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緊張の夕餉

 程なく障子が開き、蒼雲の父、猫風蒼龍が入ってきた。

「待たせたな」

 袴を外した緩やかな着物姿だ。服装の緩やかさとは裏腹に、気配だけはいつも通りで、周りを圧するものがある。

 正座したままの二人は、揃って頭を下げる。

「二人とも、足を崩して楽にしていいぞ」

 言いながら、自身もドカッと座布団の上にあぐらをかく。

「では、失礼します」

 蒼雲の言葉に、裕樹も続いて足を崩す。その間に、配膳係が、実に手際よくご飯を盛り付けお茶を入れていく。

「どうだ、裕樹。ここでの生活は。だいぶ慣れたか?」

 何気ない会話のはずなのに、蒼龍と向かい合うと緊張する。思えば、3月末にここに引っ越してきてから、こうして食事を一緒にするのは初めてだった。引っ越しの当日は、客間で父親も同席の上でお茶を飲んだ後は、夕食は普段の食堂で蒼雲と二人で食べた。毎日この緊張感の中で食事をすることになったら、食事も喉を通らないかもしれない。

「はい」

「そう緊張するな。ただ食事をするだけだ」

 裕樹の緊張した姿に、蒼龍は苦笑いを浮かべる。

「いえ、あの…。こういう形態に不慣れなもので」

 普段利用している食堂は、座卓ではあるが机があるので見慣れているが、個別のお膳が並べられているのは旅館の夕食で一度見たことがあるだけだ。それだけで特別な気分だ。

「蒼雲。先に猫どもに食事をやれ」

(猫に食事?)

 興味深げに蒼雲の方を見る。

 式神が、封印のされた壺のようなものを持ってきて彼の前に置く。

 化け猫たちは、食事時に食堂についてきて遊んでいることも多いが、何かを食べているのはほとんど見ない。時々は蒼雲のおかずを欲しがって分けてもらっている姿を見るが、それだけで足りるとは思えない。

「こいつらは、好みのものを適当に食べるが別に食べなくてもどうということはない。ただ、魑魅魍魎の類は好物でな。仕事現場で捕えた魑魅を保管しておいて、時々食事として出している」

 蒼龍が腕組みをしながら説明してくれる。

 蒼雲は立ち上がって、壺と三方を2台抱えたまま猫たちの座っている座布団の近くまで歩く。

 何事かを小さく唱えて封印の呪符に触れると、それがはらりと外れて落ちた。

 白い陶器の壺の蓋が開けられる。

 蒼雲がその中を覗き込み、おもむろに手を入れた。

 キィキィキィ

 ギィギィギィ

 小さく鳴くものを引っ張り出す。

「っ!」

 彼の引っ張り出したものは、20センチメートルほどの生物だった。カエルのようにも、トカゲのようにも、タツノオトシゴのようにも見える。恐らく呪符による拘束だろうが、金色の細い糸のようなもので体を縛られているので、その本当の形は定かではない。

「百鬼夜行の末端を闊歩するような下等な鬼だ」

 蒼龍が説明する間に、蒼雲は何匹かを取り出し三方の上に並べていく。

「あんな小さな壺なのに、何匹入っているんですか?」

 壺の大きさから考えて、幅だって7~8センチメートルはある生物が何匹も入っているとはどう考えても思えない。それが、次々に出てきて三方の上に並べられていく。

「無数に入っている。あの中は異次元だからな」

 キィキィキィ

 三方の上に積み重ねられた鬼たちが高い音を立てている。

「わーい。ご飯ご飯」

「オレ5匹」

「待て」

 蒼雲は、はしゃいでいる雲風と風霧に強い口調で待てをさせる。2匹は大人しくそれに従った。

 仕事現場で、鬼の肉片を喰っているのは見たことがあり、蒼雲の説明だと、時々そういうのを食べると満足するという話ではあったが…。

虎風(とらかぜ)さんと龍風(たつかぜ)さんが先だ」

 縛られた小さな鬼たちで山盛りになったひとつの三方を、黄茶の縞猫と灰色の縞猫の前に先に並べる。それから、もう一つの三方を雲風と風霧の前に置く。

「準備終わりました」

「食べていいぞ」

 準備が整ったのを見届けて、蒼龍が声をかける。

 龍風が先に手を付けて、続いて虎風が1匹を手に取った。そしてそれを待っていたかのように雲風と風霧も同時に1匹ずつを手に取って、むしゃむしゃと音を立てて食べ始めた。

「美味い」

「良かったな」

 蒼雲の手が優しく風霧の頭を撫でる。

「化け猫は、基本的に自分で魑魅魍魎を捕えて食べるが、いったん捕獲して呪符で縛した魑魅や魍魎を食わせると、猫は懐く。だから魑魅魍魎を捕獲して保管するのも猫使いの重要な仕事だ」

 蒼龍の言葉を背中で聞きながら、蒼雲は壺に蓋をして、元あったように呪符で厳重に封印する。

「さて。では俺たちも食事にするか」

 蒼龍が作法通りの所作で箸を手に取って食べ始める。

「お前たちも食べていいぞ」

「はい。いただきます」

 蒼雲が、裕樹の方を向いて小さく頷く。

 二人は、ほぼ同時に茶碗に手を伸ばし、食事を開始した。

 一見すると、普通の家庭の普通の夕食風景のようだ。息子たち二人の緊張をよそに、普通の父親のような口調で話しかける。

「うちの食事はどうだ? 美味いか?」

「はい、とても美味しく頂いています」

「お前の母は、料理が上手だと聞いているからな。味付けが合わないのではないかと板場(いたば)が心配していた」

「どれもとても美味しいです」

「そうか、それなら良かった。俺たちは、ほとんど味がわからないからな」

「え?」

 思わず、いつもの声で返事をしてしまい、裕樹は慌てて声の調子を整えた。

「えっと…、それはどういう…」

「猫化は、色覚も味覚も奪う。いや、聴覚も嗅覚もかもしれんな。感覚だけは鋭くなる。暗闇でも物が見える。超音波も聞こえる。人の5倍は嗅覚も鋭敏になる。微細な毒物も感知できる味覚も持つ。だがそれだけだ。世界は単調で物悲しい。外部から入ってくる刺激が強すぎて、神経をすり減らすだけだ。それで気分が高揚することはない。食事もな」

 蒼龍はそう言って、きれいに彩りよく盛りつけられた煮物のひとつを箸でつまんだ。

「たとえば、『これは彩りを考えて盛りつけられ、それに合った絶妙な味付けをされている物で人を満足させる料理だ、人はこれを見ながら食べることで美味しいと感じる』と、そう頭に覚え込ませながら食べる。そういうものだ」

 裕樹は、ほんの少し蒼雲の方を見た。

「特に甘みはな。まったく感じない。だから、甘い物はあまり出てこないかもしれん。もし出て来なかったら遠慮なく宗徳に要求していいぞ」

「…は、はい」

 蒼雲は、黙々と食事を口に運んでいる。いつも淡々と食事をし、裕樹が味のコメントをしても素っ気ない返事しか返してこなかったのは、それはただ、蒼雲がそれを感じられなかっただけなのだ。

「蒼雲」

「はい」

 蒼雲は食事の手を休めて、茶碗と箸をお膳に戻した。両手を軽く、腿の上に置く。口の中に残っていた物を咀嚼して飲み込む。

「どうだ? 遠山雅哉は。あの役小角(えんのおづの)の末裔と言われる御師(おし)遠山衆の息子は」

(役小角の末裔?)

 裕樹も一旦箸を止めて二人の会話に耳を傾けている。

「徒手格闘のかなりの使い手かと」

「ほう」

 驚いたような声だが、表情にはでない。むしろ満足そうな顔。

「それに、呪符無しで火界咒(かかいじゅ)を使いました。得意ではないようですが、それでも呪術の発動スピードは十分に速く、おそらく退魔法は得意でしょう」

「裕樹、お前は? 遠山の実力をどう見る」

「え。あの」

 裕樹も、慌てて箸を箸置きに戻す。その姿に、蒼龍はほんの少し口角をつり上げる。

「二人とも、食べ続けていていいぞ」

 蒼雲は動かなかったが、反射的に裕樹は箸に手を伸ばす。手が、何か握る物を欲したのかもしれない。手が空いていると落ち着かない。

「で、お前の判断は?」

「俺も、遠山の徒手格闘の腕は相当強いと思います」

「どちらが強い?」

 二人を同時に見る。

「早さだけなら、」

 蒼雲が先に口を開く。

「俺の方が上です。何度か手を合わせましたが、あいつの動きは全て見切れました。間合いに入るタイミングさえ外さなければ俺の方が優位だと思います。ただ、打撃系の勝負になれば、あちらの方が重さも力も勝っているので、わかりません」

「お前の判断は?」

「俺も、蒼雲と同じ印象です。早さも技も格闘センスも、呪術の腕も遥かに蒼雲の方が上だと思います。俺の場合は、剣を奪われたら敵わないかもしれません。呪術の腕は、遠山があまり術を得意にしていないことで救われているので、呪術だけの戦いなら俺にも勝機はあると思いますが…」

(しかしなぜこんなことを聞くのか)

 と裕樹は思った。

(遠山は、なぜかわからないが同じクラスにされてしまった、たった四人のクラスメイトの一人じゃないか)

「そうか。冷静な分析だな。遠山の一族は、山岳修験(さんがくしゅげん)の大家だ。体術を磨き、呪術と組み合わせて戦う技を磨いてきた一族だ。特に現当主の富嶽(ふがく)には打撃系の徒手空拳で敵う者はいない。息子も、十二分に体は鍛えて来ていると判断できる。なら、もっと打撃の威力を磨く修練を積まねば遠山雅哉には勝てんな」

(なぜ? なぜ遠山より強くなることにこだわる? どうして?)

 湧いて来た疑問を言葉に出していいのか、裕樹は一瞬ためらった。

「徒手格闘の修練の時間を倍に増やす。仲間に勝てねば敵にも勝てんからな。裕樹、お前もだ。剣を失っても戦えるだけの技を磨け」

「父上」

 蒼雲がまた先に口を開いた。

「なんだ?」

「我々の次の仕事はなんですか?」

「ふん」

 蒼龍の口元に、さらに満足そうな笑みが浮かんだ。鋭い眼光のまま、息子の目をじっと見つめる。

「少しは勘が良くなったな」

「理由もなく、学院長直々に俺たちを同じクラスに配属すると命じられるとは思えません」

「お前の予想を話せ」

「土蜘蛛の調査ですか」

「土蜘蛛!?」

 蒼雲が毅然とした言葉で返事をする。裕樹が慌てて反復して声に出す。魂を集めようとしている土蜘蛛。入学式の日に若い術者を大量に抹殺しようとした土蜘蛛。高天原に反乱を企てている土蜘蛛。その土蜘蛛を、自分たちに調べろと?

「違うな」

 蒼龍は、ゆっくりと腕を組む。明らかに、今までと気配が違う。身にまとう気の質というか硬度が変わった。自然と、裕樹の体も緊張する。背筋が伸びる。

「土蜘蛛の調査じゃない。お前たちの仕事は、土蜘蛛の壊滅だ」

「!?」

 裕樹だけではなく、蒼雲も言葉を失って緊張したのがわかった。

「二人とも、感情を表に出すな。気持ちの揺らぎは、鬼に付け入る隙を与える」

「すみません」

「まずは飯を食え。終わってから話す」

 蒼龍の言葉に、二人は黙って従った。黙々と食事を口に運ぶ。裕樹には、もう食事を味わっている余裕はなくなっていた。

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