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現実と非現実の狭間

 ここはどこだ?

 分からない。

 昼なのか夜なのか?

 よく分からない。

 御鏡裕樹は、暗いトンネルの中を必死に走っていた。

 狭く黴臭く陰気に満ちたトンネル。

 背後からくる何かから、必死に逃げていた。

 なぜ走っている?

 逃げるために。

 生きるために。

 走っている足元が、揺らぐ。

 グニャグニャと空間が歪む。

 黒いモノが、後ろから追いかけてくる。

 だめだ。

 戦わねば。

 俺はそのために、強くなろうとしている。


(太刀を!)


 妖樟鬼切丸–––。


 あまた鬼を悪霊を羅刹を切ってきた刀を。


 腰に手をやる。

 そこに佩いているはずの太刀が無い。

 ポケットに手を入れる。

 そこに入っているはずの呪符もない。

 追いかけてくる。

 黒いモノが。

 壁の両側、天井、ありとあらゆる場所から無数の手が伸びてきて自分を掴もうとする。


(殺される!)


 ただ逃げるしかない。


 俺は弱い。

 助けてくれ。

 頼む。

 助けてくれ。


(死にたくない)


 否。

 お前の覚悟はその程度か。


 武器がなくても、呪符がなくても、

 戦うという強い意志があれば。


 空間が歪む。

 目が回る。

 黒い無数の手が迫る。

 足元が崩れて、落ちる。


   *****


「うわっ!」


 目が覚めた。

 自室の布団の上だ。

 思い切り両手を握りしめていた。

 じっとりと汗をかいている。

 額の傷がズキリと痛む。

「どうされました?」

 枕元に仄かな水仙の香りがする。

 昨夜から使役することを決めた水仙の精だ。

黄房(きぶさ)

 水仙の精の名前だ。名前は自分でつけた。

 木霊使いは通常、歳経た古木の精霊を使役して除霊、淨霊、退魔などに使う。古木の精霊は、名を持ち、その名を知ることで使役することが可能となる。しかし生の時間が短い草本類は、術者自ら名をつけ呪で縛ることで使役する。力は古木の木霊の足元にも及ばぬが、細々したことを依頼するには、草本類の方が使役もしやすく自由が効く。

(そういえば、父から木霊使いの呪法を教えられて、初めて使役したのも水仙の精霊だった)

 ことに、花の精霊は可憐で優しい。

「悪い夢でもご覧になりましたか」

 なんて、主の体や精神状態を推し量って、ちょっと彼女っぽいことも言ってくれる。

「あぁ、ちょっとね。でも大丈夫だ」

 神経が高ぶっている。

 昨日の朝。入学式が行われるはずだった霊泉学院の講堂で、裕樹たちはいきなり襲われた。

 蒼雲の予想通り、土蜘蛛の術者に体を乗っ取られたかわいそうな男子生徒の死体は、建物入口脇の倉庫から発見された。死者は彼一人だった。

 それでも、怪我人は何人か出た。講堂もぐちゃぐちゃになり、修復するのにしばらくかかりそうだという話だった。入学式は翌週に延期で、数日間は自宅待機となった。

 若い呪術師が集まる場が標的になったことで、学院から、

『無防備になる休む時、特に睡眠時などには、なるべく身近に式神を置くように』

という指示があった。そこで裕樹は、庭に咲いていた水仙の花の精を使役することにした。

 黄房が動くたびに、水仙の甘い香りが部屋に広がる。

 あの後、講堂内で土蜘蛛やその術者と戦った裕樹、蒼雲、梓乃の3人は、最初は学院長や教師たち、それから天御柱(あまのみはしら)の幹部たちが集まる場にそれぞれ呼ばれ、あの時起こったことを報告させられた。

 なんでも、ここ数ヶ月、土蜘蛛が引き起こしたと思われる霊障が全国規模で何件かあり、一般人が怪我をしたり殺されたりしているのだと言う。

「術者を襲ってくる事例は今回が初めてだが、これが突発的な出来事なのか、何かの計画の一部なのかはまだ分からないので、きみたちも気をつけるように」

 と学院長は言った。

 もちろん、今回の事件も含めてそれらの情報には箝口令が敷かれ、天御柱に所属する術者以外に知らされることはない。たとえ情報が漏れたとしても、霊障で人が死んだなどという非科学的なことが信じられるはずもない。もし仮に、警察が念入りに調査して現場から呪符の欠片が出てきたからといって、それが死の原因になったなどと信じる人はほぼいないだろう。

 天御柱の幹部に呼ばれた時には、裕樹と蒼雲のみが残され、先月地元での仕事の際に出てきた土蜘蛛の呪詛符についての話題も報告が求められた。

 新生活の初っ端から、新品だった制服は廃棄になって、傷が増えて、汗だくでクタクタになった。それに、水分を取った以外、食事もさせてもらえていない。

 迎えが来て猫風家に帰ってきたのはもう日が落ちた後だった。

 その天御柱らの幹部でもある猫風家の当主、蒼龍は、午後の会議からずっと家には戻ってきていない。

『おそらく高天原に報告に行っているのだろう』

というのは蒼雲の見立てだ。

 その蒼雲はといえば、完全な猫化をして土蜘蛛の術者と死闘を演じた後、猛烈な痛みと睡魔に耐えながら半日近くの間、待機や会議での報告を乗り切ったが、帰りの車内で意識を失った。そのまま自室に運ばれ眠りについている。

 学院から連絡があったのだろう。家からも電話があった。学院で研修中の間は、電子デバイスの所持を禁じられているので、祖父の家でしか見たことが無い古風な黒電話で話した。

『いきなり講堂の壁が崩れて怪我をした、と聞いたぞ』

 父の声だ。術師の元には、原因についてもある程度正確な情報が届いているはずだが、俊樹は敢えて結果のみを言った。おそらく近くに、母、律子がいるのだろう。

『大丈夫か?』

「あぁ、うん。ちょっと額を切って。頭だから、少し切っただけでもだいぶ出血するね。それで、一針塗ったよ」

『それだけか?』

 と父は言った。

「うん」

『大丈夫か、いろいろと』

「大丈夫だよ」

『そうか、それなら安心した。この仕事をしている限り、小さな怪我は避けては通れないからな』

 後ろで母が、「これも聞いて」、「これも言って」と言う声が聞こえたが、父はそれだけ言って、

『じゃぁ、気を付けて頑張れよ』

と電話を切ってしまった。

 それで改めて、自分が通う霊泉学院の意味について考える。

「食事は何時でも、お目覚めになられたらお出ししますので、仮眠をお摂りになられてはいかがですか」

 家からの電話の後、宗徳からそう言われたので、その言葉に甘えて仮眠を取っていた。あまりにも疲れていたので少し体を鎮めたかったが、悪い夢を見てかえって高ぶってしまったかもしれない。ぐっしょりと変な汗もかいた。

 シャワーを浴び、食堂に行く。

 猫風家の敷地内には、猫風家の従者や関係者達が少ないときでも30人以上は生活しているとのことだが、運転手や従者の数人以外とは接触はほとんどない。

 今朝は蒼雲と2人で向かい合って食べるような状況。彼がいない今は、当然、一人だ。

 彼が部屋に入るとすぐに、おそらくすごくカロリーや栄養バランスが考えられた食事がテーブルの上に並べられていく。今日のメインは、カレイの煮つけらしい。

「お櫃のご飯、足りなくなりましたらお声かけください」

 配膳係にそう言われたが、おかずの品数も多くお腹いっぱいになった。母の手料理はもちろん最高に旨いが、ここの食事も文句なく旨かった。

 食事が終わったのを見計らって、従者の(むね)(のり)が入ってきた。

「お口に合いましたでしょうか」

 と、宗徳は遠慮気味に言う。

「えぇ、とても美味しかったです。魚は好きですし、お腹いっぱいになりました」

 そう答えると、

「それは宜しゅうございました。それで、明日の夕食ですが、お召し上がりになりたいものはありますでしょうか」

慇懃に次の質問をしてくる。

 平日の食事は選べないが、週末の夕食だけは、リクエストしておけばある程度好きなものを出してもらえるらしい。特に、肉食が駄目とか、ジャンクフードが駄目と言うわけでもないとのことだが、世間の常識を知らない蒼雲の言葉だからあてにならない。何しろ彼は、ハンバーグとハンバーガーの違いを知らなかった。

「えっと」

 蒼雲は答えに窮した。そこで、

「いつもはどんな感じですか?」

と聞いてみる。

「いえ、いつも特にご要望はありませんので」

 そこでいったん言葉を切ってから、

「ですので時には、ケーキなどの甘いものや、コーラやスナック菓子もお出ししております」

と続けた。

「え? そういう物もいいの?」

「いくら当家の次期当主とはいえ、蒼雲様も普通の15歳の少年ですので。そのくらいの年代の方が好まれそうなものを、できるだけご用意させていただくようにしております」

 いつも冷静な初老の従者は、猫使いとして生きることを強いられている蒼雲を、こうして遠くから見守っているのだろう。

(おそらく他の従者たちも、この家に関わる全ての人が同じ気持ちなのだろう)

 と裕樹は思った。

 抗う術のないない運命の中で生きていく覚悟。そして、それを支える覚悟。

 裕樹は、そんなことを考えながら、暗い離れに戻った。

 お腹がいっぱいになって心が落ち着いたのか、今度はすぐに、穏やかな夢の中へと落ちていった。

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