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かつて《玄甲》と呼ばれた防衛都市も、今は見掛け倒しのもぬけの殻となっていた。
街の東西と南に巨大な国道もあり、全盛期の頃は多くの人で賑わったであろう街中も、今では猫の子一匹見かけられない。
積もる雪に下草が震えるばかりだ。
そんな街中に、あまりにも不釣り合いな物が一つあった。
地面に突き刺さった長大な剣である。
黒光りする刀身に霜が薄く張り付く。
剣の脇に佇む男はそれを撫でる様に払い、映り込む背後の景色を見た。
内に収めるべきものが何一つ無くなり、尚も屹立するビルが一つ、ポツンと空寒く佇み、その前には右膝をついて頭を垂れる《騎士》が一機。 まるで仕えるべき主君の前に控える様に沈黙を守っている。
武器は何一つ持っていない。 脇に備えた厚い円形盾と、線の滑らかな白銀の鎧だけをその身に纏う。
正確にはそれは騎士ではない。 騎士が円形盾を使うことなど滅多に無い。 さらに言えば、彼の乗れるであろう馬がこの世に存在しないだろう。
だが、本来羽飾りのある場所まで金属製のコリント式兜や、全身を覆う複合装甲が鎧の様で確かに、創作の中の騎士に見える。
その騎士が馬に乗れないのには理由がある。 騎士は鎧だけでなく、内部骨格に至るまでその全てを余すとこなく金属で構成されていたからだ。
全長約八メートル。 タングステンよりも遥かに硬く、鉄よりも軽い金属の複合装甲を纏った騎士は、降り始めた雪に同化するかの如く純白に光を弾く。
鎧の一部、胸の部分は外側に釣り上げられる形で開いており、そこからお世辞にも居心地の良いとは言えなさそうなコクピットが覗く。
それらが映り込む長さ三メートルを越える剣は無論、生身の人間の物ではなく、騎士の物である。
それはコンクリートの路面に深々と突き刺さり、唯一抜き放てる主を今か今かと待ちわびていた。
騎士が何かを伝えたがっているかの様に二、三度、スリットから覗くツインアイを白く明滅させるのが映る。
ついにその時が来た。
剣は鈍く光を照り返しその存在を主張する。
しかし、その時を待っていたのは何も剣だけではない。
その前に立つ男自身、この時を待っていたのだ。
それこそ、雪の降るような寒空の中、いくらパイロットスーツが防寒着を兼ねているとは言え、そこから剥き出された顔や手は既に赤く染め上がっているというのに。
しかし、その表情には厭う様子は無い。 ただひたすら、氷で出来た彫像の如く唇を引き結んでいる。
騎士が動いた。
ゆっくりとした動作で立ち上がり、その長身からは想像も出来ないような滑らかな動きで近づいて来る。
全身が金属で出来ていると言うのに、存在感は雪景色に溶け込み、足音も非常に軽い。 超高性能のショックアブソーバーの成せる技だ。
騎士は男の前で立ち止まると、再び膝を着く。
「見つけたか」
男の声はまだ若く張りがあるが、どこか空虚なものだ。
『然リ。 敵性反応数一、今朝方更新サレタ情報内ニアル新型ト思ワレマス』
機械的で無機質な声音は、しかし、その奥に不満気な色を感じ取れる。
「またか、やけに多いな」
『肯定。 然レド当機ノ戦力ヲ持ッテスレバ産マレタテノ赤児ニ負ケル道理ハ無シ』
まるでプライドを傷つけられたとでもいう様に平坦な声にはトゲが含まれている。
「分かってる――――行くぞ」
『了』
その胸に抱かれるようにして男はコクピットに乗り込んだ。
騎士の胸部が閉じる。
ボウッと橙の明かりが灯り、各種メーターが表示された。
シートの周囲二百度を囲むように湾曲した一枚のモニターが表示され、外の景色が映される。
騎士は立ち上がり、黒檀の剣を引き抜いた。
剣は容易く抜け、金属の擦れる高音を響かせて歓喜の声とする。
白銀の盾と鎧に漆黒の剣を携え、騎士は駆け出す。
初速にしてその細い足からは想像も出来ない速度だ。 倒壊したビルや廃墟が次々と流れるように過ぎ去る。
目的地は東へ数キロ。 入り組んだ道を通っても五、六分で着く距離だ。
時折交差点を過ぎる度に、光の灯らない信号機が騎士の鎧にぶつかっては小枝の様に折れ飛んだ。 しかし、その鎧にはかすり傷一つ付かず、元の輝きを保ったまま尚も加速する。
闘争を目前にして感覚がその剣の様に鋭敏になる。
次第に強くなる風。 細かな雪の結晶は、風に煽られて踊るように舞う。
揺れ踊る粉雪の一粒一粒までも捉え――――被照準。
危険を知らせるアラートがけたたましく鳴り響く。 しかし、その時には既に回避行動をとっていた。
急な制動にも関わらず、機体は瞬時に速度を落とし、跳躍。
右前方、瓦礫の山に隠れる様に身を伏せる。
瞬間、直前まで騎士がいた地点を何かが通過し、横転し残されていたトラックに直撃すると粉微塵にそれを打ち砕く。
ほぼ同時に大質量の砲弾を高速で打ち出すための爆発音が轟いた。
打ち出された弾は装弾筒付翼安定徹甲弾。 装甲を貫く事に特化したそれは、まさに必殺の一言。
ただし、当たれば、の話だ。
騎士が影から飛び出す。
弾の飛来した方向を望遠で確認。
車道の中央で待ち構え、こちらを捉える八つのカメラアイと砲身。 ニ対の足は地を踏みしめ、次弾の発射に備える。
前後に伸びる楕円型の円盤頭と多関節型の脚を繋げただけの蛸の様なその姿は若干の愛嬌があると言えなくもないが、頭部中央の太く長い砲身と、頭部脇に備え付けられた二〇十ミリ機関銃が破壊力の圧を放つ。
相対する多脚型戦車は、その名を『エイムズ』と言う。
奇怪な形の頭部でカメラアイが瞬き、再びの警告音。
真っ赤なエラーが前面スクリーン上部に表示され危険を知らせるが、それを無視して走る。
逃げるのではなく、自らとの距離を詰める為に走り出した騎士に、エイムズはコンマ秒以下の間戸惑うが、流石の反応速度で迎撃を選択。
主砲が発射され、その爆裂音に混ざる様に機関銃が火を吹く。
近接信管を搭載していない砲弾は騎士の走行コースを僅かに反らせる程度の効果しかなく、その後方で半壊したビルを瓦礫に変える。
しかし、エイムズも最初から主砲で決着をつける気はない。
ほぼ不意打ちに近い初弾が回避されたことを含めた次弾の命中率は、皆無。 ならば布石として使用するまで。
必殺の弾丸はただ進路を限定させる為だけに使われた。
そうして変更させたその進路を、鋼鉄さえも容易く打ち砕く二十ミリ弾丸が舐め尽くす。
それらは騎士の掲げた盾に当たり、弾かれて背後の瓦礫に特大の弾痕を残す。
数発その体に当たるも、強固な鎧に薄い傷をつけるだけで効果的な一打には至らない。
甲高い音で弾丸を弾き尚も接近する騎士を機関銃が捉え続ける。
盾は既に傷の無い場所を探す方が難しく、黒く焦げ付いた箇所も見られるが、その陰では騎士もまたエイムズを冷酷に捉えていた。
彼我の距離は既に百メートルを切っており、三秒もあればエイムズは騎士の剣の間合いに入る。 しかしこの距離ならばエイムズの主砲もまた必中。
多脚を用いた高機動戦闘がエイムズの真骨頂である。 それをしなかったのはひとえにこの時の為だ。
下手に距離をとったところで眼前のターゲットの方が機動力が高い。 追いつかれるのは目に見えている。
ならば近づかれたところを確実に仕留めるまで。
その為に静止し、僅かであろうと精度を高める。
既に次弾の装填は済んでいる。
射撃演算開始――――完了。
主砲命中率九八パーセント。
砲口の闇が純白の騎士に向けられる。
機関砲の弾が切れた。 弾丸の雨が止み、不意に訪れた静寂が廃都を満たす。
――――閃光。
鉄杭を思わせる先端を持ったAPFSDSは音を置き去りにし、目視するよりも早く騎士を撃ち抜き、その胸に穴を穿つ――――筈だった。
騎士は剣を振るった残心の姿勢で立ち止まっている。
右手に握られた剣の切っ先は天に向けられ、雲の隙間から顔を出した日の光を浴びて鈍く照り返した。
背後で二つの爆発が起こる。 真紅の炎が騎士の鎧を舐め、てらてらとした輝きを反射させる。
その距離五十メートル。
騎士は再び駆け出す。
エイムズは尚も戦闘演算を続ける。 しかし、それが既に無意味であることも、何処かで理解していた。
それは戦闘に特化した兵器故の直感であったのかもしれない。
騎士の剣が薙がれる。
漆黒の剣が白く尾を引きながら自らに迫る。
それがエイムズの最後の記録であった。
騎士の背後で地響きとともに両断された自立兵器の頭部が滑り落ちる。
そちらを振り返ると剣を地面に突き立て、道路を削る様にクロスを描く。
「名無き戦士に」
騎士の頭部スピーカーから男の声が響く。 それは人のいなくなった廃都に何度も木霊した。
騎士は剣を一、二度振って表面についたオイルを飛ばすと、腰に固定された応急洗浄作用のある鞘に納めた。
「 目標の撃破を確認。 帰投する」
独り言の様に呟かれたそれに、ヘッドセットの無線インカムから返事が入る。
『了解しました。 帰投には北ハッチをお使いください』
「了解した」
それだけ言うとインカムを取り外してシート脇に掛ける。
純白の騎士は空を見上げた。
雪が、風に頼りなく舞う。
それがツインアイの縁に積もりだしたのか、モニターを徐々に白い幕が覆っていった。
自動でデフロスターが起動する。
雪が溶け、一筋の雫となって零れ落ちた。