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修羅の道

 裕樹は、汗でべったりと貼りついた前髪を乱雑にかきあげる。眼に血が入って視界が黄色くなった。道着の袖で額を拭うと、汗が真っ赤だった。額を切ったようで、それが出血している。

 午前中に俊樹に打たれた脇腹は、庇えば庇うほど弱点とみなされ執拗に狙われる。蒼雲とは距離が開いている。最初こそ背中合わせで戦っていたが、なにぶん裕樹の力不足で、処理しきれない。

 刀を握る握力が低下して、集中力が切れる。咒が保てない。

「おい裕樹。ただ小さくちぎるだけだと、却って数が増えるだけだぞ。お前は自滅する気か?」

 俊樹の声が頭上から降ってくる。

 わかっている、そんなことは。

 でももう、限界だ。足が立たない。腕も。力が入らない。

 始まってからもう、3時間ほどが経っている。めちゃくちゃだ。裕樹はすでに、思考のための集中力を維持することもできなくなってきていた。

 俊樹は、そんな息子の様子に小さくため息をつく。

 ふいに、俊樹の隣の机の上にうずくまっていた風霧の耳が動いた。

 ガラガラガラ

 部屋の扉が開き、誰かが教室に入ってくる。

「おぉ、初日から随分過激なことやらせてるじゃないか」

 このクラスの担任でもある猫風蒼龍だ。

「蒼龍。戻ったのか?」

 俊樹はちらりと顔をあげ蒼龍の横顔を見る。

 もちろん、下で死闘を演じている二人の息子は蒼龍が入ってきたことには気がつかない。裕樹はもちろん蒼雲にも、すでに余裕はない。何度か膝をつき、息を切らせている。

「お前にしては珍しいな? いきなり阿僧祇(あそうぎ)か?」

 蒼龍は独り言のように言いながら俊樹の横に腰掛けて腕組みをし、眼下を眺める。無数の式神を相手にする修行は、阿僧祇と呼ばれるかなり負荷の高い修練だ。

「しかも、結構厳しい拘束かけてるじゃないか?」

 修練場全体に張られた結界の負荷に気がついてニヤリと笑う。

「さすがに、蒼雲くんと裕樹だけだけどね」

「当たり前だ。あとの二人にさせたらとっくに死んでる。にしてもなんだ? 随分と鬼畜な所行だな」

「お前は好きだろう? こういうの」

「ふん。俺なら、さらに目隠しくらいをするな」

「まじかよ? まだまだお前には敵わんな」

「にしても、どういう心境の変化だ? お前が、呪殺の咒をかけた式神けしかけるなんてな」

「僕、教育方針を転換することにした」

「転換? 鬼畜路線に?」

 蒼龍が吹き出すように笑った。

「あぁ。あまりの息子の不甲斐なさにね」

 笑い事じゃない、といった表情で俊樹が言う。

「ふん。午前中か? そんなに期待はずれだったか?」

「まぁな。世間一般には優秀なんだろうけど、天御柱の術者としては力不足だし、俺たちが求められている役目を考えればまったくダメだからね。それに、蒼雲くんの足下にも及ばないからね。危機感も緊張感も無い。俺が甘やかせ過ぎた結果だ」

「親父の勝手な都合で急に鬼畜路線に変更されたんじゃ、裕樹もたまんないな。気の毒に」

「お前が言うなよ」

「この2週間、お前に遠慮して、裕樹には甘くしておいてやったんだが、そんな配慮いらなかったか?」

「なんだよ、配慮って」

 俊樹が鼻で笑う。蒼龍の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかったのだ。いつも、一切の配慮などせずに、苛烈な修行を息子に課している蒼龍だ。配慮などという気遣いから最も遠いところにいるような男だ。

「まぁ、実際には、猫森の娘が来ていてそっち優先だったからっていうだけなんだが」

「ふぅん」

「今夜からは心置きなくしごけるな」

その言葉に嬉しそうな気配が含まれているのは気のせいではないだろう。

「あぁ、もうお前の教育方針に反対はしないよ」

「だからやっぱり、10歳の時、初めから俺に預ければ良かったんだ」

「今は反省してる。己の甘さにね」

 俊樹は蒼龍の方を向いて苦笑いを浮かべた。自分は少し慎重になりすぎていたのかもしれない、と、俊樹は自嘲する。

「まぁ、その甘々な中でもあそこまで来たんだ。これから絞り上げれば、成長するさ」

「だといいんだけどな」

 ちょうど目の前で、刀を床に突き刺すようにして体を支えながら、裕樹が肩で大きく息をしているのがわかる。細かくなった木の葉が花吹雪のように舞っている。

「才能はあるんだし、お前が言うほど悪くはない」

「なに? そこで褒めてくれちゃうの? なんだか立場逆転で気持ち悪いんだけど」

「事実を言ってる」

 いつもはひたすらに辛口で批判する蒼龍が優しい言葉で褒めたりするから、俊樹はその居心地の悪さに肩をすくめた。

「基礎ができていて才能があれば、後は場数を踏むだけだろ? 圧倒的にそれが足りてないだけだ」

「こんな状態でも、蒼雲くんはまだ立ってるし」

「あいつは猫化してるからな」

「あれでどのくらい?」

「あー」

 蒼龍は、眼下で剣を振るっている自分の息子をじっと見つめる。青い眼が爛々と輝いている。柔らかな体の動き。素早く、そして高い跳躍。

「8割ちょいってとこだな。今のあいつでは、あれ以上猫化すると持久力が続かないからな。それにあいつもそろそろ限界だぞ」

 裕樹よりも明らかに体が軽そうに動いているのは、青い眼をしているからだ。猫化しているときは体力も霊力も増す。

「んじゃ、ちょっと早いけど終わらせるか?」

 チラリと壁の時計を見る。17時までは後20分強。3時間半休み無くよく動いたといった所だ。

「待て。せっかく始めた鬼畜路線だ。このまま時間までやらせる。式神の使役呪を俺にも貸せ。俺たちも参戦するぞ。俊樹」

「本気で言ってる?」

「追い込まなければ限界は超えられない」

 すでに蒼龍は立ち上がり、羽織を脱いで準備を始めている。

 机の上の虎柄の猫が、「ふふふん」と鼻を鳴らす。

「楽しそうだね、蒼龍」

「オレたちも参加したいくらい」

 蒼龍の使役する化け猫、虎風(とらかぜ)龍風(たつかぜ)が舌なめずりをしながら階下を覗き込んでいる。

「まぁ、今日は我慢しろ」

「あー。路線変更も容易じゃないな。お前の鬼畜っぷりにはまだまだついていけない」

「土蜘蛛などに、大事な息子を殺されたらたまらないからな」

 珍しく優しい言葉。でもこれからやろうとしていることは鬼畜の所行で…。

 そのギャップに、俊樹は苦笑いを浮かべる。

 振り返った蒼龍の青い猫の目はギラギラと輝いている。

「俺が裕樹の相手をしてやってもいいんだが?」

「よせよ。自分の息子は自分に責任負わせてくれ」

「じゃ、先行くぞ」

 蒼龍は、そのまま、無造作に階下の修練場へと飛び降りていった。

 音もなく床に降り立つ。

 蒼雲の目の前だ。

「父上?」

 蒼雲は、目の前に現れた蒼龍に驚く。

 しかも猫化して、太刀を握っている。

 なぜ彼がここにいるのか? 考える間もなく斬撃が飛んでくる。それを勘だけで受け止める。激しく太刀がぶつかり合う音。

「咒が消えかけているぞ、蒼雲」

 蒼雲も限界が近い。腕が重い。

「…はぁ…はぁ…」

肩で大きく息をして、力の入らなくなった手に、なんとか意識を集中する。

「もう一度気を入れ直せ。行くぞ」

 再び激しく金属がぶつかり合う音。

「あーあー。猫はすごいね。さて、俺も行くか」

 少し身を乗り出して下を覗いていた俊樹も太刀を手に取る。それを抜きながら階段を下っていく。

 さらなる激しい剣劇の音が式神のかけらが舞い散る道場の隅から断続的に聞こえている。

「……はぁ…はぁはぁ…父さん?」

 裕樹は、自分の元に歩いてくる俊樹の姿を見つけて、荒い息づかいの中で声に出す。

「さて。まだ立ってられるか? もう少し組み合うぞ。今度は真剣だからな。気を抜くな」

 言っている傍から俊樹が切り掛かっていく。

 裕樹と蒼雲。二人の苦行は、まだ終わりそうになかった。

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