決意
気がついた時にはもう取り囲まれていた。
息詰まるほどの瘴気だ。
(蒼雲は? 梓乃ちゃんは? 雅哉は?)
周りには誰の気配もない。
(分断されたか)
【黄泉津醜女だ。伊邪那美様の眷属だ】
誰かが頭の中で叫ぶ。
周囲の瘴気が、醜い崩れかけた人形となって襲い掛かってくる。
(術者はどこだ?)
黒い闇がますます濃くなる。飲み込まれる。
右手に太刀を握っている。
妖刀。赤い光を放つ、妖樟鬼切丸。
刀を振るう。鬼を切る手ごたえがある。しかしその鬼は、斬られた姿のまままた立ち上がる。
ひとつひとつ、またひとつ。
鬼の数が増えていく。
(くそ! きりが無い!! くそくそくそ!!!)
闇雲に刀を振る。
鬼の眼が光る。
取り込まれる。
取り殺される。取り殺される。
*****
「ぐぅぁ!」
初めて見る天井。
天井に向かってのばされた、包帯が巻かれた自分の右手。
自分がなぜここに寝ているのかを思い出してみる。ここは学院の、おそらく医務室のベッドの上だ。
「気がついたか、裕樹」
父親の声だ。
慌てて首を回す。ベッドの脇の椅子に、俊樹が座っていた。じっとこちらを見ている。
「…師匠……」
迷わず口に出した。もう、父さんなんて呼べる存在ではない。自分は、足元にも及ばなかった。赤子のように捻りつぶされて、ぐうの音も出ない。
それ以上の言葉が出てこない。
(恐らく自分はとても情けない、泣き出しそうな顔をしているのだろう)
と思う。
「俺…」
「感傷に浸っている場合じゃないぞ。裕樹」
俊樹はすでに立ち上がっている。
「早く起きろ。もうすぐ昼休みが終わる。昼飯は抜きだな。教室に戻るぞ」
「俺、」
ベッドサイドに寄って、裕樹の頭にポンと手を置く。
「御鏡家の次期当主がそんな情けない顔してると困る、って言っただろう? しっかりしろ。お前に死なれるわけにはいかないんだからな」
「はい…」
「分かったらとっと起きろ。1分1秒たりとも、無駄にしている余裕はないぞ」
裕樹は体を起こした。左脇腹に激痛が走る。背中もズキズキと痛む。
コンコンコン
ノックの音がする。
「どうぞ」
「失礼致します」
蒼雲の声だ。
「着替えをお持ちしました」
「悪いね、蒼雲くん。じゃぁ、裕樹、着替えたら教室に来いよ。午後も、立てなくなるくらいまでしごいてやるから覚悟して来い」
「…はい」
「じゃ、後よろしくね。蒼雲くん」
俊樹はそう言うと部屋から出て行った。
蒼雲がベッドの脇まで歩いてくる。
「ほら、着替え」
きれいに畳まれた新しい道着を差し出す。詳しくは覚えていないが、午前中に着ていた物は呪符が弾けてボロボロになった。学院では、新しい道着が自動で供給される仕組みになっているのだ。
「ありがとう」
手渡された道着を受け取って、裕樹はベッドから足を降ろす。
体中が痛い。
「大丈夫か?」
「あぁ、まぁ…」
上半身は裸で、肩から脇腹にかけて包帯が巻かれている。それ以外にも、内出血して真っ青になっている箇所が何カ所も見える。
「痛いけど、なんとか」
「体のことじゃない」
「え?」
裕樹は蒼雲の顔を見上げた。
「お前の心だ。余裕なくなってるだろう?」
確かにそうだ。完全に追い詰められている。後ろは切り立った崖で真下は深い谷。目の前には牙を剥く猛獣。前にも後ろにも進めない。そんな気分。
「俺が甘かっただけだ。これでようやく、スタートラインだ。お前はもうとっくにゴールに向けて走ってるのにな。俺はこれからスタートだ。まったく、情けないよな」
着替えながら己の甘さを反省する。
真新しい道着が、また気分を新たにさせる。
「ほら」
「うん? なに、これ」
「飯食ってないだろ?」
差し出されたのはお握りだった。小さめのお握りが3つ。サランラップに包まれている。
「安心しろ。握ったのは梓乃だ」
「いや別に、そこは気にしてないけど」
「後12分で昼休みが終わる。午後はまた、修練場に集合だそうだ。さっきの話だと、午後もきつそうだ。食っておかないと体もたないぞ」
「ありがとう」
着替えて握り飯を食べてから、二人は連れだって医務室を出た。医務室は講堂がある階層の2階下のフロアにあって、宮内庁病院の地下に当たる。実質的に天御柱の術者の治療を担当する医務官は、表向きは宮内庁病院の医師として勤務しているのだ。長い廊下を通って教室のある方向へ歩いていく。
「お前は、どうだった? あの後やったんだろう?」
歩きながら蒼雲に声をかける。自分は見られなかったけど、あの後、俊樹と蒼雲が剣を交えたはずだ。
蒼雲は無言のまま道着の袖をまくり上げて裕樹に見せた。真新しい内出血の跡がいくつも付いている。よく見れば、道着の合わせ目から覗く肩口にも青痣がある。
「過去一度も勝てたことは無い」
「父さん、強いんだな…」
自分の知っている父親とは、やっぱり違った。改めてその事実を確認する。
「あぁ。強いな。天御柱で一番の剣の使い手だぞ」
「そうなのか? 蒼龍先生より上ってこと?」
「剣に関しては父上より上だろうな。父上は、俊樹先生と一緒の時は太刀をほとんど使わない。猫化に集中してる」
「ごめん…」
蒼雲の言葉に裕樹が俯く。
「うん?」
「俺が不甲斐ないから、お前は集中できないよな。太刀も使わなきゃならないし、仕舞いには俺のこと庇って戦わなきゃならなくなる」
「それはお互い様だろ? 俺が頼りないからお前は結界を張るのに集中できない。個人の実力を上げてチームとしての力を高める。俊樹先生の言う通りだ。俺たちはまだまだ弱い。だからもっと必死になって力を付けないといけない」
「あぁ…、そうだな」
教室に入る。もう修練場に降りているのだろう。梓乃と雅哉の声が下から聞こえる。
「あれ? 裕樹さーん」
裕樹の姿に気がついた梓乃が手を振っている。
「裕樹、大丈夫か!?」
雅哉もこっちを見ている。
裕樹は軽く手を振って、手すりに掴まりながら慎重に階段を下りる。体中が痛い。でもそんなこと言っている暇はない。裕樹は階段を下りながら、下で手を振っている梓乃と雅哉を見る。七枝と雲風、風霧の三匹は、楽しそうに追いかけっこをしている。
(強くならなければ、もっともっと)
仲間を守るために。
生きるために。
裕樹は強い決意を持って、再び修練場に降り立った。




