星辰天環02
「あぶない! もみじさん!」
そう叫んだ言葉に、
「え?」
と呆然としているもみじの挙動に姫百合は歯噛みしたかった。
そして、
「御免!」
鬼が動いた。
鬼の手から伸びる強靭な爪がもみじの頸動脈を深々と切り裂いた。
「え……?」
ブシュッともみじの首から血が溢れる。
だくだくと流れ出る血液。
その暖かな水分はとまることを知らずもみじの体内から排出される。
「ちぃ! 貴様は!」
姫百合は童子切安綱を上段に構えると鬼めがけて間合いを潰す。
袈裟切り。
しかし紙一重で鬼に避けられる。
鬼は、
「ケケケケ、復活だぁ! 復活だぁ!」
と笑うと月夜の空へと跳んだ。
そのまま宙を足場に姫百合へと襲い掛かる。
鬼の右手の爪による突きを体を半回転させて避ける姫百合。
そのまま安綱を下段から跳ね上げるように切りつける。
それは大きく飛び退いた鬼に躱される。
「あ、ああ……」
もみじがそう呟きながら首の出血を手で押さえながら地面に膝をつく。
「……もみじさん!」
一時鬼を放ってもみじに駆け寄る姫百合。
「姫百合ちゃん……寒い、だよ」
「すまない……。私が鬼を仕留めそこなったばっかりに……!」
「姫百合ちゃんが……謝る……ことじゃない……だよ」
「しかし……!」
「ああ、もう眠いや。姫百合ちゃん、おやすみ、だよ」
もみじは首の出血を抑えていた手をダラリと脱力させた。
目から生気が消え失せる。
「もみじ……さん……?」
儚い希望によってもみじの名を呼ぶ姫百合に、
「…………」
もみじは何も答えない。
そして、もみじは自分で作った血だまりに倒れこんだ。
血が跳ねる。
ピチョンと数滴。
もみじの首からはいまだにだくだくと血液が流れだし、血だまりをさらに拡大させている。
そうしてもみじは死んだ。
そんな光景を見せつけられて姫百合は心中おだやかではいられなかった。
「もみじさんを……貴様ぁ……!」
姫百合が憎悪と憤怒を持って鬼を睨みつけ、安綱を構えようとした瞬間、
「装置に告げる。肉体の修復をせよ」
もみじの死体がそう喋った。
「っ!」
安綱を構えかけたまま、ビクリと硬直する姫百合。
鬼から目を逸らし、もみじに視線をやる。
そして、
「っ!」
驚愕。
もみじの深々と切り裂かれた喉が見る間に修復されていった。
さらにもみじが言う。
「装置に告げる。血液を補充せよ」
血を吐き出して死んだはずのもみじの顔色に血色が戻る。
そしてフラリともみじは立ち上がった。
「ふ、ふふ……」
「もみじ……さん……?」
「ふはははははははははは!」
もみじの哄笑が周囲に響きわたった。
それだけではない。
「ははははははははははは!」
もみじから圧倒的な霊力の奔流が溢れ出て、辺り全てを威圧する。
本来形を与えられて初めて効果を成す霊力が、それ単体でプレッシャーを生み出しているのだ。
台風に例えても言い過ぎではない霊力の渦が逆巻く。
(こんな……こんな膨大な霊力……まさか……!)
姫百合は混乱する思考をどうにか矯正して状況を整理する。
死んだはずのもみじが生き返ったこと。
そして人ならざる霊力を放出すること。
そしてもみじが星辰天環を扱っていること。
それだけで全ては察せられた。
もみじの頭は、サイドの伸ばしている髪が逆立って、まるで鬼の角のようだった。
「は、ははは! なんという装置だ!」
もみじは愉悦の笑みを浮かべて右手にはめられた星辰天環を見た。
それからもみじは鬼を睨みつける。
「首を掻き切ってくれたのは貴様だな。我の慣らし運転に付き合ってもらうぞ」
もみじは圧倒的な霊力を、右手にはめている星辰天環に込める。
同時に、もみじは空間を跳躍した。
「ギ?」
消えたもみじを探して鬼がキョロキョロと辺りを見渡す。
その鬼の背後から、
「こちらだよ小鬼」
鬼の背中をとったもみじが跳躍すると縦回転に胴回し蹴りを繰り出す。
「ギゲェ……!」
頭部に強力な踵落としをくらって倒れ伏す鬼。
もみじはまた膨大な霊力を星辰天環に込めて自身の足元に七芒星の魔法陣を創りだす。
「挑む者皆々破れる破軍の陣」
そう呟くもみじ目掛けて鬼が、
「……!」
立ち上がり、襲い掛かった。
「っ! 危ない!」
姫百合が悲鳴を上げる。
此度の鬼の爪の鋭さたるや陰陽寮の戦装束の魔法防御すら貫くのである。
結果今夜は凶都の鬼切が三人もその爪によって殉職した。
姫百合の悲鳴も当然と言えた。
しかして、
「っ!」
姫百合は驚愕することになる。
鬼の両手の爪はもみじを切り裂こうとして、そしてもみじの両手によって止められていた。
もみじは受け止めた鬼の爪に無理に負荷をかけてポッキリと根元から折った。
(そんな……あの爪を一蹴するなんて……!)
驚愕する姫百合を余所に、もみじは目の前まで迫った鬼の首を左手で掴むと同時に、右手で拳を作り鬼の腹部を殴りあげた。
拳の弾幕。
拳の連打。
すさまじい速度と威力でもみじの拳が何度も鬼の腹部にめり込む。
しかも首を押さえられて鬼は引くこともできない。
「ガ……ハァ!」
鬼が苦しみの吐息を漏らす。
それを凄惨な笑みで見つめるもみじ。
それから飽きたのか、右の拳の連打を止めたもみじは左手で掴んでいる鬼の首を起点に鬼を空中高くに放り投げる。
そしてまた暴力的な霊力を星辰天環に込める。
「太陽にて少陰を剋す……サンシャインスフィア……」
そう呟いて右手の握り拳から親指と食指だけを伸ばして拳銃の形をつくると、もみじはその指の銃口を空中に放られた鬼へと向ける。
そしてもみじの指先から直径十メートルを超える太陽にも似た炎弾が現れると、
「Bang」
と呟いたもみじによってその炎弾は撃ちだされた。
速度は弾丸。
空中に放られた鬼目掛けて巨大な炎弾が撃たれ、接触し、そして鬼は炎弾に飲まれて灰すら残らずこの世から消え失せた。
炎弾は鬼を蒸発させると同時に収束して消えた。
そして鬼によって創られた結界も消え失せ世界は元に戻る。
圧倒的だった。
魔窟凶都にて鬼に睨みを利かせている鬼切三人を斬殺し賀茂姫百合をして劣勢に追い込んだ鬼を、もみじは苦も無く殺してのけたのだった。
もみじはご機嫌だ。
「ふふ……くふふ……くははははっ! 愉快痛快! こんな御器があろうとはな!」
恍惚の表情で星辰天環をはめた右手を掲げて哄笑するもみじ。
「貴様……まさか……」
ここにきてようやく姫百合はもみじに声をかけられた。
もみじが振り向く。
「……人の子か。なんだ? 貴様も我の慣らし運転に付き合ってくれるのか?」
もみじらしかぬ口調でもみじ。
姫百合は童子切安綱を構えて聞く。
「貴様、まさか!」
その問いに、もみじであってもみじでない何者かは答えた。
「我は天魔。第六天魔王……波旬である」
「やはりか……!」
「然り」
「もみじさんはどうした!」
「もみじ……我の魂の器のことか。今は我が内だ」
「貴様が天魔だと……」
「先ほどからそう言っている」
もみじ改め波旬は威圧的な霊力を右手の星辰天環に込めて、言う。
「貴様はどうやら器の知己らしいが、まぁ我には関係ないことだな。死ね」
波旬は右手を姫百合に向けて、
「駄目!」
叫んだ。
それは、その「駄目」は、もみじの声だった。
ガクンと波旬の姿勢が崩れ落ちる。
「ぐ、もみじか……! 駄目だよ。姫百合ちゃんを傷つけちゃ駄目だよ……! うるさい! 我は天魔! 我は波旬! 我は我の悦楽のために力を振るう者なり! それでも駄目! 姫百合ちゃんは私の大事な友達だから、だよ!」
「…………」
いきなり葛藤を始めたもみじと波旬を、姫百合は無言で見つめる。
「我は、私は、第六天魔王、もみじ、だ、だよ……」
そして、もみじと波旬は、意識を失って倒れた。