眼鏡萌えの朝
今日も良く晴れている。
普通なら学院に出かける時間だが、今日はこれから、調査のために出かけることになっていた。15分ほど前から、裕樹と蒼雲は今日の予定について最終打ち合わせをしていた。
火災現場の調査に、別々のチームで行くためだ。
蒼雲は、雲風を膝に乗せたまま、左手でテーブルの上に長々と横たわっている風霧の背中を撫でている。毒舌で手厳しい化け猫二匹も、こんな時は愛らしい飼い猫のように喉を鳴らす。
「痕跡があるとすれば、周囲がどの程度見ているかだが」
「わかっているよ。木霊を使って探ってみる」
「あぁ。七枝も協力してくれるはずだ」
「おい、蒼雲」
そこへ、空気を読まない形で雅哉が入って来た。
「どうした?」
「お前、なんだよ、この格好」
蒼雲も裕樹もだが、ワイシャツにネクタイ、それに上に着るべきジャケットがテーブルの端に置かれている。
「お前らは爽やかサラリーマンみたいだけど、俺、これじゃぁすっかりおっさんだろう?」
「俺に文句を言われても困る」
「雅哉がおっさんに見えるのは蒼雲のせいじゃないだろ。無駄に偉そうに見えていい感じだぞ。それにスーツ姿は、刑事に見える格好ってことで、SICSからの指示だよ。俺たちが決めたわけじゃない」
「はぁ? そうなの? だけどなぁ。お前ら、ネクタイ結べたのかよ」
聞くまでもなく、裕樹も蒼雲も、ネクタイをピシリと結んでいる。学院の制服の時とは違って、スーツ姿はより一層大人っぽく見えた。
「あー。もう、ネクタイなんて、結んだことないって。こんな格好強制するなんてふざけてるっての。それに、なぜにお前、眼鏡?」
蒼雲が眼鏡をかけているのに気がついて、「その眼鏡はずるい」と理不尽な不満をぶつける。
「猫目を隠すための眼鏡なんだって」
「猫目を? なに、ちょっと外してみてよ」
蒼雲は、めんどくさそうに眼鏡をずらして見せる。青い猫の眼が、眼鏡を通すと普通の茶色の目になる。もちろん、光彩も縦長ではなく丸い。
「便利だな、それ」
「お前には必要ないだろ」
羨ましそうな目で眺めている雅哉に裕樹が笑いかける。
「そりゃそうだ、でも、ってことは!?」
「何を騒いでいるのですか?」
雅哉の後ろから、梓乃が姿を現した。
こちらはまた、ピッタリと体にフィットしたミニ丈タイトスカートのスーツスタイル。深くスリットが入ったスカートから、長い足が惜しげもなく覗いている。それを見ただけで、誰のセレクションか想像ができる。
「でもでも梓乃ちゃぁん。いいねいいね、そのスカート。まじでいいねー。萌えるよ。あー、可愛いなぁ梓乃ちゃん。で? 眼鏡は??」
「え? ありますけど……」
梓乃はそう言いながら、手元のカバンから眼鏡ケースを取り出した。
「えー。それ、蒼雲のと同じ眼鏡だろう? どうして梓乃ちゃんはせっかくの萌アイテムをかけて無いのよ?」
「あぁ。私は蒼雲さんと違って、常時猫化しているわけではないので」
くりくりとした緑色の目で、じっと雅哉の目を見つめる。確かに梓乃の虹彩はヒトの目をしていた。
「ちょっとだけかけてみてよ、ね。ね」
雅哉が気持ち悪いくらいに梓乃の眼鏡に反応する。ミニスカスーツに眼鏡姿が、雅哉の萌えポイントを完全に刺激したらしい。梓乃はしぶしぶ眼鏡を取り出してかけてみる。蒼雲と同じ、偏光眼鏡だ。
「うふぁっ! いい! いいよ、それ!」
雅哉が興奮気味に身を乗り出す。
「ちょっと、雅哉さん。気持ち悪い目で見ないで下さい」
雅哉の気迫に押されて、梓乃が数歩後ろに下がる。
「おはよう、梓乃ちゃん。さすがは弥生班長セレクション。似合ってるよ。そのスーツ」
裕樹が褒めると、梓乃の顔が真っ赤になる。
「そ、そうでしょうか…私には、丈が短すぎるのではないかと思うのですが…」
「え? え? これってお袋のセレクションなの?」
雅哉が自分の結べないネクタイと梓乃のスカートから伸びている足を交互に見て、下心ありありな笑みを浮かべる。
「そうみたいだよ。サイズもぴったりだったろう?」
「お袋も、時にはいい仕事するな」
「さっきまで、ネクタイ結べない、ふざけるなってぼやいていたくせに現金なやつだな」
裕樹が呆れたように笑う。蒼雲は、溜め息をひとつついただけで言葉も発しない。
「雅哉さん、ネクタイも結べないのですか?」
「梓乃ちゃん結んであげてよ」
「仕方がないですね。ほら、その階段の下に降りて下さい」
雅哉を茶の間と廊下の段差の下に立たせて、梓乃が雅哉のネクタイを結んであげている。
「何で梓乃ちゃんがネクタイ結べるのよ」
「一般常識ですよ。高校生にもなってネクタイも結べない方がおかしいです」
「は? そうなの? だって、必要ないじゃん。俺の中学学ランだったし、今だって制服はネクタイじゃないし。でも、梓乃ちゃんに結んでもらえるならネクタイも悪くないな」
「何言っているんですか。今日だけですよ」
梓乃が不満そうに口を尖らせる。
「まぁどうでもいいが、そろそろ行くぞ」
蒼雲がすぐ脇まで歩いて来ている。その肩には、当然のように雲風と風霧が乗っている。
「雅哉は梓乃のこと好きなの?」
「違う違う、雅哉は女なら誰でも好きなの」
猫たちは、雅哉に対しても容赦ない。ヒゲをピクリと動かしながら、冷たい視線を雅哉に向けている。雅哉と梓乃が自然と道を開ける。
「迎えの車が、後5分で着くって」
後ろを歩いてくる裕樹が二人に情報を与える。
「あ、あぁ」
「行きましょう」
四人は揃って玄関に向けて歩き始めた。




