実力試験
教室の地下の修練場に、四人が揃っている。白い上衣に裾を絞った袴姿。剣道用の物とも、合気道用の物とも、空手用の物とも違う。天御柱の術者が用いる近接格闘に適した道着だ。誰からともなく準備運動を始めて、柔軟運動の真っ最中だ。
「さて。揃ってるね」
階段を、同じく道着を着た御鏡俊樹が悠然と降りてくる。床に座り込んで体をほぐしている四人を微笑ましそうな表情で眺める。
「緊張してる?」
「そりゃぁ、まぁ」
一番手前にいた雅哉が、頭をかく。
「まぁまぁ初日だし、気楽に行こう。それに、一番緊張してるの僕かもね。初日のこの仕事、本来、蒼龍がやるはずだったし、僕の専門剣術だし」
腕組みをしながらそう言って微笑む。
「でもまぁ、そうも言ってられないかね。きみたちも同じ。得意不得意はあっていいけど、体術、剣術、弓術と…ここでは、一通り学ぶことになってる。もちろん、そのすべてを呪術と組み合わせた形でね。今日は、さっきも言ったように、きみたちの現在の実力を見させてもらうよ。体術か剣術、得意な方でやろう。まずはそのまましばらく柔軟運動して体ほぐして」
四人は床に座ったまま、おのおの慣れた調子で準備運動を続けている。俊樹が来るまでは軽口を叩いていた雅哉も押し黙っている。緊張しているのがその様子からわかる。
「さて。ではそろそろ早速始めようか。じゃんけんして順番決めて」
「俺からやらせて下さい」
雅哉が真っ先に手を挙げる。
「お? 先鋒志願?」
「こいつらと比べられる前に、先にやりたいです」
「いいけど、きみたちはそれでいい?」
「はい」
「構いません」
裕樹たち三人が頷く。
「OK。じゃぁ、やろうか。体術でいいんだよね? 次の順番決めとけよ」
雅哉と俊樹が道場の中央で向き合う。
「体術と呪術を組み合わせていいからね。僕、体術はあまり得意じゃないけど、遠慮はいらないよ。本気でかかって来い」
「はい。お願いします」
「うん」
お辞儀の頭を上げきらないうちに、間髪入れずに雅哉が動いた。間合いに踏み込み蹴りを放つ。蹴りを放った雅哉の体が、次の瞬間には床を転がっていた。
「!」
「良い蹴りだけど、無駄が多いな」
俊樹の余裕の声。完全に当たったと思ったのに、軽く手を触れられただけで、赤子のように転がされていた。でも、なぜなのかを考える余裕は無かった。
起き上がった雅哉は、すぐに次の行動に移る。下段からの突きと蹴り。起き上がりざまに何発か。そして二人の間に一瞬火花が散る。雅哉が呪術を使ったのだ。得意な火界咒かもしれない。
完全に決まったタイミングだったが、吹っ飛ばされたのは雅哉だった。3メートルほど宙を飛ぶ。咄嗟に体を丸めて受け身を取って床を転がる。
「はぁはぁはぁ…」
片膝立ちになって、片手を床に付く。頬に切り傷ができて血が浮き出てくる。肩で大きく息をしている。
「タイミングは悪くないけど、もう少し相手の状況をしっかり見ろ。術をかけた後のことも予測して動かないと。僕が術をかけてたら、死んでたぞ」
ゾクリとするような声。いつもの俊樹とは完全に違う。声も、表情も、気配も。
(なんだよ? 父さん、あんなに強かったか?)
道場の端に座って勝負を見ている裕樹が息を飲む。剣術がメインとはいえ、もちろん体術の稽古もしていた。でも、稽古はこんなハイレベルな物じゃなかった。自分の父親が、こんなに強いなんて、知らなかった。
(何で俺は、これを知らなかったんだ?)
と裕樹は思う。
(俺の腕が弱すぎて、父さんが本気を出してくれなかったからか? それとも、俺が本気でぶつかっていかなかったからなのか?)
いつも本気だった。そう思いたい。でもこの戦いを目の前で見させられていると、自分の本気が疑わしい。
「来い」
その声に、雅哉は本気で向かっていった。
何度も。
何度も何度も。
しかし、その全てが無意味だった。全力で放った突きも蹴りも、軽くかわされ、受けられ、そのまま転がされる。ダルマにでもなったかのようだ。最後に吹っ飛ばされてからしばらく、雅哉は起き上がれなかった。体中が痛い。手足がしびれている。
「まぁこのくらいかな。きみの実力はだいたい分かった。昨日もだいぶやったみたいだし、これ以上やると午後の修練に差し支えるしね。終わりでいいね? 雅哉くん」
対する俊樹は、呼吸ひとつ乱していない。
「は、はい…はぁ…あ、ありがとう、ございました」
なんとか体を起こし、雅哉が頭を下げる。もう限界だった。ヨロヨロと立ち上がる。
「じゃ、次。誰やる?」
「わ、私が」
梓乃が、恐る恐る手を挙げる。今の立ち会いを見て、完全にビビっている。
「体術で?」
「はい」
怖々と俊樹の前に立つ。
「女の子でも容赦しないから。覚悟するよーに」
「はい。よろしくお願いいたします」
梓乃が弱弱と返事をする。
「でも、始まる前からそんなにビビってたら、勝負にならないだろ?」
(早い!)
俊樹の動きを目で追うのが精いっぱいだった。何発か彼女の胴に突きを入れたようにも見えたが確認できたのは1発だけだ。俊樹はすでに梓乃の斜め後ろに入っていて、彼女の首筋にいきなり手刀を入れる。
崩れ落ちる体をその腕で抱きとめる。
「ったく」
片腕で抱えたまま、すぐに覚醒させる。
「冷静に相手を見ろ。結界でも幻術でも、このタイミングでかけられたはずだ。後衛がこれじゃぁ、前衛が安心して背中を預けられないだろ? 二人を殺す気か?」
「くっ」
梓乃の内部から気が湧き上がる。俊樹の周りを式神が取り囲み結界が覆う。梓乃がかけた幻術だ。
「格闘得意じゃないんだったら最初からこれをやれ」
しかし、その渾身の幻術もすぐに破られる。俊樹の腕を取りにいった梓乃の体は、逆に真綿のようにふわりと空中に飛ばされていた。
その体に、俊樹の踵落しが入って梓乃は思い切り床へと叩き付ける。反射的に、猫のように体を丸めて両手両足で床に着地する。
「得意じゃないとこを攻めなきゃ修練にならないからね」
荒い息づかい。猫化した目。梓乃は、フラフラと立ち上がる。
「猫化したなら、もう少しいけるね?」
梓乃の体が軽やかに跳躍して俊樹に向かっていく。長い足が風を切って蹴りを放つ。足が俊樹の腕に触れる瞬間、煙のような物が吹き出して道場を覆う。
バシバシバシッ
煙の中で何度か、物体がぶつかり合う重い音がする。それから、
ドスン
煙の中から何かが飛び出して来て、重い音を立てて床に落ちた。落ちた衝撃でクルクルと何度か床を転がる。梓乃だ。
「はぁ…はぁはぁ」
俯せで床に伸びたまま激しい呼吸を繰り返す。
煙のような物は完全に消え去っている。
中で何があったのかわからないが、俊樹は先ほどの場所から一歩も動いていないように見えた。
圧倒的な強さだ。
「これじゃぁ、2週間で6回も意識を失ってしかるべきだな」
腕組みをしたまま俊樹が唸る。蒼龍からの情報だろうか。先週までの梓乃の醜態を、俊樹もよく知っていた。
「このまま続けても時間の無駄だから、これで終わりね」
「は、はい…ゴホッゴホッ」
梓乃が床に伏せたまま咽せる。
二人があっという間にのされたというのに、その相手をしている俊樹は呼吸ひとつ乱していない。
(なんだよ、これ…)
ジワリ
と、冷や汗が背中を伝う。口の中がカラカラに乾いていた。
ゴクリと唾を飲み込む。
(俺の知っている父さんじゃない)
裕樹は、何度目かのその言葉を、必死に抑え込もうとしている。
こちらも、長かったんで二つに分けました。




