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兄と妹

 両親を食堂に残して、いつものように、子供たちは先に退出した。

 彼らの使役する化け猫も、同時に食堂を出ている。先ほど鎮火した火災現場に新たな燃料を投下したのは無邪気な妹の一言だった。

「お姉様、蒼雲さんはそんなに素敵な人なのですか?」

 廊下に出るとすぐ、(かえで)が話を巻き戻した。

「何を言っているのですか、(かえで)。そんなことはどうでも…」

「ねぇねぇ、お兄様。お兄様は蒼雲さんに会ったことあるのですよね? どうなのですか? 蒼雲さんはイケメンですか?」

「な! (もみじ)まで何を言っているのですか!」

「お姉さまが好きだとおっしゃる方は、みんなかっこいい人ばかりですし」

「お姉さまは、お兄様のような方がお好きなんですよね?」

「こら、二人とも! お兄様はお忙しいのですからそんなくだらないことで煩わせてはいけません」

 梓乃はまるで熟れすぎたトマトのように真っ赤になって、二人の妹に拳を振り上げた。

「えー、でも…」

「まぁまぁ、梓乃。俺もたまには、妹たちと話をしたいと思っているのだから構わないよ。普段ほとんど構ってあげられないからね」

「お兄様」

 梓乃の不満そうな声を無視して、

「で、どうなのですか??」

困ったことに、双子たちは飛び切りのエンタメが始まるのを待ちきれないようなワクワク顔で兄の顔を見上げている。

 同じ(つい)で寝泊まりしている姉妹同士はともかく、兄と妹たちの交流はほとんどない。普段から仕事、学校、修練に忙しくほとんど会話をする時間も持てない兄妹にとって、休みの日にほんの少しの交流時間を持つことは楽しみでもあった。

「そもそもお前たちは、蒼雲君というのが誰かわかっているのかい?」

「うーん。猫使いの人、でしょう? たぶん」

「お姉さまのお友達」

「違うよ、いいなづけだよ」

「クラスメイトとは違うの?」

 兄から思いがけない質問をされて、(もみじ)(かえで)は顔を突き合わせてコソコソと打ち合わせ中。

「まぁ、呆れた。そもそも誰だかよく知らないのに言っていたのですか? あなたたちは」

「そんなことも確認せずにヒートアップしたのはお前だよ、梓乃。術者は常に冷静に状況判断できないといけない。平常心が大事なのだ。日常生活の中で相手の言動に注意を払うことも、身の回りの環境に注意深く目を向けておくこともいい訓練になる」

「すみません。お兄様」

 片腕にそれぞれ抱きつくようにしている二人の妹の相手をしながら、柾一郎は諭すように梓乃に話しかける。

「ねーねー、どうなのですか? お兄様」

 手に持った兄の腕を大きく揺すりながら、待ちきれない口調で言う妹たちを、梓乃は心の隅で羨ましいと思った。こんな無邪気な時間が許されるのもあとわずかだろう。足元に甘えるように寄ってきた歳の離れた妹に、兄は慈しむような視線を送っている。

「蒼雲君というのはね、猫風蒼雲、風使いの一族の人だよ」

「ではやはり、猫使いなんですね?」

「もちろん。風の一族は、陰陽五行にも関わる我ら木火土金水の猫使い各家を束ねる最強の実力を誇る一族だからね」

「強いの?」

 子供の無邪気な言葉に、柾一郎は「そうだよ」と頷く。

「強いし、頭もいいし、とてもかっこいい男だよ」

「うわー、かっこいいの? ほんとに?」

「お兄様とどっちが強いの?」

 子供は時に残酷だ。素直な質問が本質を抉り、時に人を傷つけることがあるのを知らない。

 だが、猫森家の次期当主はそんなことでは揺らがないだけの精神力を身につけていた。

「それはもちろん蒼雲君だよ。俺たちでは、風の一族に敵わない。しかも彼は、その風の一族の直系。次期当主だよ」

「えー、そうなのですか?」

「お兄様もとっても強いのに」

 妹達は口を尖らせて不満顔だ。梓乃は、自分も同調したくなる衝動を必死に抑えた。梓乃にはわかっていた。兄が、悔しさを隠していることを。

「敵わないけど、追いつけるように頑張っている」

「ではいつの日にか、お兄様の方が強くなるのですよね?」

(もみじ)、いいかげんに…」

 梓乃が割って入ろうとすると、柾一郎の手がすっとその体を制す。

「それはどうだろうな。蒼雲君だって毎日強くなろうと頑張っているからね。でも僕たちと蒼雲君は敵じゃなくて仲間だよ。どちらが強いかは重要じゃない。一緒に頑張って一緒に強くなって、猫使いとしてお互いの力を磨く。(もみじ)(かえで)も、猫使いになるんだったら強い人を目標にして頑張るといい」

 柾一郎の笑顔は、作り笑いではなかった。

「ではお兄様を目指します!」

 (かえで)が元気よくそう宣言する。

「あ、私もです!」

 (もみじ)が負けじとそれに続く。

「では俺は、お前達に追いつかれないようにもっと頑張らないとな」

 柾一郎が笑う。梓乃は、そんな兄の横顔を眩しそうにただ黙って見つめていた。


(かえで)様、(もみじ)様。そろそろお時間ですので、お部屋にお越し下さい」

 廊下の先で、二人の世話を担当している侍女が控えめな声で二人を呼び、柾一郎と梓乃に向けて深々と頭を下げる。

「お兄様、お姉様、ではまた後ほど」

「お姉様には、明日もまた会えますか?」

 (もみじ)の小さな手が、梓乃の手に絡み付く。

「もちろんよ。もし朝会えなくても、出かける前に声をかけるようにしますよ」

「絶対ですよ」

「えぇ」

 兄と姉は、侍女たちに促されるようにして勉強部屋へ連れて行かれる妹たちを廊下に立ったまま見送った。二匹の子猫達が、転がるように双子の後を追いかけていく。

 猫森家の子供は、土日といえども自由にはならない。朝食前の朝練、弓術の稽古や呪術の修練以外にも、書道、茶道、華道などの習い事の予定が目白押しだ。猫風家に居候するようになってからの梓乃も、週末には実家に戻りこれらの習い事をこなす…はずだったのだが、この1ヶ月は、週末の度に完全猫化の副作用で眠り込む生活が続いていて予定通りに行っていない。左腕が使えない今日も、習い事の予定は免除されていた。


「お兄様」

 妹達の姿が見えなくなったところで、梓乃は改めて柾一郎の背中に声をかけた。

 柾一郎はすぐに振り返った。

「どうした? 梓乃」

 双子の妹に対するのとは違った、甘さがまったく含まれない声。十歳以上も歳の離れた妹達は「子供」でしかないが、梓乃は違う。先ほども容赦なく厳しい指摘をしたように、15歳になった妹は、修行中の身とはいえ術者の一人だ。柾一郎は、猫使いの先輩として妹を指導する立場にある。

「お兄様の本日のご予定は、どのようになっておられますか?」

 それをわきまえている妹も、ことさら丁寧な口調で兄に話しかける。

「俺の?」

 怪訝そうな顔で妹の顔を見下ろす。足下にいた柾一郎の猫が、軽やかに彼の肩に上ってくる。

「もしお兄様にお時間があれば、あの…、稽古を付けていただきたいなと思いまして」

「梓乃はやはり変わったな。お前の方からそんなことを言ってくるとは思わなかった。俺は今日一日オフだから構わないが、お前は平気なのか? その腕では弓を引ける状態ではないだろう?」

 柾一郎の視線が、梓乃の左腕に注がれる。骨折をしているわけではないが、(かいな)を返す動作はしばらく控えるようにと医者に言われたのを、彼も知っていた。

「いえ、お兄様。できれば弓ではなく、体術の稽古をつけていただければと思うのですが」

「体術の?」

 問われていることの真偽を確かめるように、柾一郎は目を細めた。柾一郎の深い緑の瞳が、彼女の瞳に映り込みより深みを増す。

「猫風家にお世話になってから、蒼龍先生に猫魔拳聖流(ねこまけんせいりゅう)を教わっていますが、猫化を長く維持できないために、何度も気を失ってしまって…。でも、今みたいに弓が使えない時に襲われたら、体術で身を守るしかありません。私、皆さんの役に立たないのは仕方ないとしても、少なくとも足を引っ張るようなことはしたくないんです」

「体術に頼らなくても、梓乃には幻術があるじゃないか。七枝とのコンビネーションでは父上も舌を巻かれるくらいの力を発揮できるんだから。もちろん、徐々に体術を身につけていくのは大事だと思うから、猫風家で指導を受けているのは有益だと思うが、」

「いえ、お兄様。『森の牙』を、お教えいただきたいのです」

 梓乃が発した言葉は、柾一郎の言葉を、刃物のように鋭く断ち切る。

「それはつまり、弓矢を使った格闘術を覚えたいという意味だね」

 柾一郎が、梓乃の意図するものを読み取って言葉に出して確認する。

「はい」

「それがどういうものか、わかっているね」

 慎重に確認すると、梓乃がはっきりと、力強く頷いた。

 森の一族は、猫使いの中でも幻術や結界術に長けた技能を使いこなす。集団の中で戦う時は、弓術による遠距離攻撃、後方支援が得意だ。しかしその中にも、近接格闘に備えた体術もある。猫使いの一族が共通して学ぶ猫魔拳聖流はもちろんだが、弓使いには、弓矢を武器として戦う特殊な技がある。『森の牙』。矢を短剣や暗器のようにして戦う近接体術は、森の一族の中でも猫森家だけが使う秘術だ。それはまた、確実に相手の急所を狙い、相手の命を奪うための技でもある。そのため、森の一族の中でも、この技を伝授される者は概して男子と決められていた。

「父上はご存知なのか」

 いくらそれを伝授された身とはいえ、当主の意向は確認しておく必要がある。

「お父様には、昨日ご許可を頂戴しました」

 柾一郎の目が鋭くなった。

「お兄様にお願いして、実際に技を見せていただくように、と。その上で、再度自分の覚悟を決めるように言われました」

 弓矢による攻撃は相手との距離があるので人を殺める感覚が乏しい。それに引き換え、矢を武器として戦う場合は、自らの手で、相手の体に打撃を加えることになる。より生々しい命のやり取りの感覚が生じる。柾一郎は、人を殺めたことこそは無かったが、初めて実際に生身の人間に矢を突き立てた時の感覚を思い出していた。忘れることなど出来ない。それを、この心優しい妹に身につけさせることは心が痛んだ。それと同時に、妹がここまで決意をしなければならない高天原からの使命についても思いを巡らす。理不尽な現実に、柾一郎はグッと拳を握り込んだ。

「お願いします。お兄様」

 梓乃が深々と頭を下げる。

「簡単じゃないぞ。梓乃」

 これだけ言うのが精一杯だった。これ以上口を開いたら、泣いてしまいそうな気分だった。

「わかっております」

 頭を下げたまま、梓乃が固い声で返事をする。

「わかった」

 柾一郎は梓乃に背を向けて歩き始めた。地下への階段に向かって。

「ついて来なさい」

 梓乃は、兄の背中に黙って従った。

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