土蜘蛛の正体
裕樹は、手の中の紙の束に目を落とした。
【土蜘蛛衆に関する調査報告】
下に記された作成日の日付は今年の4月10日だ。最新の報告書のようだ。
「きみが言ったように、土蜘蛛という言葉は、本来、天津神に対抗する国津神の、国津神に昇格しなかった勢力のことを言う。つまり、高天原の支配に抵抗して独自の路線を進もうとしているモノたちの集団。歴史的には、葛城山の勢力など大きな戦いを起こして歴史の表舞台に登場した勢力もある。でも大抵は地下組織だ。歴史の表舞台に上らず、高天原の支配を内部から崩そうとする。その大本は、須佐之男命の子孫の一人だって言われている」
「須佐之男命…」
「きみたちはもちろん、大国主様と八上比売様を巡って争った八十神のことは知っているね?」
四人がほぼ同時に頷く。
「大国主命が国譲りを迫られた時、最後まで抵抗したのは息子の建名方神だとされている。でもそれはいい。建名方神は、今は諏訪の神として祀られている。しかし、大国主命に破れた八十神の一部は、そもそも彼の国作りに反対していた。その者達は、二重の怒りを高天原に向けた。つまり、彼らが土蜘蛛の始まりだと言われている。まぁ、歴史はいい。それはおいおい講義していくとして、とりあえず今の現状を話すよ。365ページからの最後の章の『現在の状況』のページ開いて」
裕樹は報告書の表紙をめくった。複数の目次が立っている最後に、
【現在の状況】
という項目があった。
そこまでページをめくる。室内に、一斉に、紙が擦れる音が響く。
「現在の土蜘蛛衆の頭領はわかっている。天赦鬼道宗の教祖、土御門典膳。元々は天御柱の術者で、雅哉くんの父、富嶽さんの同期で、僕や蒼龍の先輩に当たる優秀な術者だった」
「陰陽道の内紛が関係を?」
「さすが察しがいいね」
俊樹は再び蒼雲ににっこりと微笑む。
「土御門家は、安倍晴明を始祖に持つ非常に優秀な陰陽師の家系だ。典膳は、もともとは土御門家にはまったく関係ない家の生まれでね。幼い頃から鬼を見る子供として家族から疎まれていたらしい。そもそも、その出生自体がかなり謎でね。子宝に恵まれなかった両親が、捨てられていた赤子を引き取ったとか、そんな噂もあるね。その上、噂ではわずか1歳で、鬼を操り、両親を呪詛した、とも」
「な、」
梓乃がまた息を飲む音がする。
「まぁ、これはあくまで噂だけどね。でも後輩の僕たちが聞かされているくらい有名な噂だった。実際に、人並み外れて強かったしね」
俊樹はそう言って、少し遠い目をした。
「そんな子供だったから、その能力が認められて、土御門家の分家の一派に養子として迎えられた。でも優秀すぎた。本家を脅かす能力と、そして彼には、野心があった」
「そこまでわかっていて、どうして高天原が苦戦しているんですか? 1陰陽一派など、容易に潰せるはずの高天原が」
蒼雲がもっともな指摘をする。全ては高天原の手の内にある。原因が分かっていて何もしないのは腑に落ちない。
「伊邪那美様が、取り込まれているんだよ」
「!?」
「人質に取られているだけだと、思いたいけどね」
「そ、そんな? そんな馬鹿な。それじゃぁ、まさか…」
蒼雲が、適切な言葉を探して口ごもった。
「きみは本当に賢いね。同じ情報を聞いていて、僕の息子は何か気がついたかな?」
裕樹の顔を見る。悔しいけれど、話の流れについていくのがやっとだ。ここから何か閃く余裕は、裕樹には無かった。
「僕はほんと、自分の教育方針を転換するよ」
裕樹の表情と、蒼雲が押し込めた言葉から全てを感じ取って、俊樹は諦めの表情で笑った。
「実はね。この話を裏付ける一つの事実がある」
裕樹は言葉を切って、四人の顔一人一人を見つめた。
「13年前。蒼龍と僕、そして、梓乃くんや雅哉くんのお父さん達も含めた天御柱の術者数人で結成したチームで、土御門典膳を調伏した」
「!!」
(まずい)
と裕樹は思った。
また怒られるかもしれない。明らかに驚きの感情が表情に乗った。
でも、隠せなかった。誰も音を立てない。
部屋の空気が、完全に凍り付いている。
「蒼雲くんなら、この意味はわかるね」
「意図的に黄泉に下ったということですか?」
「意図的かどうかまではわからないけどね。だとしたら天才だけど。まぁ、蒼龍と僕の判断は、『彼ならそれもあり得る』だよ」
蒼雲の質問に答える俊樹は、もう、明らかに裕樹の知っている父親ではなかった。天御柱の術者。大先輩。師匠。追いかけるべき存在。今までと何一つ変わっていないのに、その事実を改めて厳然と突きつけられる。こんな大きな事実を隠して、父親はこれまで、いや、そして今も、普通の生活を送っているというのか?
「さて。じゃぁとりあえず、それはいったん返してもらおうかな」
俊樹が合図をして、躑躅の精霊が裕樹たちの手元から資料を回収して文箱に納める。
「で、結局、1時間目は終わってしまったわけだけど」
ちょうど鳴っているチャイムの音に、俊樹は肩をすくめる。
「このクラスは、既存の枠に囚われなくて良いことになってるから、時間を無視してこれからの方針について話すよ」
「はい」
裕樹も思わず姿勢を正す。
「きみたちの当面の目標は、自分の師匠を超えることだ。少なくとも僕たちは、生前の土御門典膳に勝ったことがある。僕たちを超えれば、最低限そこまでは到達できる。そして問題はその先だ。今の奴がどのくらいの能力を持っているのかはわからない。ただ、これまでの術者襲撃事件の結果を見ていると、奴の元にいる下っ端の術者も相当な手練れだ。油断はできない。過去の倍、いや、数倍ということも十分に考えられる」
「そんな相手に、私たちは勝てるのでしょうか…」
梓乃が不安を口にした。梓乃だけではない、おそらく雅哉も抱いている不安だ。裕樹も不安で動悸が止まらない。
(こんな時でさえ、蒼雲は落ち着いているのだろうか?)
チラリと蒼雲の方を見る。机の上で猫は平然と寝息を立てている。
「神は冷酷無比だが意地悪ではない」
裕樹の動悸を感じ取って、俊樹が努めて優しい声音で話しかける。
「困難な道程でも、できないことはさせない。それに、高天原の決定は覆らない。死にたくなければやるしかない。ということで、まずはきみたちの今の実力を見させてもらおうかな。この教室の向かいに更衣室があって、道着を用意してある。15分後、着替えてこの下の修練場に集合ね。仕事に行く気で気合い入れて集まるように。じゃぁ、解散」
文箱に封緘をして式神に渡すと、俊樹は教卓を離れた。荒波に翻弄される流れ藻みたいな表情をしている息子の元へと立ち寄る。
「ほら、そんな情けない顔してるなよ。裕樹。御鏡家の次期当主が、そんな頼りないと困るんだけどな」
「俺…」
何か言いかけた裕樹の頭に、俊樹の大きな手がポンと乗せられる。
「お前は双手だぞ。自信を持て」
それだけ言って、部屋を出て行ってしまった。
扉が閉まるとすぐに、
「あー、もう無理。俺の脳ミソのキャパ超えたわー」
と、雅哉が両手で乱雑に頭を掻きむしり悲鳴のような声を上げる。
「なんだよ、あれ。もう、俺ら完全死亡フラグ立ってない!?」
「死にたがっていたのはあなたじゃないですか?」
梓乃が冷静な突っ込みを入れる。
「あー。もうあれは言葉の綾だって。親父たち世代はすっげー術者だったってことを再確認したけど、そこにどうして俺が挑戦する流れになってんのよ、もう。あ〜〜無理無理無理無理!」
再び頭をガシガシと乱暴にかく。
「文句言っていても仕方ない。やらなきゃならないことだけは骨の髄まで叩き込まれた。俺たちは、もう、進むしか無いんだ」
蒼雲の言うことはもっともだ。他に選択肢は無い。
「ふぅわぁぁぁぁ〜ん」
暢気な欠伸をしながら、風霧が体を起こす。
雲風も、七枝も起き上がって主の顔を見ている。
「俺たちはやる気あるもんね」
雲風が猫とは思えない強い声で言う。
「私たちもそのために選ばれたので」
七枝も言う。
「そこからの計画か?」
「ふふん」
蒼雲の腕に、風霧が頭をこすりつける。その頭を乱雑に撫でる。風霧が喉を鳴らす。
「じゃぁ、着替えて頑張るか」
「ですね」
「あー、まじかー」
三人が立ち上がる。
「裕樹」
蒼雲が裕樹の前に立つ。
「そうだな」
ゆっくりと立ち上がる。
それぞれに、覚悟を決めた顔。四人は一緒に教室を出て、薄暗い廊下を横切る。
そして、向かいの更衣室へと消えていった。




