来訪者
「入りなさい」
客間の入り口で声を掛けると、すぐに中から入室を促す声がかかった。
梓乃は廊下に膝をついたまま、片手で障子を開けて室内に身を入れた。片手での所作は少し不自由だったが、一連の動作は体に染み付いている。
「遅くなって申し訳ありません」
障子を閉め終えて頭を下げる。
「うむ。ここへ来て座りなさい」
父に促されるままに、彼の隣に置かれた座布団の上へと膝を揃える。目の前には、体にぴったりとフィットした黒のスーツをピシリと着こなした女性と、ダークグレーのスーツに紺色のネクタイをした男性の二人。上座に座っている女性の方が身分が上だろうという推察はできるが、二人の年齢差はほとんどない、というかむしろ女性の方が若くさえ見える。髪型と、ひときわ目を引く真っ赤な口紅のせいかもしれない。
それにしても、きれいで若々しい人だった。
「紹介します。長女の梓乃です」
父親に名前を呼ばれて、
「初めまして。梓乃と申します」
梓乃も反射的に名前を名乗った。
森の一族の本家である猫森家の長女として、この手の社交には慣れている。婚姻によって猫化因子をつないでいく猫使いの一族の間では、同世代の子を持つ家同士の交流も頻繁だ。とはいえ、当事者が預かり知らないところで親同士で勝手に行われることが大半ではあるのだけれど。
「はじめまして。警察庁刑事局捜査第一課超現班の賀茂弥生よ。こちらは、私の部下の梨木」
意外な言葉に、梓乃は眼を見開いた。上下関係にではない。超現班という名前にだ。聞いたことが無い部署だった。
「梨木賢太郎です。よろしくお願いいたします」
その言葉を反芻している間に、今度は部下だと紹介された男性が挨拶をして頭を下げる。見た目は女性とそれほど変わらない年齢のようだが、声やしぐさからはだいぶ若いように見える。
「賀茂君は、私の後輩だ。SICSの責任者をしている」
父親の言葉に、梓乃は「あぁ」と何かを閃いたような顔をする。知っている知識と繋がったのだ。SICSという言葉は聞いたことがある。払魔や退魔の仕事を依頼してくる組織が、SICSだと兄から聞いたことがある。
「超現班っていうのは、対外向けの名称でね。正式名称は、超常現象捜査班っていうの。通称はシックス。天御柱の一組織で、全国の悪霊や鬼が関わって起こる事件や事故の調査を担当しているのよ。だから、警察庁の中に入っていることになっているけど、実際は独立の組織よ。もちろん、一般人は存在すら知らない。それにそもそも警察庁刑事局は、普通は捜査なんか担当しないしね。全国の警察を指揮下に組み入れなきゃいけない関係で、便宜的に警察庁の中に置かれているっていうだけよ。だから、かなり特例的に現場の捜査もするし、案件に合わせて術者に仕事の依頼をしたり、術者をサポートするのも私たちの仕事なの」
弥生の動きに合わせて、髪が軽やかに揺れる。左右非対称のショートヘアが、理知的な話し方にとてもよく合っていた。
「では、賀茂様も梨木様も天御柱の呪術師でいらっしゃるのですね」
「そう。あ、それと私のことは、名字ではなく名前で呼んでね」
「私のことも梨木とお呼びください」
思いがけない申し出に、梓乃の方がおろおろしてしまう。
「え、いえ……それでは、弥生さんと梨木さんということで、ご容赦ください」
「いいわ。じゃぁそれで」
弥生は、人懐っこい笑顔で梓乃の緊張を和らげようとしていた。
「それで、怪我の方はどうかしら? あなたのお父様からは、左腕にヒビが入っただけで大したことは無いって聞いているのだけど」
「はい。おっしゃる通りです。細かな切り傷や火傷はいくつかありますが、大きな怪我はこの左腕だけです。それにこれも、それほどひどいものではありません」
「そう。それはよかったわ。顔の怪我も大丈夫なのよね? 女の子が顔に傷が残ったんじゃ大変だものね」
梓乃の頬の絆創膏をじっと見つめながら、弥生はまたにっこりと微笑む。それからすっと視線を上げて、梓乃の緑色の瞳を見る。それは、心の奥まで見透かすような深いまなざしだった。
「あなたの騎士達は、しっかりあなたを守ったってわけね」
「な、騎士達って…! 蒼雲さん達は私の騎士などでは…」
「でも蒼雲君はあなたの許嫁なのでしょう?」
「それは、今のところ事実ですが、ですが…」
反論すべき時であることは明らかなのに、反論の言葉が見つからない。いやそもそも、父親の同席する場で、反論することすらできないはずだ。蒼雲の許嫁になったことは自分の意志で決めたことではないけれど、家の決定には逆らえない。猫森家の娘として、猫使いの一族の誰かと結婚することは決まっていることだ。
でも−−−。
「蒼雲さんも、裕樹さんも雅哉さんも、私のクラスメイトで、一緒に戦う使命を与えられたチームメイトです。私は彼らに守られる存在ではなく、彼らと一緒に戦うべき術者なのです」
これだけははっきり言える。実力は遠く及ばないけれど、その覚悟だけは、持っているはずだ。梓乃は、堂々とそこの部分を反論した。
心の奥を覗き込んでいた弥生の視線が緩む。そして、今までで一番暖かな眼差しになる。
「正解。若いのにしっかりしているわね。さすがは森の一族の長女ってことかしら? 芯の強さは、柾一郎君にそっくりですね。猫森先輩」
「実力は遠く及ばないがね」
梓乃の兄である柾一郎は、すでに猫使いとして実績を上げている。比較されるには、もちろん無理がある。
「それでも、躊躇無く現場に走って行けるのだから大したものよ。雅哉も、梓乃さんの破魔矢に助けられたって言っていたし、高天原の人選は、いつもながら適切ですね」
「え?」
梓乃が弥生の台詞に首を傾げたところで、弥生は端然と居住まいを正した。
「では、梓乃さん。そろそろ本題に入るわね。今日私たちがここに来たのは、あの夜のことを聞かせてもらうためよ。あの夜に何があったのか、覚えている範囲でいいから教えて欲しいの。どんな些細なことでもいいから」
弥生の指が、胸元のポケットからICレコーダーを取り出して机の上にコトリと置く。隣では、梨木が手帳を取り出しメモの用意を始めている。
「SICSは、お前達の仕事のサポートをしてくれる。そのために、先日の襲撃の情報を収集して分析してくれている。覚えていることを全て話しなさい」
父親に促され、梓乃は小さく頷き、あの夜の出来事へと意識を戻していった。




