秘めた優しさ
珍しいことに、二人ともスーツを着ていた。俊樹はともかく、日常的に着物、それも袴姿が多い蒼龍が洋装をしていることは珍しい。
(人と会うためか、外出するためか…。それも、不特定多数の人の目に留まる場所への外出か)
軽く頭を下げながら、蒼雲は考える。
「目が覚めたみたいだね?」
少し嬉しそうに声をかけてくれたのは後から入って来た裕樹の父、御鏡俊樹だ。
「まだ横になっていていいよ」
「もっとも、目が覚めたのはだいぶ前のようだがな」
先に入って来た蒼龍はしっかりと牽制することを忘れなかったが、意外なことにそれ以上咎めることはなかった。蒼雲も、その牽制に驚きはしなかった。何せここは、屋敷内の医務室だ。屋敷の主である蒼龍に、中の様子を把握されていたとしても不思議はない。しっかりと確認したことはないが、おそらくは会話も筒抜けだ。蒼雲は、このこと自体に驚いたり焦ったりはしない。もともとプライバシーなどない環境で育ってきたために、この辺りの感覚が麻痺している。父親であり師匠でもある蒼龍には、身も心も完全にさらけ出している。家は安らぐ場所などではなく、外以上に緊張を強いられる場所なのだ。
「ご迷惑おかけしました」
ベッド脇の椅子に腰をおろした二人に、謝罪の言葉を述べる。動くたびに神経に触れる痛みに、グッと奥歯を噛み締める。
「心配はしたけど、迷惑はかけられてはいないよ。蒼雲君。気分はどう?」
「それほど悪くはありません」
「ってことは、良くもないってことだね」
蒼雲の答えを聞いてから、俊樹は神妙な顔で腕組みをした。言葉通りに取れば、「それほど」悪くはないのであって、ほどほどには悪いのだろう程度に解釈できるが、蒼雲がわざわざこのような表現を使ったことには意味がある。と、俊樹は彼の気持ちを思いやる。
「蒼雲君でそのダメージってことは、大丈夫かねぇ? 裕樹は」
体ごと向き直って、隣のベッドで眠っている息子の表情を観察する。こちらはまだ、ぐっすりと眠りの中だ。おそらく今は、効きすぎた薬によって眠っている。見た目のダメージは思いのほか残っていないようだが、身近で戦った蒼雲は、裕樹がひどい怪我をした瞬間も目撃している。
「先ほど少し話して、まだ目眩が残っているようでしたので」
おそらく聞かれていたであろうと思ったが、蒼雲も、先ほどの裕樹との会話の一部を俊樹に伝える。
「それで眠らせる時間をくれたのかい? 優しいね、蒼雲君は」
「いえ、そういうわけでは…。俺も、先ほどは結構つらかったので」
照れ隠しも含めた蒼雲の言葉を、俊樹は笑顔で受け取る。こんな状態でもなお他人のことを思いやれる目の前の少年が、羨ましくもあり可哀想でもあった。
「今の方がつらそうだがな」
蒼龍の目は誤摩化せない。蒼雲は、自分を見つめている鋭い視線に反射的に口を開いた。
「いえ、そんなことは、」
そこまで言いかけて、
「あ、いえ……はい…、つらいです」
蒼雲は珍しく素直に弱音を吐いた。
俯いたまま顔を上げない。
蒼龍が目を細める。蒼雲は、普段は滅多に弱音を吐かない。そう仕向けているのは自分だが、相当に我慢強いはずの息子が「つらい」と口にするのだ。
(3日間眠らせて正解だったな)
と蒼龍は抱懐する。もちろん、それではまだ十分ではないのは目の前の息子の様子から分かるのだが、薬と呪術の連続使用にも限界がある。
「あの場に張られていたのは平行感覚を狂わせる呪術だ。それに強力な電撃系の刺激で術者の感覚を麻痺させるものだった。平衡感覚が狂わされて長くそのままにしていると体への負担が大きい。だから、睡眠中枢が強制的に休眠の方向に向かわせたんだ。お前達二人ともかなり怪我をしていたしな。薬は睡眠よりも麻酔薬としての効果が高いものを投与した」
「薬剤への耐性が高いってのも時にはマイナス要因だね。あれ、相当強い薬だったし、裕樹の倍は投与されているはずなんだけど、蒼雲君、もう効いてないんだろう?」
俊樹が複雑な表情で蒼雲を労る。薬が効かない体というのは、メリットばかりではないのだ。
「目眩は残ってないか?」
「目眩はありません」
「後でもう少し痛み止めを出させよう」
「ありがとうございます」
伏せていた視線をいったん上げて、ほっとしたような表情で改めて頭を下げる。それから顔を上げ、二人の顔を交互に見て、
「申し訳ありませんでした。助けていただかなければ俺たち…」
さらに深々と頭を下げる。断片的に思い出してくる記憶のどれを繋いでも、あのまま父親二人が助けに来てくれなければ危なかった。包帯が巻かれた両手の拳をギュッと握りしめる。
「いや。奴の存在に気がつかなかったのは俺のミスだ。危ない目に合わせて悪かったな」
「え? いえ…。あの、その…」
おそらく初めての経験だ。父親に謝られたのは。思わぬ言葉に明らかに動揺している。こんな時どういう返事をすればいいのか、蒼雲は知らなかった。
「俺がもう少し状況をしっかり見て、ちゃんと対処できていれば。次は絶対、」
だから、謝罪を聞かなかったことのように流し、反省の言葉を重ねる。自己分析と対応策の検討。なぜ負けたのか、なぜ失敗したのかを振り返って反省する。幼い頃から叩き込まれて来た習慣だ。何度検討しても勝てる見込みはなかったのだが、刺し違える方法ならあったかもしれない。と、続けようとした言葉はそこで遮られた。
「確かに、将来的にはお前らが相手にしなくてはいけない相手だ。だが今の段階でどうこうできる相手ではない。それをわかっていて邂逅を許したのは俺の失態だ。すまない。しかしあれでお前もわかっただろう。裕樹が式神に結界を張らせていなければ危なかったし、あの状況でお前が雅哉と梓乃を助けていなければ二人は無事ではいられなかっただろう。咄嗟にその判断が出来たのは上出来だ」
これもまた蒼雲のよく知る父親の言葉とは思えなくて、蒼龍の顔を見上げてその表情の奥を読み取ろうとした。褒められるのは慣れない。困ったような目で蒼龍を見上げている。
「よくやった、蒼雲」
蒼龍の大きな手が、蒼雲の頭に乗せられる。蒼雲は気まずそうに目を閉じる。
「それにしても、見事にこちらの感覚を逆手に取った式神法だった。俺たちはあいつが東京タワー周辺にいると踏んでいた。本体に気を取られすぎて、あれだけの鬼を仕込んでいることに気がつかなかった」
「あれは黄泉津醜女だね?」
「はい。裕樹がそう言っていました」
「じゃぁ、裕樹が起きてからこの続きを聞かせてもらうとしようか」
俊樹は、ポケットから一枚の呪符を取り出した。




