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《玄甲》から南に数キロの地点、かつてそこには小さいながらもいくつかの山が重なるように点在したが今はその面影は欠片たりとも残っていない。
この一帯はまるで地面が虫に食われたかのように空虚な穴を空へと向けている。 大きいものでは半径数十メートを超えるそれらは無論、自然に出来たものではない。
今はもぬけの殻と化した《玄甲》に対する、衛星兵器のちょっとした誤算が招いた結果である。
その中の一つ、ぱっと見た限りでは周りのものとなんら変わらない穴の一つに白銀の騎士は身を投じた。
瞬間の浮遊感の後、クレーターの底、平坦になっている中央へと降り立った騎士はそこで何かを待ち構える。
暫しの後、その眼前で土くれを弾かせながら地面が手前にスライドし、幅五メートル、長さ十メートルに及ぶ彼等の玄関が開かれる。
大型のカタパルトに乗り込みそこからはさらに地下へと進む。 背後ではハッチが閉じられ辺りを闇が覆った。
操縦桿から手を離し、シートにもたれかかって目を瞑る。 先程の戦闘が思い出された。
思い出せねばならぬほど重要な戦いではない。 戦闘も滞りなく終わったわけであり、圧倒された場面は終始一度としてなかった。
しかし、と。
自分が覚えていなければ、誰があの兵器の存在を証明できるだろうか。
確かに記録は残される。 貴重な新型のデータとしてそれは有効活用されるはずだ。 だが、それはあの機体の事ではない。 種類としての単なる情報に過ぎず、個体としての存在は無いに等しい。
圧倒的な戦闘力の差に怯むことなく最後まで戦い続けた彼の者の電脳は、確かに自分が切った。 そうする事で自分は相手の存在を奪ったのだ。 ならばせめて、過去にだけでもその存在を残してやりたい。
たかが無人兵器にそんな事を思うのはただの独り善がりに過ぎぬだろう。 だが、己の境遇に当てはめるとどうしても忘れることはできない。
自分もあの戦闘兵器とさしたる違いはないのだから――――
カタパルトの止まる衝撃が、深い思考の奥へと沈みかけていた彼を現実へと引き戻す。
『おかえりなさい三七一〇』
オペレーターは事務的な出迎えの挨拶を述べる。
「ああ」
騎士の中の男は僅かに顔を歪め短く返した。
そのまま騎士を操って所定の位置まで移動させ、止める。
地下数十メートルに存在するこのドックの広さは中々のものであり、天井までの高さは騎士の長身をもって尚も余りある。
装甲車輌しか残っていないところを見ると他の者は皆出払っているらしい。
サッカーグラウンド二面ほどはあるそこでは黄色い作業服を着た整備士達が忙しそうに駆け回っている。
その中の一人、若い男が騎士の足元に駆け寄った。
「おう、無事だったかミナト」
周囲の者達もその声に一度手を止め、口々に労いの言葉を述べる。 若い整備士と違うのは、その後につくのは決まった数字であるということだ。
屈んだ騎士の胸部が開き、そこから三七一〇と呼ばれた男は飛び降りる。
「ただいま」
その顔に薄く笑みを浮かべて男は頷く。
彼には名が無かった。 いや失くしたと言った方が適切か。 今ではその代わりに割り振られた四桁の番号で呼ばれる。
しかし、親しい者はその数字から彼をミナトと呼んでいた。
「皆忙しい様だが、何があったんだムクロ」
若い整備士の番号は〇六九六、ミナトはムクロと呼んでいる。
「いやぁ何てことはねぇ。 一〇〇八の野郎が中破状態で戻ってきたんだよ。 それもすごい剣幕で」
一〇〇八と言えば《虎》のパイロットだ。 ミナトの知る限りでは相当の猛者で、手傷を負うこと自体が稀である。
「それは珍しいな。 なるほど、だから整備に時間がかかったのか」
「ところがどっこい」
ムクロはやや呆れ顔でため息を着く。
「あの野郎、修理が終わるとすぐ出るって言って聞かねぇんだ。 そりゃちょっとした傷ならすぐ出せるだろうがよ。 何があったのかを上にも報告しなくちゃならねぇだろうし、何よりあの壊れ方は尋常じゃねぇ。 止めるのも聞かず、修理もそこそこに出て行きやがった」
「ああ」
ミナトはドックを見渡す。 よく見れば巨大な獣が引っ掻いた様な傷がそこかしこに作られている。
「相当気が立っていた様だな」
「ありゃ正しく獣だぜ」
ムクロは両手で肩を抱くと、わざとらしく身震いした。
「それで、あんたの方もなんかあったんだろ。 平穏無事って様子じゃ無さそうだし」
ムクロは顎で形を保っているのがやっとの盾を示す。
「なんだありゃ。 あんたがあそこまでやられるなんて珍しい」
若干の好奇心を含んだその瞳はミナトに答えを促している。
「新型が相手だったせいだ。 口径はただの二十ミリなのだが火薬か弾丸が変わっていたのを失念していた。 すまない」
ミナトは面目ないと言う様に眉を寄せて説明した。 ムクロはそれに首を振って答える。
「盾なら幾つでも予備はあるさ。 本体とお前が無事ならなんてこたぁない」
騎士の足をコツコツと叩くムクロに、騎士は自律稼動で首を動かしてボンヤリ輝くツインアイから冷たい視線を送る。
『彼ノ者ヲ敵性反応ニ登録スルコトヲ推奨ス』
騎士はそう言って足を一歩引いた。 それをムクロはニヤッと嫌な笑みで見返す 。
流石にミナトが止めに入った。
「やめてくれ。 俺の友人だ」
ムクロは手をひらひらと振って応えた。 騎士は渋々といった様子で了承の意を返す。
本人が冗談のつもりでも騎士にまでそれが通じるとは限らないというのに、ムクロはそれを面白半分でやってのける。
「全く、その度胸があればパイロットを続けられただろうに」
「そいつぁ勘弁。 切った張ったは性に合わねぇ」
実際彼がここに来た当初はパイロットとして配属されたのだが、先程の様に性に合わないという理由でやめてしまい、元々自分のマシン、今では凍結されているが、を自分の手で整備していたこともあり、そのままなし崩し的に整備士の座に落ち着いた。
「うちにはそういうのが好きな連中はゴロゴロいるだろ。 わざわざ俺がやらなくてもね」
気まずそうに頭の裏を掻くのはミナトに遠慮してか。 なにせその言い方だと彼もその《そういうのが好きな連中》に含まれるからだ。
ミナトは僅かに眉を顰め渋い顔をする。
「いや、悪い! 皆が皆そういう奴じゃねえってのは分かってるよ」
勢い込んで謝りだしたムクロにミナトが笑みを向けた。
「分かってる。 冗談だ」
笑みと言ってもそれは薄いもので、親しい者でなければそれが笑みとすら思わないだろう。
ムクロはその親しい者なのでそれが本当に冗談なのだと理解できた。
「お前の冗談は冗談に見えねぇよ」
緊張感の抜けた顔でそう告げる言葉尻を騎士が放つ甲高い電子音が遮った。
『入電。 書斎ヨリ直通デス』
書斎からぁ、と首を傾げるムクロに習ってミナトも暫し戸惑う。
「なんて言っているんだ」
『直サマコチラニ来ル様ニ、ト』
それだけ言うと騎士はどうするか問う様に押し黙る。 どうするもこうするも無いのでミナトはそれに頷いて見せた。
「どうやらお喋りもこの辺みたいだな。 ムクロ、こいつの整備を頼む」
「了解、また後でな」
『理解不能。 当機ノ自己修復力ヲ以ッテスレバ、コノ程度ノ損傷ハ障害ニ不成』
明らかに不服そうな言葉を平然と告げる騎士は、ちらりとムクロを見た、気がした。
ミナトは一つ溜め息をつくとぴしゃりと言い放つ。
「我儘を言うな。 前回もそう言って整備をサボったんだ、今回は盾の補給もある、大人しく診て貰え」
剣幕、と言うよりも駄々をこねる子供を諭す様な言い方だ。
騎士はそれにしばしの沈黙の後、小さく返した。
『了。 主ノ指示ニ従イマス』
肩を竦めてみせるミナトをムクロは苦笑いを浮かべて見送った。