それぞれの事情
「まったく、どうしてあいつはあんなにやかましいんだ」
蒼雲は、平然と湯のみに口を付けながら、雅哉の動きに眉を寄せる。でも、その口元にはほんの少し笑みが浮かんでもいる。なんだかんだ言って、蒼雲も雅哉の行動を楽しんでいる。
「やかましさこそが、あいつの良さだろ?」
「ひどいな、雲風」
寝転がって毛繕いをしている雲風が身も蓋もないことを言ったので、裕樹は思わず吹き出した。化け猫たちは、時々ひどいことを言う。化け猫は、基本的に人間よりも地位が上だ。蒼雲との間に使役関係がなければ、人の言葉に従うことはない。そのために、時折(というかかなり頻繁に)横柄な物言いをする。
「喜怒哀楽を表に出しすぎだね」
そして、冷静な分析。前脚の肉球の間の毛を丹念に舐め梳きながら、チラッと視線を上げる。獰猛な肉食獣の目で、蒼雲を、そして裕樹の顔を交互に見る。
「それはおっしゃる通りだけど」
そんな雲風の態度に、裕樹の口調もついつい丁寧になる。
「ちょっと羨ましい?」
今度は、テーブルの端で香箱座りしていた風霧が片目を開ける。
「でもたぶん、それが原因で富嶽先生からどやされてるんだろう? 俺たちみたいにさ」
「富嶽も弥生も生真面目な人間なのに、雅哉がガサツなのが不思議」
さらなる冷静な人間観察のコメントに、黙ってお茶を飲んでいた蒼雲も苦笑いを浮かべた。
「両親が優秀すぎるから、息子が萎縮してるってこともあるよ」
「そうなの?」
「変なの」
「ね、変なの」
二匹の猫は顔を見合わせて仕草だけは可愛く小首を傾げている。会話の内容は、とても猫らしくはないのだが。
「雅哉さん、本当にお父様が苦手なんですね」
梓乃はといえば、化け猫の扱いに慣れているだけあって、平然と屈託のない表情を浮かべる。
「まぁ、苦手なのはお互い様って感じだけどね」
「雅哉さんの午後の授業の担当が、雅哉さんのお父様の遠山富嶽先生なんですよ。徒手空拳の達人でいらっしゃるの」
梓乃は、祥子と麻衣に状況を説明している。
「二人とも、まだ会ったことがないと思うけど、富嶽先生も相当に威圧感ありますから」
「天御柱の術者の方にはそういう方がとても多いですね」
「私の家は、巫女舞を用いた鎮魂を行うのが専らなので、祖母も母も武闘派ではないので……」
祥子の言葉に、麻衣も頷く。天御柱と言っても、内部での役割分担は術者によって違っている。兵部に属する武闘派の術者の方が少ないのだ。
「そういえば、今夜は外に出るんだって?」
女子たちの会話の間隙を縫って、裕樹は蒼雲に別の質問をした。ここで彼が使った「外に出る」という表現は、ただの外出とは違う。
「あぁ。仕事だ」
「どこに?」
「さぁ。まだ聞いてない」
食事を終えた蒼雲が、椅子に寄りかかりながら応える。
「払魔の仕事ですか?」
梓乃も興味津々という顔でこちらを見ている。
「あぁ」
「先週あんな事件に巻き込まれたばかりなのに?」
「事件と仕事は別だ。前から決まっていた仕事だ」
裕樹の心がざわめいた。今度の仕事が天御柱の術者の一人としての責務なら、同じ立場のはずの自分がのんびりしているのは居心地が悪い。
「一人で?」
「特に言われていないからそうなんだろう」
「だから何でお前はいつもそんなに冷静なんだよ」
「じゃぁ、どうしたらいいんだ? 『怪我したばかりだから家でのんびりしていたい』とか、『怖いから行きたくない』とか言えばいいか?」
蒼雲が珍しくおどけた調子で裕樹に応じる。
「いや、そういうのは望んでないけど」
「なら冷静な対応するしか無いだろ」
彼にとって、というか学院の生徒全員がそうだろうが、日々の生活において自分たちの意志は介入しづらい。
「で? どんな仕事かは聞いているんだろ?」
裕樹が話を元に戻す。
「まぁな」
歯切れの悪い答え。
「なんだよ? 言えないの?」
「いや、言えないわけじゃないけどな。聞いても仕方ないだろ」
蒼雲の視線が、チラッと周囲に向かう。その一瞬に、裕樹は、彼が心の中に留めたものを理解した。この場の他の生徒に聞かれたくない仕事なのだ。悪鬼悪霊が関わる案件は、全てが鬼や霊が起こすものばかりではない。その裏には、それを使役し、謀を巡らす人の影がある。等級3以上の仕事とされているのは、そういう仕事だと裕樹は聞かされていた。人を相手にしなければいけないこともある。そして、人を殺める必要が出てくる案件もある。天御柱の術者になれば、いずれは誰もが経験する可能性のある仕事だ。
「梓乃ちゃん、きみたちもそろそろ行かないといけないんだろう?」
弓道場は食堂とはだいぶ離れた場所にあるし、事前準備の必要もあるはずだ。
「そうですね。ではそろそろ参りますね。私たち、午後も同じクラスなので」
梓乃が二人の女子生徒を振り返りながら、裕樹と蒼雲に断りを入れる。
「お先に失礼します。蒼雲さん、裕樹さん」
麻衣も祥子も腰を浮かせている。
「あぁ。俺たちももう行くよ。じゃぁ、梓乃ちゃん、また夕方、教室で」
「はい。失礼します」
三人は立ち上がり食堂を出て行く。振り返る三人に、裕樹は小さく手を振った。彼女達が嬉しそうな笑顔を向けて去っていく。早くも生徒の大半が退席を始めている。
「良くも悪くも、俺たちは立場が違う」
蒼雲が去っていく梓乃たちの背中に視線を送りながら、独り言のように抑えた声で呟いた。
「楽しい学園生活も、偽善でしかない」
「蒼雲、お前…」
蒼雲の膝の上に乗っている風霧が、ゴロゴロと甘えた声を出しながら蒼雲の腕に自身の頭を擦り付けている。蒼雲は、その猫の頭を優しく撫でる。
「非難しているわけじゃない。俺はこういうのは初めてだから、むしろ楽しんでいる。刹那的なものであると知りながらな。それに、遅かれ早かれ、他の連中もいずれはその事実を突きつけられる」
「……それは、」
「行くぞ、裕樹」
蒼雲が立ち上がる。裕樹もそれに続く。
二人は、並ぶようにして廊下に出て、教室に向けて歩き始めた。




