく吹き出すように笑った。
「蒼雲さんも同じことおっしゃっているそうです」
「あぁ」
裕樹と梓乃は思わず顔を見合わせる。自分たちは、考えることが似て来たのかもしれない。
「でも大丈夫です。自分たちもどこかで飯にしないといけないですし、それなら皆さんと一緒に食べるのは楽しみです。橘先輩達も同じ意見です」
「わかりました。ではお任せします」
「わかりましたぁ!」
なぜかすっごいハイテンションで、森川は通話に戻る。
(本当に、心から一緒に食事に行きたいと思っているのだろう)
と裕樹は思う。自分より年上の男性がはしゃいでいる姿はちょっと微妙だったが、その気持ちがわからないわけではない。蒼雲に比べれば相当にわかりやすい反応だ。八王子刑務所に行く前に蒼雲達の情報を聞いておくのは重要だ。あちらはどんな情報が得られたのだろうか。子供の霊の浄霊もするという話だったから、その話も聞かせてもらいたい。
裕樹は、窓に目を移し、車窓を流れて行く風景をぼんやりと見つめた。
今さら、ですが、長くなりすぎてきて読みにくくなってきたので、章立てしてみました。
本編まだまだ続きますが、最近スピンオフ話ばかりが盛り上がって、こちらに続きをアップするのが滞っています。
一区切りつくところまでは載せたいと思っています。




