表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/104

月光の下

「どこ行くんだ? 蒼雲」

 部屋には向かわず、母屋への渡り廊下を歩き始めた蒼雲の背中を、裕樹は小走りになって追いかける。蒼雲の足が止まる。蒼雲の右肩には灰色猫の風霧が、左肩には白黒猫の雲風が,当然のように飛び乗ってくる。

「俺は明日の話のついでに、医療刑務所へ行く件を含めて父上に報告してくる」

「え? なら俺も行くよ」

「早く寝たいんだろう?」

「それはお互い様じゃないのか?」

「俺は別に」

 そっけない返事をして、蒼雲はもう歩き始めている。

「まったくツンデレだな、お前」

「お前、その使い方間違ってないか?」

 追いかけてきた友人に、蒼雲は思わず苦笑いを浮かべる。

 蒼雲自分も、「ツンデレ」という用語を正しく理解している自信はあまりないが、それでも、デレている自覚は無いのだから、間違っていると指摘することはできる。

「だってお前、早朝には仕事に出るんだろう?」

 裕樹が懸念したのはそのことか、と、蒼雲は、苦笑いの上にさらに溜息を重ねる。

「火曜もやったのに、また仕事なんだな。そんなに忙しいのか?」

 彼が疑問に思うのも当然だ。難易度はともかく、払魔・退魔の仕事は体力と気力を消耗する。呪符や呪具の準備など、仕事の前にはそれなりの下準備も必要だ。それが週に何度もあるというのは、常識的に考えて普通ではない。しかし、その普通ではないのが猫使いの頂点に立つ風の一族の宿命だというのも知っていた。

「平均して週2回くらいはある。今月は怪我が続いてだいぶ免除してもらっていたからな」

 裕樹が小さく息を飲んだのがわかった。

「週2回って、月8回? そんなにあるのか?」

「しっかり数えたことないが、そんなもんだな。多い時は10回を超える」

「でもお前まだ全然本調子じゃないだろう?」

 裕樹もさすがに痛み止めはもう飲んでいなかったが、怪我の多くは完治はしていない。

「怪我が治ってからなんて悠長なことを言っている暇なんて無いだろう? 怪我した上にまた怪我するなんてことざらだからな。そのうちお前もそうなる。俺も休みの日くらいのんびりしたいと思うが、3年前からはそんなささやかな願いも叶えられてはいないな」

 言いながら、右肩に乗っている灰色の猫、風霧の背中を乱雑に撫でる。

「素直じゃないんだからな、蒼雲は」

 ふふんと鼻を鳴らしながら、雲風が会話に割り込んでくる。こちらも見事な長毛の大猫だ。背中に垂らした尻尾は根元から二本に分かれ、雲風は、その尻尾をゆっくりと左右に振っている。

「素直じゃないのはお前だろう? 撫でてもらいたいならそう言え」

 蒼雲は、もう一方の手で雲風の頭をガシガシッと撫でながら、

「まぁ、本当は仕事じゃないんだ」

さりげなく裕樹に言葉を向けた。

「え?」

 蒼雲は、特に裕樹に対しては、隠し事をするつもりはなかった。もともとプライベートを確保することに無頓着に育ってきた。家同士、父親同士の長年の親密な関係性から、自身も御鏡裕樹(みかがみひろき(という人間に対する警戒感は全く抱いていない。常に周りに警戒を怠らない蒼雲にとっては極めて珍しいことではあるが。

「どういうことだ?」

 自分にだけ真実を話してくれていることは裕樹も感じていた。声を潜めて問い質す。

「言っただろう? 魂追法は得意じゃないと」

「じゃぁ、まさか、明日は魂追法の修行を?」

「呪法の次第自体を習ったのは2年前だが、実践は初めてだからな。もう一度見てもらわないと不安なんだよ。特に呪法の成否がかなり重要な意味を持つ案件だからな」

 そこで一旦足を止めた。奥の対に続く廊下の分岐点まで来ていた。

「やめとけ。この時間、ここから先は真っ暗だ」

 それでもまだ諦めずに同行しようとする裕樹を、もう一度引き留めた。蒼雲が視線を向けた先には、真っ暗な廊下が続いていた。猫風家の廊下は、共用スペース以外にはほとんど灯りがない、当主が暮らす対にかけては特に、照明器具などまったくない。猫使い達はその明るさでも見えるので不自由しないが、裕樹が追随してくるには無理がある。

「いや、正直言うと、ちょっと話したいことがある」

 裕樹の表情は真剣だった。梓乃と雅哉には聞かれたくない話なのだろうと、特に考えなくてもわかる。

「父上に?」

「いや、蒼龍先生にお伺いするようなことでもないと思っているんだけど……」

 裕樹が一瞬沈黙した。

「わかった」

 小さく頷き蒼雲は踵を返す。裕樹を従えて濡れ縁から庭へと降りた。



 静まりかえった夜の庭には、甘い花の香りが満ちていた。満月間近の月明かりが、庭を明るく照らしている。池にかかった石造りの橋を渡って築山になっている石組みの裏へと回った。蒼雲にとっては勝手知ったる庭だ。母屋からほんの少ししか離れていなかったが、母屋からも離れからも完全に死角になる場所へと迷うこと無く裕樹を誘導した。

「で、話したいこととは?」

 落ち着いたところで、裕樹に話の続きを促す。

「口寄せの巫女の拠点が秩父だったというのが気になっている」

「そうだな」

 蒼雲が小さく応じる。

「可能性は高い。だが、父上は口寄せの巫女が天赦鬼道宗(てんしゃきどうしゅう)に取り込まれていたという意見には否定的だった」

 蒼雲も同じ疑問を持ち、すでに同じことを尋ねていたらしい。

「口寄せの巫女と天赦鬼道宗、いや、土御門典膳(つちみかどてんぜん)との関連については、もちろん念入りに調べられている。高天原(たかまがはら)も、両者に接点が無かったことを確認している。ただ、そのこと自体を偽装されている可能性もないわけではない。何せ土御門典膳は、イザナミ様を自陣に引き込んでいるらしいからな」

 月が雲間に隠れた。辺りに、フッと闇が広がる。

「天赦鬼道宗が何を企んでいるかは、高天原でさえもすべてを把握できているわけではない。その上で、連中が手段を選ばないことは、俺たちももうよく知っている」

 ほとんど明度がない状態では裕樹には、蒼雲の表情はまったく見えなかったが、彼の気配が硬化したのがわかった。土御門典膳は、手段を選ばない。それを身を以て体験しているだけに、裕樹も拳を握り込んだ。

「父上達が土御門典膳と戦った時、口寄せの巫女は、天御柱(あまのみはしら)の術者として、父上達を援護する役についていたらしい。父上が、彼女が敵と内通していたという考えを否定なさるのはそこに根拠がある」

「裏切るはずはないと?」

「信頼できる術者だと申されていた。いずれにせよ、連続火災事件には共通点が多い。あれが外部からの何者かの力に寄って引き起こされていたとすれば、天赦鬼道宗と関連している可能性はより強くなるだろうな。今この日本で、それだけの連続犯罪を、高天原を欺く形で実行出来る人間は多くはない」

「調べることが、たくさんありそうだね」

「あぁ」

 雲間から再び月が顔を出し、その銀色の光が池の水面に照らす。二人の姿は、すでに庭から消えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ