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一つ屋根の下

 翌朝。

 気持ちの良い青空だ。

 平日・休日関わりなく、毎日朝5時半に起きることが決められているが、昨日の事件の後ということで、今日は特別に免除されていた。この家の当主である蒼龍は昨日から戻っていないし、次期当主である蒼雲は夕飯も摂らずに眠っている。一昨日ここに引っ越してきたばかりの裕樹一人に何かをさせるのは無理がある、というのが、蒼龍の判断らしい。

 6時半頃に起きて、朝食を食べて、それから少し茶の間に寄った。

 茶の間には新聞が置かれてテレビがあって、どちらも自由に見ることができた。テレビを自由にといっても、もちろん、ほとんどは食後のひとときにニュースを見るくらいのものでしかないのだが。

 ちょうど朝のニュースの時間で、深夜の環状線での交通事故のニュースや未明の火事のニュースなど、淡々と伝えられていく。昨日、霊泉学院で起こった殺人事件については、当然のように放送されない。

(高天原の情報管理か)

 と裕樹はお茶を飲みながら呆然と思う。

(そこの一員として仕事をしていくのだからそれは仕方がないことなのだろう)

 30分間のんびりとニュースを眺めてから、裕樹は離れの自室に戻った。

 朝食の後、また宗徳がやってきて、休日なのに外出ができない裕樹のことを思って新しい情報を教えてくれた。

 なんと、道場のさらに下のフロアにジムやプールがあって、自由に使ってもいいらしい。

(もうしばらくゆっくりして、午前中は泳いで過ごそう)

 などと考える。

 それから、とりあえず、学院で貰ってきた資料を出して読み始める。

 すると程なく、離れの入り口の方で話し声が聞こえてきた。何人かの男性の声、そしてあまりよくは聞こえないが、女性の声もするようだ。

 バタバタ

 足音が聞こえ、隣の部屋の前で止まる。

「はい、こちらです。こちらのお部屋をお使い下さいとのことでございます」

 宗徳の声だ。空いているはずの左隣の部屋の障子が開く音がする。

「お隣のお部屋が御鏡裕樹様、そのお隣のお部屋が、蒼雲様のお部屋になってございます」

(誰か引っ越してくるのか? そんな話は聞いていないが、そもそも下宿人の俺には知らされていないだけかもしれない)

 続いて、何かを運び入れる音が何回か続く。

 何人かが廊下を行き来する音。話し声。

 少しその音が落ち着いたところで、裕樹は廊下に出た。踏み出そうとしてすぐに、小柄な女性とぶつかりそうになる。

「あ、すみません」

「あ!」

 彼女の顔を見て、裕樹は思わず声を上げた。

「え!? えっと、猫森梓乃(ねこもりしの)、さん……??」

「あら、これは、おはようございます。御鏡裕樹さん」

 可愛らしい水色のワンピース姿。髪は、今日も高い位置でポニーテールにされている。

 ペコリとお辞儀をすると、それが尻尾のように前に垂れて、再び戻った。

 にゃー

 と、彼女の足下で、三毛猫もペコリと頭を下げる。

「本日より、(わたくし)、お隣のお部屋で生活することになることになりました。これからどうぞよろしくお願いいたします」

「あぁ、どうぞ、よろしく……、って! 今、なんて言った? え? 隣で? 生活!?」

 裕樹は驚きのあまり頭のてっぺんから声を出していた。

「はい」

「『はい』、って、はい? ちょっと、なんで、どうして?」

「昨日は、私、大変失礼なことを申しました。それであれから、よく考えてみました。裕樹さんは、『蒼雲さんのことをもっとよく知るように』っておっしゃっておられました。『一緒に住み始めて、猫に対して向けている表情とかを見ると愛情に溢れてる』と。裕樹さんがおっしゃるように、猫使いは、幼い頃より猫のように過ごし、猫と深く意志を通わせる訓練を積みます。ゆえに、人との接し方が下手です。私も、おそらくそうなのだと思います。ですから、もう少しお互いのことをよく知る努力をしようと思いまして、お父様にお話し申し上げましたところ、『それならこちらでお世話になるように』と。風の一族、特にご当主の蒼龍様は大変優れた術者でいらっしゃいます。猫使いの間でも、その実力は羨望の的。お父様も、『こちらでお世話になって、蒼龍様に修行をつけていただくことは大変な誉れだ』と申しております。それを蒼龍様にもご了解いただきましたので、本日こちらに引っ越して参りました」

 と、可愛い顔でにっこりとほほ笑む。

「いや、いや、いや、それは違うんだって」

「違うのですか?」

「いや、違わないけど…、えっと、こーんなに広い屋敷だぞ、それをわざわざここに」

 バンっと右手を広げて広大な庭を指す。その向こうに見える母屋を。部屋はたくさんあって、絶対に余っている。

「修行中の身で、母屋に置いていただけるわけないじゃないですか」

「はい? いや、どうしてそこだけ常識的なのよ。あー、えっと、とにかく…」

 頭の中は大混乱。

 いろんなことが一気に頭の中を駆け巡って、裕樹は両手で頭をかきむしる。

「あのね、ここ、見た? 部屋同士、壁ないから! 薄い襖1枚で、音は筒抜けだし、開けたらすぐに俺の部屋!」

「まぁ、それは便利ですね。学院の勉強で分からないことがあればすぐにお伺いできますし」

 などと、裕樹の常識の斜め上を行った回答が帰ってくる。

『ちょっと冷静に考えろよ。扉を開けたら、すぐに男の部屋だぞ。そりゃぁ、俺だって、いきなり開けたりしないし、壁に耳つけたり、襖に穴開けたりはしないけど、もしものこともある。いや、あれだ、そんなことは絶対しない、と思う、と、思う、じゃなくて絶対しないけど、それでもさぁ』

「はい?」

 裕樹が一生懸命になればなるほど説明が混乱し、ますます彼女は首を傾げる。

「いい? ちなみに、母屋から遠く離れたこの離れは、俺と蒼雲、そしてきみ」

「風霧さんも雲風さんも、私の七枝もおります」

「わー、もう! どうなってんだ!!」

 裕樹はもう一度大きな声を出す。

「それに、私は、命の恩人である裕樹さんのことを、ご信頼申し上げておりますから」

 目の前でニッコリ微笑む梓乃の笑顔に、この状況をうっかり黙って受け入れそうになる。

「あー、だりぃ」

 隣の部屋から気怠そうな声が聞こえる。 

 それから。

「おい、朝っぱらから煩いぞ、裕樹」

 障子が開いて、浴衣姿の蒼雲が無防備に出てきた。袖から伸びる両手に、白い包帯が巻かれている。

「お、おい! 蒼雲、ちょっと待て」

「おはようございます。蒼雲さん。あら? 今お目覚めですか」

 すぐに梓乃がそちらに顔を向ける。

「あ? 昨日の猫森の女か」

「梓乃です。猫森梓乃(ねこもりしの)。いいかげんに名前を覚えてください。それに、休日とはいえ今頃お目覚めとは、随分怠惰なのですね」

 蒼雲は、池から反射する朝日に眩しそうに目を細めながら、ゆっくりとこっちを見る。

「あん? 俺は、昨日、完全猫化したせいで体中が痛ってぇんだよ。ってか、お前も猫使いなら分かるだろ」

 蒼雲の言葉に、

「あ!」

と梓乃は小さく声を上げた。昨日の完全猫化状態で土蜘蛛と死闘を繰り広げた蒼雲の姿を思い出したらしい。

「完化して……、もう、動けるのですか?!」

 眼を丸くして驚きの声で訊ねる。

「あぁ? だから、だりぃって言ってんだろ?」

「そ、そんな、そんなはずありません! 完全猫化すれば、体中が激痛に襲われ、最低3日、長ければ1週間は寝込むはずです! 私も、先月の修練で初めて完全猫化に成功しましたが、ほんの5分程度でしたが、その後3日間起き上がることすらできませんでしたし、1週間以上は痛みが抜けず……。そんな風に、翌日に歩くなど…」

 猫化できない裕樹には想像もつかないことだったが、どうやら完全猫化した翌日に、普通に起きて普通に歩くというのはすごいことらしい。しかも今、彼女は、

「わずか5分程度で3日」

と言った。

 先月の神社での退魔も、昨日の学院での戦いも、5分で終わるようなものではなかった。少なくとも15分、いやもっとかもしれない。

「ふぅ」

 首を大きく回しながら、蒼雲が溜め息をつく。

「俺もゆっくり休んでいたいのはやまやまなんだがね」

「そうです! まだ動けないくらいの痛みが」

「父上がゆっくりさせてくれないんでね」

「そ、そんな……」

「それに、まぁ、もう馴れた」

 蒼雲はそう言いながら歩き始めている。

「おい、どこ行くんだ?」

 裕樹がその背に呼びかける。

「シャワーして朝飯。腹減った」

 にゃー

 にゃーにゃー

 母屋の方へと歩いて行く蒼雲の後を、2匹の猫が追いかけていく。

 蒼雲の後ろ姿を唖然として眺める梓乃は、眼をキラキラして頬を赤く染めている。完全に羨望のまなざし。

「あぁ、もう、恋に落ちてるし」

 今度は裕樹が、大きく溜め息をついた。


   *****


「ねぇ、起きてよ、起きて撫でて」

「オレも。お腹撫でてよ、蒼雲」

 夢うつつの中、また今朝も甘い声で目が覚める。


「ずるい〜、アタシが先」

「お前はさっきしてもらっただろ、今度はオレ」

「あー、煩い。お前ら俺を殺す気か」

「なんでー、もう起きる時間だよ」

「馬鹿、まだ後12分は寝られる」

「じゃぁその間舐めて〜」

「煩い、こら、邪魔だ、擦り付けてくんなよ」

 右隣の薄い襖の向こうから、蒼雲と雲風と風霧の甘い声。


「あん。そこダメ」

「あ〜、もうくすぐったいからそんなところ舐めないで、やめてよ」

「そんなこと言わないで、舐めさせてよ〜。私のことも舐めて舐めて」

「あん、あぁ、ダメ、止めて、くすぐったい」

 左隣の薄い襖の向こうから、梓乃と七枝との甘い声。


「体温が上がりました、熱があるのですか?」

「いや、なんでもない」

「大丈夫ですか? ほらやっぱり、少し熱があるようですね」

 裕樹の枕元でまるでリアル彼女のように優しく微笑む水仙の花の精霊、黄房。


 三者三様の日曜日の朝。

まだまだ登場人物が出揃っていないのですが、1巻目はここで終了。

次巻には、新たなクラスメイトが登場します。

お楽しみに。

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