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夕暮れの赤い太陽が山の斜面を照らし、木々を燃やした。
遠目で見るといかにも平和な日常の景色と言えよう。
しかし、時折響く破裂音や轟音、舞い上がる砂塵と炎がそこで行われている戦闘の激しさを物語っていた。
山の急な斜面を一つの金属の塊が、さながら風のように冬の寒空を耐えて茂る針葉樹達を避けながら走る。
騎士とは違い、全身を白く塗装した《虎》は、柔軟な動きを可能とする為の間接部が多く、黒い溝の様なそれが虎独特の縞模様を作り出す。
二対の逞しい足が地を蹴り、殆ど跳躍と言っていい勢いで走る。 バランスを取りにくい足場であるにも関わらず、膝と肩の関節で衝撃を殺し、頭部は僅かにもぶれない。
頭部には耳を模した三角のアンテナが二つ、溶けた鉄のような色の牙が剥き出しにされ、雷の様な唸りが口から漏れる。 黄色く発光するカメラアイが前面を炯炯と睨みながらも、背後から追跡するそれを捉えていた。
それはさながら掘削機の様に地面を抉り土くれを撒き散らしながら、進行路にある物全てを細かく粉砕して真っ直ぐついてくる。
虎はそれを確認し、なおもその名の通り虎視眈眈と機会を待つ。
虎の背で光が爆ぜた。
自律稼働型の機関砲が暴力的な質量の嵐で空間を焼き尽くす。
木々を薙ぎ払い、吹き飛ばして背後に道すら作り出したそれは、しかし、追跡者に弾かれ勢いのまま消え去る。
「ちっ! 無駄弾撃ってんじゃねぇ!」
虎のパイロットこと一〇〇八は棘のある口調で怒鳴って機関砲を強制停止させる。
向こうは一直線にこちらへ向かって来ているが、それでも虎の方が早い。 むしろ見失わないように相手の速度に合わせているくらいだ。
しかし、地面に潜る相手に有効な攻撃手段の無い虎からは仕掛けられない。 ならば後の先を取る為にも無駄に距離を開ける訳にはいかない。
虎が走るペースを落とした。 仕掛けられないならば仕掛けさせる。
それを好機と悟ったのか地中からそれは飛び出す。
内側から弾けるように地面が割れた。 小規模な地震を伴って姿を現したそれをどう形容しようか。 無理やりにでも言うならばミミズの化け物に羽を生やした感じか。
それが飛び出す勢いのまま虎に飛び掛かる。 飛び掛かる、と言っても長いその体の半分は未だに地中に残っているが。
ついでのように樹木を細かく切り刻み迫るそれを虎は後ろに飛び退いて躱す。
後ろとはつまり巨大ミミズの方であるが、ミミズは飛び出した軌道をすぐには変更できず、脇を通り過ぎる虎の体をその鋭き刃が切り裂く事は無かった。
おまけとばかりに前足の先端から飛び出した鋭い爪が鋼鉄の羽を一枚切り落とす。
「先ずは一矢報いたってな!」
スピーカーから響く声を理解したわけではなかろうが巨大ミミズは地中に再び体を潜らせる。 くねる糸鋸のように触れる物を切断するそれを虎は横目で見送った。
『主ヨ集中スベシ』
抑揚に欠けた低い電子音声が呆れを含んで告げる。 こちらも無駄にスピーカーを使う。
「分かってら。 で、あいつはどこ行きやがった」
やはり、音がだだ漏れだ。
『当機ニ探査不可』
「んなこたぁ知ってんだよ! こっからぁ勘だ勘!」
『了』
必要最低限以下の単語で話す虎に一〇〇八はイラつきを込めた言葉で返す。
棘の含んだその声に、果たして機械に勘が通じるかどうかと問われれば怪しい物だが虎は嬉しそうに応じた。
太陽は既に山陰に姿を消し、残された光だけが行き場を無くしたように薄闇に広がる。
虎はそこで静かに佇んだ。 相手が地中を移動しているのは分かる。 微弱な振動からそれぐらいは察知できたが、それは山全体が震えているような物でとても細かな場所は特定できない。
「シオリがいりゃあな。 もっと楽にやれんのによ」
愚痴る言葉に応えるように振動が強くなった。 もはや土砂崩れがいつ起ころうとおかしくない。
「くるぞ」
それは確かに、勘であった。
一〇〇八が言うまでもなく虎は跳躍していた。
虎のそれはありったけのセンサーと高性能な電脳による未来予知に迫る演算の結果でもあるが。
山が動いた。
なんの誇張もなく、それが見たままの景色である。
土を掘削しながら進むミミズに既に土の下は荒らされ尽くしており、山はその形を保てなくなっていたのだ。
虎の足元から飛び出たミミズは回転しながら、途轍もない勢いでその全貌を現す。
「んだ、こりゃ……」
悲愴な声は降り荒ぶ数多の小枝、或いは木そのものの音によって霞んだ。
金属の軋む音が一際大きく響き渡り、その巨体がゆっくりと降りかかる。
「流石に、キツイね」
一〇〇八は口の端に苦い笑みを浮かべて言う。
虎はその呟きに無言で答えた。