久々の学院
昼時の霊泉学院の食堂には、続々と生徒たちが集まってきていた。
自然光が差し込む広い食堂だ。反射を応用した複雑なシステムで取り込まれた光が、白い天井に投影され室内を照らす。晴れている日は照明いらずの明るさだ。所々に鉢植えが置かれたりして、学院内では1、2を争う癒しスポットになっている。全校生徒がここに集まって食事をすることになるのだが、スペースは十分にある。
生徒達は、新しく作られた班ごとに授業を受けるのだが、指導者や備品・設備の状況によって、実際には、複数の班が合同で授業を受けることが多い。さらには、一般教養にあたる語学や歴史などの授業は従来の1組、2組という組単位で受けることになっているし、普通の高校のホームルームにあたる時間には顔を合わせるので、同じ組の生徒とは多かれ少なかれ顔見知りだ。そして今週は、一通り1週間のスケジュールをこなして、学院のシステムにちょうど良くなじんできた頃だ。特に、先週はグループ分けのための実力テストが行われていて、お互いの実力について確認し合ったはずである。今朝からすでにその新しいグループで授業が始まっているので、食堂に来る生徒達は、男女混合の4〜5人のグループを形成しているパターンが多い。
学生食堂とはいっても、メニューの自由は無いので、生徒たちは、食事がセットされたトレイをカウンターで受け取って席に着く。カウンターの向こうでは、無表情の式神がテキパキと働いている。4時限目のチャイムが鳴り終わった直後こそはカウンター前に長蛇の列ができるが、その簡単なシステムのために、行列のために食事時間が短くなるようなことはない。自然とお気に入りの場所ができているのか、まるでパズルのピースでも嵌めるように、人がスムーズに流れていく。長机が何脚も並ぶ中、仲間同士雑談をしながら昼食時間を過ごすのだ。座学よりも実戦を想定した実習科目が多いため、昼休みは貴重な休憩の時間でもある。
裕樹たちは、弓道場からいったん自分たちの教室の前のロッカーに戻って、四人揃って食堂にやってきた。怪我による欠席のため、裕樹達にとっては実に1週間ぶりの食堂だ。
「彼でしょ? 猫風くんって」
裕樹たちが姿を現すと、食事をしていた生徒たちの間にさざ波のようなものが立った。
裕樹は、その揺らぎに眉を顰めた。
生徒たちはみな呪術師(の卵)なのでそれ相応の霊力を持っているが、それをしっかりと制御できている人間はほとんどいない。悪気はないのは分かるが、指向性を持った力は人を不快にさせる。見られている感覚、攻撃されているような感覚が、肌の表面にまとわりつく。それがたとえ好意であっても気分のいいものではない。植物の精霊を使役する木霊使いの裕樹は、微弱な生体エネルギーや微妙な気の変化に敏感だ。人ごみが苦手なのもそのためだ。
「猫使いなんでしょう?」
「あの、風の一族らしいぞ」
「入学式の時に土蜘蛛の術者を殺ったってのは彼なのか?」
「隣の人が御鏡くんよ」
「やだ、どっちもイケメン」
「猫森さん可愛いなー」
自分たちの噂をする生徒達のリアルな声も聞こえる。
講堂での土蜘蛛との戦いや土御門典膳との邂逅の件などで蒼雲や裕樹の噂は学院中に広まっている。
裕樹たち四人は、例外的に、四人だけで別の教室に隔離されているが、一部の基礎科目や特に専門に特化した分野の科目などは、他の班のメンバーと合同で受けることもある。例えば、初日には梓乃が弓術の上級クラスを1組と2組の混成チームと一緒に受けているし、雅哉も徒手格闘の授業を一組の二つの班と合同で受けている。これは、新入生全員を統括するチームとして、彼らの能力や特技、特徴について把握しておく必要があるからで、戦略的な理由からだ。これから徐々に班ごとの実戦的な対戦の授業が増えてくるというのも、それに付随する指示だ。
中途半端に存在だけが知られている状態は、より特別感を高める。四人はすでに、男女問わずに羨望の眼差しで見られる対象なのだ。女子生徒たちのひそひそ声がおそらく自分よりもはっきり聞こえているであろう蒼雲は、完全無視を決め込んでいる。
(聞こえていてもちっとも嬉しそうな顔しないのな)
そんなことを思いながら蒼雲の横顔を眺めていると、前髪をかきあげる彼と不意に目が合う。アンニュイな表情と蒼い猫の眼にドキリとする。
「いやー。もう蒼雲が弓術まで得意とは思わなかったな」
慌てて言葉を探して、照れを隠すために頭をかく。取ってつけたような会話だが間違ってはいない。少なくとも裕樹達四人には、一通り全ての武術の基礎科目を受けるように厳命が下っていて、今日から弓術の授業が始まった。その第1回目が午前中2時限連続であったのだが、蒼雲は、いとも簡単にすべての矢を的に中てた。2時間でようやく真っ直ぐ飛ばせるようになった程度の裕樹とは大違いだ。
「別に得意じゃないだろ。ただ一通り弓を引けたってだけだ。弓術の修練はほとんどしたことない」
蒼雲は決して自分ができることを自慢したりしない。逆に雅哉のように卑屈なほどに謙遜したりもしない。持って生まれた能力も、努力して手に入れた能力も自分自身の物に他ならないのだから、それを誇示したり隠匿したりしても意味が無いというのが彼の考えだ。いい意味で自然体。でも、彼のことを10歳の時から知っている裕樹には、その自然体そのものが、努力の末に作り上げられたものであることもわかっていた。
「いやいや、それであの的中率は無い。絶対ない」
「真っ直ぐ飛ばせば中るのは当たり前なんだから、別に特別なことはない」
「その真っ直ぐ飛ばすってのが難しいんだよ。ね? 梓乃ちゃん」
「確かに、あれは初心者ではないですね」
「ほとんどやってないって言っても蒼龍先生のことだからきっと何十時間もやってんだよ」
「そうですね……。弓を引くだけでも最低100時間くらいはやっているはずですし、それにあの速度で呪をかけられるとなると……」
「ほら。やっぱりなー」
裕樹が悪態をつくその隣で、梓乃は先ほどからこちらを見ている女子生徒に手を振っている。
「2組の吉兆瀬さんと、神楽坂さんです」
「あぁ、弓術の授業の時にいた子だね?」
「はい。最初に一緒だった時から、皆さんとお話ししたいって言っている子たちなのですが、彼女たちと合席で食事にしても構いませんか?」
弓術の授業は、時間が被っている2−A班と合同で授業を行っている。2−A班の吉兆瀬麻衣と神楽坂祥子は、最初の日に一緒に梓乃の父である猫森樟誠の授業を受けた仲間でもあるらしい。
(女の子同士だと、高校生らしい会話もしてるんだな)
なぜか他人事のように、裕樹は思った。自分だけが向こうに行くわけではなく、敢えて合席にしたいと願い出たあたりからして、以前話題に上っていたというのは本当だろう。
「俺はもちろん構わないよ。他のクラスの子と交流するなんてことあまりないから、むしろ嬉しいな。蒼雲は?」
「俺も別に構わない」
「雅哉は大歓迎だと思うけど…? 雅哉?」
「はぁ…」
安全牌だと思って振り返った雅哉が、打ち上げられた魚のような絶望的な表情でため息をついた。いつもならば「昼飯なんだろうなぁ〜」ってはしゃいでいるはずの彼だが、今日は元気がない。
「どうしたんだよ? 元気ないな。雅哉。可愛い女子が一緒に食事してもいいかって言ってるぞ」
「はぁ…」
そちらを見ようともせず、ぼそりと力なく溜め息をつく。
「あら? 雅哉さんが女性に興味を示さないなんて、どこか具合でも悪いのですか?」
梓乃まで心配して雅哉の顔を覗き込む。
「今日の午後…」
「あぁ」
その言葉に裕樹はすべてを理解して同情的な表情を浮かべる。
「なぜにいきなり親父の授業…」
がっくりと肩を落として疲れた表情の雅哉が、ポツリと愚痴る。
「月曜日の午後はそういう日課になってるんだから仕方ないだろ。そんなに大げさに嫌がらなくてもさぁ」
「そうですよ。私も弓術ですよ。まぁ、私の場合、この腕ではまともに弓が引けないので、鳴弦を使った払魔の授業ですけど」
裕樹と梓乃が、雅哉の愚痴に律儀に返事をしている。もちろん、その程度の慰めで解消するほど、彼の落ち込み度は浅くはない。
「しかもさぁ。週末は帰って来いとか言うしさぁ」
「あら? 私だって今週から週末は帰りますよ」
「はぁ…なんで梓乃ちゃんはそんなに楽しそうなんだか」
梓乃の様子に雅哉はまた大きく肩を落とした。
ようやく学校生活の話に戻ってきました(笑)。
他の同級生もちょっとずつ登場していく予定ですが、またすぐに学院外の話題になる予定でして……。




