表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/104

少年と化け猫

 嫌な気配がした。

 アレが来る気配だ。

 次の瞬間、裕樹の体は苔の上に倒れ込んでいた。

 少年が突き飛ばしたのだ。

 その彼の姿は、暗い森の中に溶けてもうほとんど見えない。ほんのわずかな時間、白い着物にこぼれてきた月光が当たる時にだけ、その位置を確認できる。

 彼は戦っていた。

 アレと。

 白い透明な人影と。

 すごい数だ。

 いつの間にかものすごい数の人影に取り囲まれている。裕樹は本能的に息を潜めた。

 これはきっと、まずいやつだ。

 事態の急展開についていけない。

 しかしその間も、少年は、左腕に握った刀で、その人影を切り割いている。

 剣道とは違うようだった。そういう規律に富んだ動きではない。それでいて、がむしゃらに振っているわけでもないようだった。

(きれい)

 と裕樹は思った。白っぽく透明な人影が小さく切り裂かれて宙を舞っていく。それはまるで、桜吹雪のようだった。

(強い)

 これも本能が告げる。少年の動きには無駄が無かった。片腕で握った刀を素早く振って、花吹雪を量産していく。

「!」

 突然、少年の体が丘から消えた。

 横から飛んできた何かが、彼にぶつかったのだ。

 突然現れた、白銀の大きな獣が。

 獣は空中でくるりと一回転して、音も立てずに木の幹に垂直に留まった。二秒と待たずに、再び空中に舞い上がると、少年が消えた斜面に向かって落ちていく。

 

 シュンシュンシュン

 パシッ

 パシッッツ

 ガサ

 パキッ


 ガサガサ

 ドス

 ドスン


 いろいろな音が絶えることなく続いている。

 裕樹はつけっぱなしになっている懐中電灯で足元を照らしながら、斜面の下が見える場所まで移動した。

 20メートルくらい離れた場所に、開けた場所があった。

 月明かりがスポットライトのようにその場所を照らしている。

 そこに、少年はいた。

 彼の前には、銀色の長い毛をなびかせる獣。長くて大きなフサフサの尻尾が激しく振られている。

獣の左手が、少年の背中で左上から右下に大きく動いた。

「ぐあぁっ」

 少年が前のめりに吹っ飛ばされる。

 ふいに、白銀の獣の隣に、同じくらいの大きさの黄茶色の獣の姿が現れた。

 2匹の獣の影が、月光に照らされて地面に伸びる。

(と、ら?)

 裕樹は口を開いたが、声が出なかった。

 体が動かない。

 夜に透明な人影に出会うとなることがある、金縛り。体が地面に縫いとめられたように動かず、声を出すことすらできない。

 その間にも、その2匹の大きな猫科動物は、代わる代わるに彼に向かっていく。

 目の前にいるのは虎か? 虎サイズの猫か?

 シルバーに渦巻き模様のような大きな黒縞の猫。黄茶に黒い縞の、それこそ見た目まで虎模様の猫。どちらもフサフサの長い毛に覆われ尻尾を立てている。

(尻尾が2本!? バケネコだ)

 去年買ってもらった本にそう書いてあった。妖怪になった猫は尻尾が2本になる、と。

 銀猫の爪が、彼の右の肩に刺さる。そのまま、着物の右袖を引きちぎる。彼が蹴り上げた足を利用するように逆に蹴り返しながら、銀猫が体を離す。

 入れ替わるようにして虎猫が飛び掛かる。

 地面を転がって虎猫の攻撃をよけた彼は、左手に持つ刀を大きく横に薙ぐ。

 飛び掛かろうとしていた猫が空中で身をひねり、刀身を蹴って飛びのいた。

 先ほどよりもますます、彼の体はボロボロだった。

 立ち上がった彼の右腕から、遠目にもわかるほどに大量の血液が、ボタボタと地面に吸い込まれていく。

 そこへ、別の獣が2匹現れた。こちらもフサフサの毛をした白黒猫と灰色猫だった。先ほどの2匹ほどではないが、ゴールデンレトリーバーほどの大きさがある。

 肉食の大型獣が4匹。

 絶望的な状況だ。小さな人間の少年が、大きな猫に狩られている。

 予備動作もなく、後から来た猫のうちの1匹が、いきなり少年を背後から蹴り飛ばした。倒れ込む体を、その白黒猫がいきなり咥えた。

(あ! 喰われる!)

 丘の上で立ったまま動けない裕樹は、思わず目をつぶった。

 ブスリ

 と。牙が肉に刺さる音が聞こえたような気がした。

 そっと目を開ける。

 少年の体が、猫の口の中にあった。

 牙が、深々とその体に刺さっている。

 猫は、少年を咥えたまま、クイッと顎をあげた。

 少年の体からスローモーションのように牙が抜けて、その体が大きく宙に跳ね上げられた。赤い血の軌跡が月光に照らされる。

 落ちてくるところを、猫は鼻先でもう一度空に放った。

まるでネズミのおもちゃのように。

 彼の体が、裕樹の5メートルほど離れたところに落ちた。

 ついさっき彼を跳ね上げていた白黒猫が身を低くして、ギラギラとした目でそれを狙っている。

 もう1匹の灰色猫も、同じように上半身を低く落として臨戦態勢だ。2本の尻尾が、ゆっくりと振られている。青銀色に怪しく光る目。真っ赤な舌で舌なめずりをする。

(今度こそ喰われる!)

 裕樹の体は震えていた。

 ついさっき会ったばかりの少年だが、彼が弄ばれている姿に心が切り裂かれるほどに苦しい。彼が目の前で喰われるのを黙って見ていることしかできない自分。だがしかし、黙って見ている以外、自分が助かる術はない。


『猫は見つけた獲物を容易には殺さない』


 また父親の言葉が蘇る。

 いつだったか、おじいちゃんの家の庭に猫が鼠を咥えて来たことがあった。

 猫は鼠を死なない程度に甘く噛み、放り投げ、逃がし、また捕まえ、しばらく狩りを楽しんだ。そして結局、食べなかった。

 猫は、必ずしも食べるために狩りをするわけではない。

(だとすれば)

 と裕樹は思った。

(まだ彼を助けられる! 今のうちに彼を猫の攻撃から守れば、彼を助けられる)

 彼と自分との間の斜面に、彼が握っていたあの刀が落ちている。

(あれさえあれば…)

 でも体は動かない。

(動け!)

 と裕樹は願った。灰色の猫の尻尾の振り方が早くなる。

(動け、動け、動け!)

「動けー!!!!!」

 8つの目が一斉にこっちを見る。

 裕樹は斜面を走り出したのは、灰色猫が地面を蹴ったのとほぼ同時だった。

「!」

「!」

「!」

 その森の全ての時間が、一瞬止まった。

 灰色猫の振り上げた左手の肉球が、刀の切っ先と触れ合うようにして止められていた。

 両手でしっかりと刀を握りしめた裕樹が、倒れている少年の前に立ちはだかっている。

 猫が振り下ろしかけていた手を持ち上げる。

 肉球に、ツーッと血の珠が浮かんだ。

「ど、どけ! あっちにいけ!! バケネコ!!! あっちに行け!!!!!!」

 ブン

 空気を切る音を立てて刀が振られる。

 ブンブンブン

 裕樹は無我夢中で刀を振った。

 猫は腕を引いて、血の珠が浮かぶ左手の肉球を舐める。

「驚いたな。人間だぞ」

 右手奥に座っていた銀色の猫が人の言葉を話した。

 裕樹は慌ててそちらに視線を送る。

 ゴクリと唾を飲み込む。

「痛いな。肉球、切れた」

 目の前のものすごい近い距離で、灰色猫がその真っ赤な舌でペロリと肉球を舐めている。ギラギラと、青銀色の目が光っている。

「しかも、オレたちが見えるらしい」

「ほんとだね、オレたちのこと見えてるみたいだ」

「しかも、蒼魔刀を使って、風霧の体に傷を付けた」

 左の猫、奥の猫、右の猫、すべての猫が人の言葉を話す。

「うわぁ!!」

 悲鳴の代わりに大声で気合いを入れて、裕樹は刀を八双に構えて大きく前に踏み出していた。

「うわっ、危な!」

 灰色猫が座った姿勢からそのまま、2メートルは後ろに飛び退った。

「いきなり危ないなぁ、もう」

 驚いて真ん丸の目をしている。

「今の、なかなかすごかったぞ」

「何者だ、こいつ?」

「雲風、こいつ蒼雲の友達か?」

 黄茶の虎模様の猫が、近くにいる白黒猫に声をかける。

「いや? あいつに友達なんていないし。オレ、知らない」

「アタシも知らない、こんなヤツ」

 灰色猫が言葉を被せる。

「お、お前……何、やってる……」

「あ! 気がついた!? 大丈夫??」

 背後に倒れていた少年が体を起こす。裕樹が振り返って、足早に駆け寄る。

「くっそ!」

 少年は左手の甲で、目に入ってくる額の血を拭う。

「さっきより傷増えていて血だらけだよ。大丈夫? 逃げよう、一緒に。ここから一緒に逃げよう!」

 しゃがみ込み、その手を取ろうとし裕樹の腕を、またしても乱暴に払う。

「お前……何やってんだ……。こんなところに、出てきてるんじゃねぇ。あっちに行け、邪魔すんじゃねぇ」

「何言ってるんだよ! きみ、こいつらに、このバケネコ達に殺されそうになってたんだよ。ここにいたら、食べられちゃう。逃げよう、一緒に! ね!」

「バカ。こいつらに見つかって、もう、逃げられるわけねぇだろう」

 少年は苦しそうに肩を押さえながら立ち上がった。

「なら、僕がここでこいつらを足止めするから、その隙にきみは逃げて!」

 なんでそんなことを言っているのか分からなかった。

 でも、裕樹はそうした。

 さっき会ったばかりの他人だけど、でも、人が一人目の前で殺されるのを、黙って見ていることは裕樹にはできなかった。かといって、それで自分が死ぬかもしれない理由にはならないけれど。

 母さんは悲しむだろう。

 父さんも悲しむだろう。

 おじいちゃんも、きっと悲しむ。

 それでも。

「早く、逃げて!」

 ギュッと刀を握り直す。手のひらにべっとりと汗をかいているのが分かる。

 今やすっかり間合いを取った4匹のバケネコ達は、ギラギラとした目で、不思議そうに裕樹の動きを眺めている。

「おい、蒼雲。そいつ誰だ? お前の知り合い?」

 一番近くに座っている白黒猫が、無造作に言った。

さっきまでの殺気が全くない。

「違う。こいつは、ただの迷子だ」

「ただの?」

「迷子?」

 銀猫と虎猫が重なるように言って顔を見合わせる。

 それ以上に驚いたのは裕樹の方だ。

「きみ、このバケネコと知り合いなの??」

 何が起こっているのか分からなくなって、裕樹は混乱した。

 さっきまで、バケネコ達は明らかに少年を狩りの獲物のように扱っていた。実際に彼の体は傷だらけで、ダラダラと流血している。それなのに。

 おかしい。

(全ては罠で、ここで喰われるのは自分なのではないか)

 裕樹の脳裏を一瞬、そんな不安が駆け巡った。

 背中を嫌な汗が流れる。

 喉が、カラカラに乾いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ