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二人の覚悟

 扉が閉まると、部屋には静寂が訪れた。

「蒼雲、お前はSICSのこと知っていたか?」

「あぁ、まぁな。父上のお供で何度か本部に伺ったことがある」

 さすがは蒼雲だ。裕樹が知らないことを平気で知っている。

「そもそも、仕事の依頼はSICSから来るんだから、お前だってもう関係している。前回の指令書にマークがついていたの覚えてないか?」

「うーん」

 指摘された記憶をたどってみるが、少しも思い出せない。

(これではまた父さんに怒られるだろうな)

 と裕樹は漠然と思う。注意力が足りないのは指摘通りだ。

「現在のSICSの責任者は、雅哉の両親だ」

 蒼雲は、驚くことをサラリと言う。しかも今、「両親」と言った。

「雅哉の? 両親?」

 裕樹の脳裏に、武闘派の同級生の顔が浮かぶ。彼の父親が術者であることは分かっていたが、まさか母親も術者だったとは。しかも二人ともSICSの責任者だと?

「あぁ。二人ともSICSに所属する天御柱の術者だ」

「あいつ、そんなこと一言も…」

「どうも本人も知らないみたいだったからな。俺も黙っていた」

「本人も知らない? 親の仕事を?」

「国家機密に関わることならよくある。特務機関や特殊部隊に所属していることは家族にだって秘密だ」

「そういうものなのか」

「あぁ。確か富嶽さんは自衛隊に籍があることも秘密にしておられたと思う」

「それってうちなんかよりもっと秘密主義じゃないか…って、もしかすると、父さん、もっと膨大な秘密持っているかもしんないから油断ならないか」

 裕樹は、自虐的な笑みを浮かべて傍の式神に視線を移した。目を伏せたままの山梔子くちなしの精霊は、実に芳しい。目に見えるものだけを信じるなという教訓は、この一ヶ月の間に裕樹が身にしみて味わったものだ。与えられる情報だけに満足してはいけない。自ら物事の本質を知る努力をする。高校生離れした蒼雲とは違って、知らされないことを知ろうとしなかった雅哉はおそらく自分と同レベルだ。妙に彼への親近感が増した。

 思考に沈んだまま、黙って包帯が巻かれた手のひらを見つめる。

「それにしても参ったな…」

 先に口を開いたのは裕樹だった。

「俺、そんな期待の星だったなんてさ」

「自信を持て。お前は優秀だ」

「なんかお前に言われても嬉しくないな」

 蒼雲に苦笑いを浮かべながら、裕樹は肩をすくめた。

「天才はお前で、俺はそれに追いつくのが目標だったんだけどな」

「状況はあまり変わらないだろう? お前が上を目指すことに変わりはない」

「まぁ、そうなんだけどさ」

「でも、自覚を持って行動するのとそうじゃないのとでは全然違うからな」

 言われていることは至極まっとうなことだが、すぐにそれができたら苦労はしない。

(こいつ、ほんとに俺と同い年なのか?)

 裕樹は心の中で苦笑いを浮かべた。


「そんなことより」

「あぁ、支度しないとな」

 山梔子の精がお盆をテーブルの上に置く。蒼雲がそちらに視線を移したのを見て、裕樹も起き上がる決意をする。体に付いているモニター用の機器を外し、ベッドから出る。もう一人の精霊が、それぞれの制服が入った岡持をベッドの上に置いてくれる。

「想像以上にダメージがでかいな」

 裕樹は布団から完全に抜け出して初めて、自分がほぼ全裸の状態で寝かされていたことに気がついた。式神がそんな感情をもたないことは理解しているが、それでも、すぐ近くで美しい女性が自分を見ている状態に気まずさを覚えて、裕樹は自然と彼女に背中を向ける形になる。視線を落として己の体に施された治療の跡を見る。上半身どころか肌の大半が包帯や傷パットに覆われている状態なのだから、このような格好で寝かされていたのも仕方がない。腹と左腕だけでなく右太腿にも包帯が巻かれている。呼吸をするだけでも胸が痛むので、肋骨も何本か折れているのかもしれない。それだけではなく、体中の骨が、筋肉がズキズキと圧迫されるように痛んだ。それでもたぶんまだ、痛み止めが効いている。

「蒼雲。大丈夫か?」

 ベッドからようやく立ち上がった蒼雲は、両手をベッドについたまま顔をしかめ浅い呼吸を慎重に繰り返している。こちらも体の大半を、包帯や傷治療シート、絆創膏の類いで覆われている。

「痛み止め、打ってもらうんだろう? お前の方がだいぶひどいんだな。俺はまだ薬が効いているみたいだ」

「怪我の程度は大して変わらんだろう。俺は猫化の影響もあるし、そもそも薬が効かない体にしてあるから、鎮痛剤が効きにくいだけだ」

「え? 薬が効きにくい体? それって…」

 裕樹の質問は新たなノックの音で中断された。

「どうぞ」

 白衣の初老の男性が入ってくる。

「すみません。舘野さん」

 蒼雲がその男性に呼び掛ける。

「あれ?」

 裕樹は疑問を口に出していた。

「舘野さんって…」

 この家に滞在するようになってから、裕樹も猫風家専属の医者や看護師に怪我の治療をしてもらったことがある。舘野という名前の医者に診てもらったこともある。しかし、今入ってきた男性には初めて出会う。

「あの時お前を担当したのは、舘野さんの娘だ」

「へぇ」

 裕樹は、自分の治療をしてくれた女医の姿を思い出す。緩やかなウェービーヘアに大きな瞳。小柄な体に不釣り合いな豊かな胸元が、条件反射的に脳裏に再生される。特に意識していたわけではないが、印象に深く残っていたのは男としての宿命だろう。そんなきれいなお姉さんという風情の舘野桜と、目の前の初老の医者の姿を重ねる。優しそうなところは、生真面目そうなところも含めて、似ているのかもしれない。きっちりとネクタイをした襟元が白衣の隙間から覗いている。七三分けにしたシルバーグレーの髪を軽く左右に振って心配そうな顔で蒼雲の元へと歩いてくる。

「坊っちゃま。どうしてもっと早くお呼び下さらなかったのですか?」

 猫風家の使用人たちの多くは、蒼雲のことをこう呼ぶ。当の蒼雲は、呼ばれるたびにくすぐったそうにしているのだが、それを窘めたりしない。裕樹は、最初の頃に二度ほどそれをからかってみたことがある。「呼び方について俺がとやかく言えるものじゃない」蒼雲はそう苦笑いを浮かべていたが、多くの人間が自然とそう呼ぶのだからいちいち否定していてはきりがないのかもしれない。

「失礼します。坊ちゃま。少し診させていただきます」

 向かい合う形で椅子に腰かけた舘野が蒼雲の首筋に両手を当てる。蒼雲が自然と目をつぶる。舘野の手がボウっとわずかに光ったのが裕樹の眼に視えた。

(猫風家に仕える医者が普通の医者なわけはないか)

 というのは裕樹の冷静な感想だ。呪術戦で負う怪我のうち、一番深刻なのは霊障だ。幽体や霊体が傷つくと、肉体が傷つく以上のダメージとなり治療も難しいと教えられている。

「幽体や霊体にダメージが残って無いのはさすがですが、だいぶご無理なさいましたね。この状態で意識を保っておられるのが不思議なくらいですよ。最初にお目覚めになった段階ですぐにお声かけいただければよかったのに。いくら我慢強いと言っても限度がありますよ、坊っちゃま」

 心から心配しているのだろう。言葉の勢いがきつい。

「すみません」

「坊ちゃまはいつもそうです。もう少しご自分の体を大切にして下さい。生身の肉体の強度には限界があるんですからね」

「わかっています」

「一時的に強いのを打ちますが、ご無理はなさらないで下さいね。所詮は薬で痛みの経路を抑えているだけなのですから」

「わかっています」

 蒼雲の機械的な返答に舘野は大きなため息をついた。

 おそらく、過去何度も繰り返されてきたやり取りなのだろう。そしておそらく、この蒼雲の返事は毎回空返事に終わっている。

 準備して来た容器から手際よく注射器を取り出す。ギョッとするほどに太い針だ。蒼雲の背後に回り込むと、彼の首筋を慎重に触っていく。

「いきますよ」

 目的の場所を見つけたのか、太い針を一気に首筋に差し込む。

「っつ……」

 蒼雲の顔が痛みに歪む。一瞬というには長い時間、舘野の指はシリンジを押し込んでいた。

「終わりました」

「…ありがとうございます」

 蒼雲が言葉を発するまでに間があった。

「裕樹様はいかがですか? 痛みはありませんか?」

 注射針を片付けながら、舘野は裕樹のことも気遣う。

「え? はい! 今のところは大丈夫です」

 注射針の感触が首筋に感じられて、裕樹は大きく首を振った。注射は苦手な物のひとつだ。舘野は、その誤解に申し訳なさそうな微笑みを浮かべる。

「念のため、錠剤タイプの痛み止めを持参しております。これから外出されるということですので、服用されておいた方が良いのではないかと」

「お気遣いありがとうございます。いただきます」

 舘野の手から白い錠剤を一錠受け取る。

「本当は、お二人とももう少し安静にしておいていただかなければいけないのですが…」

 舘野は、医者としての自分の言葉が優先されない状況を少し愚痴った。それでも、当主の意向には逆らえない。片づけを終えると、すぐに部屋を出て行った。

「お互い、一生怪我とは離れられない生活だからな」

 ベッドに腰掛けていた蒼雲が、独り言のように呟く。

「そうだね」

 裕樹が答えるようにニコッと笑うと、蒼雲もそれに応えて微笑んでくれた。表情が緩んでいるのは、すでに薬が効き始めているからかもしれない。

「それにしても、俺たちはとんでもない命令を受けているな」

「うん。あれは土御門典膳の呪術の一部。土御門典膳そのものじゃなかった。それなのに俺たちは」

「手も足も出なかったな」

「勝てるんだろうか? 本当に」

 制服のボタンを留めながら、裕樹が視線を落とす。脳裏には、あの夜の映像。反応も対処も出来なかった拘束場の展開。とても勝てそうな気がしない。

「高天原は、俺たちには出来ると思っている。ならば出来るのだろう。それを信じるしか無い」

「そうだけど」

 自信ない声は、距離を飛ぶことができず目の前に落ちた。そしてそのまま沈み込む。

「俺は、お前とならやれる気がする」

「え?」

 蒼雲が突然切り出した言葉を、裕樹は思わず聞き直した。

「お前はどうだ? 裕樹」

「蒼雲…」

「俺はお前の力を信じている。だから、俺たちならやれると思う。俺も、もっと強くなる。お前もそうだろう? 俺たちは一緒に強くなる。そして俺たちなら、必ず役目を果たせる。お前はそう思わないか?」

 蒼雲の真っ直ぐな瞳が、裕樹の中に眠っている何かを引き出そうとしていた。二人の視線が絡み合い、心に熱い火を灯す。

「…いや、俺もそう思うよ。蒼雲。俺たちなら、俺たちなら絶対にやれる」

 どちらからとも無く手を出して、二人はがっしりと握手をした。

 予定の時間に合わせて、着替えを終えた二人は並ぶようにして部屋を出た。

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