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大きな期待

 俊樹は、取り出した呪符を右手の人差し指と中指で挟んだ。

 小さく呪を唱える。

 

 ボワッッ

 

 青白い炎のようなものを残して呪符が消える。

那由他(なゆた)

 俊樹が空中に呼びかけると、唐突に、目の前の空間に人の形が現れた。何もなかった空間に物質が凝集して形を成す。式神の出現する瞬間は、何度見ても不思議で見るものを圧倒する。もちろん「それが見えているものにとっては」という限定付きだが。薄色の(おもて)萌黄(あさぎ)を合わせた藤のかさねを纏った美しい着物姿の女性。甘い葡萄の果汁のような芳香が白い部屋に満ちる。裕樹が自身の身近に置くために召還した藤の古木の精霊だ。

 いくら植物の精霊を式神として自由に使いこなすことができる木霊(こだま)使いといえども、他人が召還した式神を己の意志のままに動かすことは容易ではないのだが、同じ術式を使っている術者の場合、より霊力の高い術者の方が使役を乗っ取ることができる。そしてこの二人の場合、師匠である俊樹の方が遥かに強い。しかも、元からの使役者である裕樹は、意識を完全に手放している。

「霊体にも幽体にも、それほど大きなダメージは見られぬゆえ、もう目覚めても影響はないかと」

 那由他の声は、聴覚野に直接響くように聞こえる。

「ではそろそろ起きるように言ってくれるかな」

「心得た」

 俊樹の緩やかな命令に、那由他の姿が再び空間に溶ける。

 三人の視線が裕樹の上に注がれる。


「どうだい、裕樹? 大丈夫か?」

「と、父さん…?」

 寝転がったままの裕樹は、父親の俊樹だけではなく、蒼龍、そして蒼雲までもが自分を見ていることに気がついて、裕樹は困惑の表情を浮かべる。

「まだ痛み止めは効いているか?」

「えっと…」

 裕樹がゆっくりと体を動かす。背中から脇腹にかけて引きつるような痛みが走る。こちらも左上腕と胴に包帯を巻き、背中には火傷の治療のためのシートが貼られている。腕全体に無数の細かな傷が入っている。満身創痍という状態は変わりない。

「その状態で動けるんだから、まだ少し薬が効いているんだね」

 安心したような俊樹の声。

「二度寝させてもらったんだから、もう目眩は抜けているだろう?」

「うん…、目眩は、ないかな」

 軽く頭を振って目眩を確認した息子の言葉に満足そうに頷く。

「まだ横になったままでいいよ。で、早速だけど、黄泉津醜女について聞かせてくれないか? 土御門典膳(つちみかどてんぜん)が使っていたあの使い魔は、黄泉津醜女だったんだね?」

 土御門典膳、黄泉津醜女という言葉に、裕樹は瞬時に会話に追いつき、

「はい」

と敬語で返事をする。

「お前は、結界に干渉して来ていたのが黄泉津醜女だと最初から気がついていたか?」

 次の質問は蒼龍からだ。裕樹は必死に記憶を辿った。確かにあの鬼を見た時、すぐに黄泉津醜女だと気がついた。でもそれは、この目で見るまで確信はなかった。それではなぜ走り出したのか? なぜ最初に、相手が何かも分からないうちに走り出したのか?

「実は…昼間、医務室に運ばれた時、黄泉津醜女に襲われる夢を見ました」

 蒼龍の質問の答えにはなっていなかったはずだ。それにもかかわらず、蒼龍は満足そうに腕を組む。

「なるほど、やはりな…」

 俊樹と蒼龍が顔を見合わせ「全て合点がいった」という表情で頷く。それはとても確信的な顔で、二人の間で十二分に議論を重ねて来た上での結論だというのを案に提示していた。そしてそれは父親の顔ではなく、呪術師としての顔だった。

「実はな、裕樹」

 俊樹が身を乗り出すようにして、裕樹に話しかける。

「お前の使っている太刀・妖楠鬼切丸(ようしょうおにきりまる)には、強大な霊力を持った精霊が封じられている。それを封じたのは、御鏡家初代、天才といわれた木霊(こだま)使い御鏡威都樹(みかがみいつき)だ。刀に銘が付けられていることは決して珍しくはないが、妖楠鬼切丸という名は、刀の方ではなくてその鞘に付けられた名だ。鞘に入れられている刀に憑依することで、どんな鬼をも切り裂く力を与える。憑依した刀は、けっして刃こぼれせず、けっして折れない妖刀となる。しかし鬼切丸の本当の力はそんな物ではない。鬼切丸が使用者と一体化すると、辺りの気配を察し、将来起こりうる危機を術者に見せる力を持つ。それを使いこなすには、強い夢見の力が必要だ。師匠にも俺にも、いや、過去全ての先祖に連なる者たちもその力を持てなかった。だからお前にその刀を託した。正解だったな」

「夢見の力…」

「鬼切丸ともっと一体化すれば、彼が見せるビジョンがもっと鮮明に見えるようになるはずだ」

「そのためには、何度か死の淵を覗く必要がある」

 裕樹は視線を動かして、その言葉を発した蒼龍の方に向けた。

「その手の力は、夢と現実の境、幽冥界(ゆうめいかい)に意識を下ろした時に発動する。霊の誘導を受けて眠りが深くなった時など偶然に落ちることもあるが、それは極めて稀だ。自分の意志で、自由に幽冥界に降りられるようにならねば実戦には使えない。つまり、意識が鮮明な時でも必要に応じて幽冥界に意識を下ろせるようになる必要がある。幽冥界に降りる咒を操るためには、実際に何度か幽冥界に落ちる経験をして、感覚を体に覚えさせる必要がある」

「午前中、それを試してみたんだけど、さすがだね。やはりお前には潜在的な才能がある。刀が身近に無い状態でも見られたということは、鬼切丸との縁はしっかり結ばれているみたいだ。ごめんな、裕樹。お前には実は、結構大きな期待がかかってるんだよね。御鏡家の初代、当代一の術者と言われたご先祖様以来の逸材ってことで」

「えっと…」

 驚くことばかりが起きて、裕樹の許容を容赦なく超えていく。自分にそんな期待が寄せられていることは受け入れがたい。ただでも、現状についていくのがやっとの状態だったのだ。新たな、それもものすごい大きな期待に押しつぶされそうだ。

「それも、高天原(たかまがはら)の導きですか…」

「この世の中に偶然などは無い。全ては必然でしか出来ていない」

蒼龍の言葉を噛み締める。

「実は少し前から、天赦鬼道宗(てんしゃきどうしゅう)が死体を集めているという噂があってな。あの日、内偵をしていた者からその証拠を見つけたという報告を受けて秩父に出向いたんだがな。術式は完成した後で、もぬけの殻だった。そもそもが全て燃やされた後で痕跡すら無かった」

「それがあの鬼ですか…」

「父上は、あいつのことを土御門典膳とおっしゃっておられましたが」

 蒼雲が感情を抑えた声で口を挟む。

「そうだ。あれが土御門典膳だ。まぁ、一度この世を去った身だ。それが同じ土御門典膳だという保証は無いが。あの夜のあれは実体ではなかったしな」

「死体を生き返らせて使役するなど…」

 独り言のように裕樹が呟く。伝承的には、その手の呪法が存在することは知っていた。裕樹の不十分な知識の中でも泰山府君(たいざんふくん)の呪法などいくつか思いつく。しかし、伝わってはいるが、実際に行える術者がいるとは思えない。

土砂加持(どしゃかじ)ですか? あの鬼、腐臭と土の臭いがしました」

 蒼雲が別の呪法の名を挙げた。

 蒼龍が、無言のまま頷く。

「土砂加持…」

「密教の修法のひとつだ。正式には光明真言(こうみょうしんごん)土砂加持と言われている。本来は、土砂を加持して清めることで、それを用いて病人の病を除き、亡者の罪を除いて極楽浄土に送る修法なのだがな。その修法を使って死者を生き返らせることが出来るといわれている。土御門家は、安倍晴明から伝えられた泰山府君の祭を得意としているが、典膳は、むしろ土砂加持の方が呪術的に価値が高いと考えていた」

 蒼龍の答えは的確だ。この3日間に、いろいろと調査が進んだに違いない。

「で、体がつらいところ悪いんだけどね。聴取するから出頭せよって話だから、そろそろ起きてくれないかな」

「聴取? 出頭?」

 裕樹がその部分だけを疑問文にして聞き返した。

「SICSにね」

「しっくす?」

 聞き慣れない言葉に疑問符を浮かべながら蒼雲の方を見る。こちらはどうやら知っているらしく落ち着き払っている。

「天御柱が、警察庁と自衛隊内においている組織だよ。悪霊悪鬼羅刹が原因で起る事件の捜査や、情報統制などを行っている。捜査と言う点で全国の警察に対する命令権限を持つ必要があるために表向きは警察庁に所属しているようになっている。社会的には、国防と公安がくっついているっていうのはよくは思われないんだけど、きれいごとを言っても仕方が無いからね。天御柱(あまのみはしら)の一組織として高天原直轄の管理下にある」

「そんな部署が…」

 俊樹の説明に対する裕樹のため息混じりの言葉は、その実在性についての疑いではなく、その存在が秘されていたことに対する感想だ。驚きではない。知らないことが次から次へと出て来て、もういちいち驚いている余裕すらない。

「各地からの超常現象案件の調査収集、天御柱への依頼や、そこからの各術者への依頼を総括する役目も担っている。仕事にランク付けをして配布しているのはここだ」

「戦闘呪術師専門組織という名の統括組織で、天御柱の事務所みたいなものだよ。まぁ、実際には、調査や情報収集程度のことが主な仕事で、大きな仕事の大半は猫使いの一族に回されるんだけどね」

 俊樹が指を鳴らすと、不意に山梔子(くちなし)の甘い花の香りがして、式神が二体部屋に現れた。白い着物に黄緑色の打ち掛けをかけた女性。その気配で、裏庭の池の淵に咲いている山梔子なのだと裕樹は悟った。一人は岡持を二つ重ねて持ち、もう一人は握り飯の乗ったお盆を捧げ持っている。顔を伏せているので表情は分からないが、本来、式神に表情は期待できない。

「すぐに舘野(たての)をよこす。蒼雲。鎮痛剤を打ってもらえ。それから、着替えて玄関に来い。三十分後には出発する」

 裕樹の思考は蒼龍の言葉で中断される。

「はい」

 蒼雲が返事をして、裕樹が慌てて声を重ねる。

「猫どもは一緒に来い。飯にしてやる」

「わーい。ご飯ご飯」

「行く行く!」

 二匹の化け猫、風霧と雲風は、嬉しそうに尻尾を振って蒼龍の肩に飛び乗る。

「じゃぁ後でな、二人とも」

 俊樹も蒼龍の後に続く。二人が部屋から出て行くのを、裕樹と蒼雲は黙って見送った。

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