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猫森の姉妹

 猫森梓乃(ねこもりしの)は後悔していた。

 着替えを手伝ってくれるという侍女の言葉を断ったことを。

 片腕が自由にならない状態では着替えもままならないことを、梓乃は改めて確認していた。

 まず、着物は無理だ。

 帯が結べない。

 袖の長い洋服も難しそうだ。

 左腕を、頑丈なプロテクターで固定されている。それ自体は動かすのに問題ないが、肘を曲げた状態で固定されているので可動域に限界がある。

 結局、ノースリーブのロング丈のワンピースの上にカーディガンを片袖抜きで肩からかけることで妥協し、苦労しながら何とか着替えを終えた。

 いったん外した三角巾を再び首からかけて、そこに左腕を入れる。

 いつもはポニーテールに結わえている髪も、そのまま背中に垂らしている。


「はぁ…」

 時間が無いのは分かっていたが、梓乃はいったん鏡の前の丸椅子に腰かけて、ため息をついた。体のあちこちが痛む。

 左腕を吊るしている三角巾と左頬に張られた絆創膏。肩や背中、足にも傷パットや包帯が巻かれた箇所があるが、それでも翌日から起き上がれるだけ軽傷だ。左腕も、ヒビが入ってはいるが折れているわけではない。

「二人は大丈夫かしら?」

 鏡の中に映る自分に問いかけるかのように口に出す。

 雅哉の怪我が自分と同程度であるという話には安心したが、蒼雲と裕樹が意識不明で眠ったままだということを心配している。

 土御門典膳(つちみかどてんぜん)の襲撃を受けた夜。梓乃が気がついた時には、二人はすでに意識を失って土砂降りの雨の中に倒れていた。


『幽体への直接的な攻撃の影響で強制的に睡眠に落ちたのだろう』


 と、蒼雲の父親であり、自分たちのクラスの担任でもある猫風蒼龍が言っていたが、先ほど聞いた話では、二日たった今もまだ意識が戻らないという。

 二人は猫風家の医務室に運ばれているため、実家に連れ戻されている自分にはお見舞いに行く手段もない。

「はぁ…」

 梓乃はもう一度、大きく息を吐き出した。

 今度の溜息は、あの夜あまりにも無力だった自分に対して。

 恐怖に足が震えていた自分に対して。

 猫使いになってから、兄や父のお供で実際の払魔(ふつま)の現場に行ったことは何度かある。実際に自分の化け猫である七枝(ななえ)を使って退魔の仕事を担当したことだってある。でもそれは、ただの「体験」に過ぎなかったと、梓乃は述懐する。

 襲撃事件によって、大手町界隈は大きな被害を受けた。首都高速は竹橋ジャンクション付近で起った車両爆発のために未だに周辺区間が封鎖されているし、内堀通りを中心に死者も二桁出ている。一般人も巻き込まれたテロ行為として、昨日からずっとニュース番組のトップを飾っている。ただし、その原因が土蜘蛛衆(つちぐもしゅう)の襲撃であることは完全に伏せられている。高天原の情報統制は完璧だ。

 壁にかけられた時計に目を遣って梓乃は立ち上がって部屋を出た。



「お姉様!」

 廊下を幾分も行かない所で、背後から甲高い声に呼び止められた。

 中庭をぐるりと取り囲む廊下のちょうど反対側から、二人の少女が競うようにして走ってくる。二人とも緋色の袴姿に襷がけをしている。背格好も顔もよく似ている。くりくりとした大きな目をした可愛らしい少女達だ。違いがあるとすれば髪型で、一人は肩にかかる長い髪を緩やかに束ね、もう一人は前下がりのショートボブだ。

(もみじ)(かえで)。廊下を走ってはいけません」

 振り返った梓乃が、走ってくる二人を諌める。

「でも!」

 ショートボブの女の子がすかさず反論した。

(かえで)。注意されたら、まずはどうするのですか」

 落ち着いた声で自分を見上げている少女に視線を落とす。

「すみません、お姉様」

 彼女の隣の長髪の女の子が先に頭を下げる。

「す、すみません。お姉様」

 慌てて先ほどの少女も謝罪を口にする。

「よく出来ました。(もみじ)(かえで)

 梓乃は、二人の少女に柔らかな笑みを向ける。

 猫森椛と猫森楓。今年六歳になる、梓乃の双子の妹だ。顔形や声はそっくりだが、性格は微妙に違う。せっかちで少しおおざっぱな(かえで)と、控えめだけど芯の強い慎重な(もみじ)。袴姿でぐっしょりと汗をかいている二人は、おそらく弓道場からの帰りだろう。

「二人とも、修練はもう終わったのですか?」

「はい。ちょうど今終わった所です。それよりもお姉様。お怪我の方はもうよろしいのですか?」

 長髪の少女、(もみじ)が、見上げるようにして姉の顔を覗き込む。その顔が心配の色で塗り尽くされている。

「まだ寝ておられた方が良いのではありませんか?」

 梓乃の左腕が首から三角巾でつるされているのを見て、(かえで)の顔も、今にも泣き出しそうだ。二人とも姉のことが大好きなのだ。

「心配いりませんよ。私の怪我は、寝ていなければいけないようなものではないのですから」

「でも、その左腕…」

「派手に骨折したわけではないから大丈夫よ」

「でも…」

「お父様に呼ばれているのよ。お客様がお見えだとかで」

 梓乃は、廊下の先にある客間の方に視線を送った。二人の少女は顔を見合わせて、先ほど敷地内に入って来た車はその来客のものだったのかと確認し合った。

「すみません。お引き止めしてしまって」

「ごめんなさいね。だからまた後で。夕食の席で会いましょうね。(かえで)(もみじ)

「はい。お姉様」

「また後ほど」

 二人の妹は、揃って梓乃に頭を下げる。見送られる形になって、梓乃は再び廊下を歩きはじめた。

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