SICSの本部
医務室を出てすぐ車に乗って、裕樹たちは今、市ヶ谷にある防衛省の廊下を歩いていた。敷地にある建物の一番奥、近代的なビルで構成される一隅とは一線を画する、レトロな煉瓦造りの建物の中だ。カツカツと靴音を響かせながら歩く案内係の士官を先頭に、スーツ姿の蒼龍と俊樹、そしてその後を霊泉学院の制服を着た蒼雲と裕樹がそれぞれ並ぶようにして歩いている。
その後ろを、トラのような大きさに変化した猫4匹が楽しそうについてくる。霊力のある人間にしか見えないとはいえ、大きな獣が廊下を我が物顔で歩いているのはドキドキする。初めての場所に対する緊張と相まって、裕樹はなんとなく落ち着かない。
「こちらでお待ちください」
案内された部屋は応接室だった。応接セットに誘導され、ソファーに腰をおろす。四人を残して、士官は廊下に消えた。
「よく来てくれた」
幾分も待たず、別の声がした。
入れ替わるように奥の扉から入って来たのは、肉の壁のような重厚な気配を持った男だった。制服の上からでも、その筋肉のありようが透けて見えるほどに密度の高いオーラが、目の前の男性からほとばしり出ている。
「まだ安静が必要な時期だろうに無理を言ってすまないな。もっとも、無理を言ったのは俺ではないんだがね」
口元に皮肉の笑みを浮かべながら、視線をほんのわずかだけ蒼龍の方に移す。
「こちらから出向いていく方向で考えていたのだが、二人には少しでも早くこちらのメンバーとの顔合わせをしておいてもらった方がいいだろうとな。それに、ここの方が、その手の装置が整っているのでね」
(この人が雅哉の父親だろう)
と裕樹は確信的な勘でそう思った。気配が似ている。裕樹は、おちゃらけた所がある立派な体躯のクラスメイトの顔を思い出していた。役小角の血を引く修験道の大家の家系だという雅哉の父親だ。山岳修験、遠山衆の頭領。徒手空拳の使い手で、退魔法に優れた術者だと聞いている。存在だけで魔を圧倒する迫力を持った目の前の男性は、厳つい外見とは裏腹にどこか懐かしい気配がする。
「遠山富嶽一佐。彼が、防衛省側のSICSの責任者をしている」
蒼龍が目の前の男のことを紹介してくれる。
(やはり…)
想像通りだったことに裕樹は少し口角をつり上げた。
「ほう」
腕組みをした遠山が溜息を漏らす。
「やはりそうか、という顔をしているね」
遠山は、裕樹のわずかな気配の変化を敏感に感じ取って声をかける。
「面目ない。感情を表に出すなと言ってはいるのですが」
その言葉に頭を下げたのは父親の御鏡俊樹だ。
「その子が御鏡の息子か」
「はい。裕樹です」
「なるほど」
富嶽は、もう一度呟いて、裕樹の顔を値踏みするような目で見た。
「根拠を聞かせてもらっていいかね」
「気配が、似ていましたので。雅哉君に」
「なるほど。気配か。さすがは木霊使いだけあって、気配には敏感なようだ。今回の件も含めて、息子がだいぶ世話になっているようだな。未熟者で足を引っ張ってばかりかもしれんが、どうかよろしく頼む」
「いえ、こちらこそ。お世話になっております」
裕樹が反射的に頭を下げる。
「蒼雲君も久しぶりだな。うちの馬鹿息子が突っかかっていったそうで迷惑かけたな」
「自分は、特に迷惑ではありませんでしたが」
「きみの相手にもならんかったか」
自嘲気味に笑った遠山に、蒼雲は表情も変えずに首を横に振った。
「そういう意味ではありません」
「そういえば、雅哉君の方はどうです?」
裕樹(おそらく蒼雲も)が気にしていたことを俊樹が代わりに尋ねる。
「あぁ。鎖骨と肋骨数本にヒビが入っている程度で大したことはない。蒼雲君のおかげで助かったよ。どうもありがとう」
富嶽が蒼雲に頭を下げる。
「相変わらずきみは強いね。また腕を上げたようだし、差は開くばかりだな」
「俊樹の所も遠山さんの所も秘密主義が過ぎる。現実を見せて徹底的に追い込まなければ、こいつらも中途半端な覚悟しか持てんよ」
いつもより柔らかな声音は先輩への配慮なのか、蒼龍にしては珍しく穏やかな笑みを浮かべている。まぁ、内容自体は穏やかではないのだけど。
「あぁ、僕もそれ最近実感した所なんですよ。遠山先輩もどうです? 鬼畜路線への変更、しません?」
「それについては俺もここ数日考えている。結局は俺たちが覚悟を決めなければならんということだろう」
親同士の会話はいつも子供達の頭上を飛び交いドキドキさせる。こんな時でも、蒼雲は表情を変えず、黙って三人の会話を聞いている。裕樹の視線に気がついて、一瞬だけ視線を合わせ、ほんの少し肩をすくめた。
「SICSは防衛省と警察庁が合同で運営する形になっていてね。防衛省側は俺を含めて現在28名で組織している。全員が天御柱所属の術者だ。警察庁側は俺の妻である賀茂弥生が責任者をしている。あちらは術者以外もいて70人前後だったと思うんだが、最近変動があったから正確な数字は把握していない」
「賀茂?…」
名字が違うことではなく、その名字自身に裕樹は反応した。
「聡いな。その通りだ。妻の家系は、賀茂氏に連なる陰陽道の家系だ」
遠山は裕樹の反応に笑みを浮かべる。
「そして遠山さんの家系は、役小角の末裔である修験道の家系」
俊樹が補足する。
(何だよ。すっかりエリートの家系じゃないか)
表情に出ないように、心の奥底で裕樹は雅哉の顔を思い浮かべていた。同時に、
(それはまぁ、プレッシャーかけられるのは分かる気がするな)
彼の境遇に同情する気持ちも湧いてくる。
「もともと妻の方が先にSICSに入っていてね。国防の名目で実働部隊を動かすための防衛省との折衝を容易にするために、俺が中に入ることになったというわけだよ」
「そうでしたか。その経緯は僕も聞いていなかったような気がします。ご結婚前ですよね?」
「あぁ。それで、ついでに籍も入れられてしまったがね」
先輩後輩の関係だということは聞いていたが、想像より近しい関係なのだろう。俊樹と遠山富嶽の会話には緊張感がまったくない。
「さて。正式な自己紹介は本部に移動してからということで、早速そちらへ移ろうか」
遠山に促され、一同は、遠山が出て来た部屋の奥にあるドアから隣の部屋へと移る。そこには地下に向かうためのエレベーターが設置されている。
「SICSの本部は地下にあってね。これで地下へと降りる」
言いながら、指紋認証のエレベーターの扉を開けて、富嶽は四人を中へと導く。
「東京の地下は、地下鉄の占有地ではないんだよ。実はいろいろと通路が張り巡らされていてね」
ドアが閉まると、富嶽は慣れた手つきで、階層表示パネルの上部を見つめる。
クィィン
軽やかな電子音を立てて、カードリーダーだった部分が別の画面に切り替わる。おそらく網膜認証をパスしたのだ。階層パネルの表示が変化する。富嶽の指が、Sという表示のあるボタンを静かに押す。それでようやく、エレベーターは地下へと下り始めた。外装のレトロさとは比べ物にならないほどに近代的なエレベーターだ。
「本部への入り口は何箇所かあるがここが一番入りにくい。ここは、本部の心臓部に直結しているからね。きみたちが直接ここに来ることは本来ならばまだ無いはずなのだが、いろいろと事情が変わってしまってね。即戦力になれそうなきみたちをSICS側の人間にも紹介しておく必要が生じてね。それになにより、3日前の話を聞かせてもらわないとならんからね」
操作パネルの前に立っていた遠山一佐は、そう言いながらこちらを振り返った。
「お言葉ですが遠山一佐。自分たちは、余り記憶が定かではなくて」
「心配しなくていい。記憶を取り出す方法はいろいろある」
その返答に、蒼雲が眉を顰めたのが分かる。
「まぁ、拷問して聞き出そうってわけじゃないし、そう嫌そうな顔をするな。そもそも、自白剤も効かないきみに拷問なんかしても無駄だろう? 潜在意識にアクセスしてそこに記録されている記憶を呼び出すだけだ。妻がその手の呪術を得意としているのは、きみもよく知っているだろう? 痛くも痒くもないよ。それに、今さら、潜在意識をさらけ出すのが恥ずかしいというわけでもないだろう?」
「自分は今さらで構いませんが」
蒼雲の視線がチラッと裕樹に動いた。
「なるほど。裕樹君はその手の扱いに慣れてないか。蒼雲君は父親と違って友人思いなんだな」
「そういうわけではありませんが」
ほんの少し照れたように、蒼雲は視線を外す。
「俺が随分と友人に冷たいみたいな言い方だな。遠山さん」
「違いますかな? 猫風殿」
遠山が意地悪な笑顔を浮かべながら蒼龍の顔を覗き込む。からかうような口調に、蒼龍も思わず苦笑いを浮かべている。
「違わないよな? もう、友人を友人とは思わないひどい所行ばかりだからな、お前は」
横から、俊樹が追い討ちをかける。
「いいがかりだ」
「この前も僕を囮に使っただろう? お前。最後まで何もしないで見ていただけで、働いたのは虎風と龍風だけだからな」
「認識の違いだ。結界を張るのはお前の方が得意なんだし、斬れば片付く案件だった。剣の腕はお前の方が確かだ。それに、猫どもを働かせるのが俺の仕事だ。別にお前のことを考えていないわけではない。むしろ信頼して任せていたんだから友人思いと言ってもらいたいものだ」
「よく言うぜ」
「こんな父親に育てられて、よくまともに育ったものだな、蒼雲君は」
三人の関係は、とても親密なようだ。
その間に、エレベーターは静かに速度を落とし停止した。ドアが開く。会話はいったんそこで中断した。




