伴之もみじの日常04
その日の体育の授業。
クラスメイト達がバレーボールに興じる中、私と姫百合ちゃんだけが体育館の隅っこで体操服も着ないで学校制服のまま見学をしていた。
私はポツリと呟く。
「姫百合ちゃん」
「なんだい? もみじさん」
「なんで日本刀を持ってきてるの、だよ」
私と隣り合って座っている姫百合ちゃんのそのまた隣に立てかけてある童子切安綱に目をやる。
「まぁおしゃぶりみたいなものだね。持っていないと不安なので……」
冷静に考えれば物騒な話である。
「ていうか没収されないの、だよ」
「安綱の鞘袋には人目を避ける結界が張ってあるから。鬼の見える方でないと認識されないんだよ」
「……なるほど、だよ」
どうりで誰も騒がないわけだ。
私と姫百合ちゃんくらいにしか認識されていないのだろう。
まぁ信じられないような話ではあるけど鬼切にかかれば何でもありだ。
「でも童子切安綱ってたしか国宝じゃなかったっけ、だよ」
「真打はそうだね。だが私のこれは影打。真打には及ばないがそれでも高位の霊刀に違いはない、と」
「へ~」
意味もなく感心する私。
それから私は別の話を切り出す。
「それにしても具合が悪いならここじゃなくて保健室がよくないかな、だよ」
「具合が悪い? 誰が?」
「姫百合ちゃん、具合が悪くて体育の授業を休んでいるのでは、だよ」
「いえ、私の場合単にこの学校の体操服の注文が間に合わなかっただけでね」
「あ、なるほどだよ」
「そういうもみじさんこそ具合が悪くて休んでいるのなら早々に保健室へと行くべきだ」
「うんうん、私も具合は悪くないんだよ」
「そう、では何故?」
「あはは、私、虐められてるからさ。着替えとか持ってくると破かれたり汚されたりしちゃうんだよ。だから体操服に着替えたくないの。先生も認めてくれてるし、だよ」
「もしかして国語や算数の時間に教科書やノートを広げなかったのは……」
「うん、そういうのもイジメの対象になっちゃうからね。基本手ぶらで登校下校。荷物はポケットにシャーペンと消しゴムだけ。靴は職員用の下駄箱に入れて。できるだけ私物には手を出されないようにって配慮だよ」
「…………」
姫百合ちゃんは何も答えなかった。
「でも姫百合ちゃんに会えてよかった、だよ。鬼を見ることができる人に会ったのは久しぶりだったから。それがクラスメイトともなると白洲三百人力だよ」
「もしかして鬼が見えることでもみじさんは迫害されてきたのかい?」
「ん。まぁね、だよ。やっぱり子供は……って私も子供だけど、異端に敏感だから」
「誰も学ばない。誰も知ろうとしない。誰も教えない。孤独に耐えることを。あなたは偉いね、もみじさん」
「何それ、だよ」
「とある哲学者の言葉だよ」
「ふええ、姫百合ちゃんは難しい言葉を知ってるんだよ」
「人は誰しも知っていることしか知らないものさ」
「それも誰かの言葉、だよ?」
「いいえ、単なる普遍的な事実」
そう、端的に姫百合ちゃんは答えた。
あんまり掘り下げたくない話題だったので私は方向転換することにした。
「そういえば姫百合ちゃん。今日の放課後暇? 私、博物館に行く予定なんだけど一緒にどうかな、だよ?」
「魅力的な提案だけど申し訳ない。私は今朝の鬼を追わねばならない」
「あ、そっか、だよ。ちゃんと退治しないとね。逃げられたんだもん」
「それもあるけどそれだけじゃないんだ」
「というと、だよ?」
「あの鬼に鬼部の封印級の陰陽具を盗まれてね。目下鬼部が全力で狩りだそうとしているんだ」
鬼部というのは鬼を退治するために組織された職能集団だ。
日本全国津々浦々に鬼退治のスペシャリストを配置して統括しているのが鬼部というわけだ。
日本の鬼に睨みを利かせている専門の戦闘集団とも言える。
「ふーん、大変なんだね、だよ」
「そうだね。此度の鬼は強力だ。なにせ護送にあたっていたのは、かの坂上氏の國守。彼を殺して宝を盗んだ輩だ。こちらも相当の戦力で当たらねばならないんだ」
虚空を見つめる姫百合ちゃんの目はとても小学生のそれとは思えなかった。
と、
「っ!」
急にこちらを睨んだ姫百合ちゃんが、私を抱き寄せる。
頭を両腕で抱かれて姫百合ちゃんの胸元まで引き寄せられる私。
姫百合ちゃんの胸のわずかな膨らみに「わわっ」と慌てるのも束の間、次の瞬間、私の頭が元あった空間に高速でバレーボールが飛んできた。
私に向かって飛んできたバレーボールの難を逃れさせるために姫百合ちゃんが助けてくれたのだと理解したのはその一瞬後だった。
私たちの近くでバレーボールに興じているはずのクラスメイトがクスクスと笑っていた。
「ごめーん賀茂さん。手元が狂っちゃったぁ」
面白くて仕方ないといった様子でそう謝るクラスメイト。
ちなみに女子。
「謝る相手が違うでしょう。何故もみじさんに謝らないのです」
「はあ? 何言ってるかわかんないんだけど」
これを本気で言ってるのだ。
「あなたが意図的にもみじさんを狙ってボールを投げたのはわかっています。何故そんなつまらないことをするのです?」
「だってぇそいつキモいんだもーん。いまどきお化けが見えるとか言っちゃってさぁ」
「変化なら私も見えますよ。見鬼の初歩ですから」
「はぁ?」
「そもそもお化けという言葉に偏見を持っていますね、あなたは。現在でこそ魂魄も変化も鬼の内ですが元来鬼とは《キ》……つまり死者を指す言葉なのですよ。丑寅としての鬼は、人間が隠ぬ者に対するイメージを鬼という鋳型に押し込めてできたものなのです。変化もまた然り」
「転校生さぁ。何? マニアなわけ? 意味わかんないんだけど」
「わからなくていいんですよ。鬼が見える苦労も知らないあなた方にもみじさんを軽蔑する資格なんてないということです」
「は~ぁ、せっかく友達に入れてあげようと思ってたのに……伴之の味方すんだ?」
「あなたのような醜女を相手にするくらいならもみじさんのような美少女を相手にした方がまだしも有益というものです」
び、美少女って……はう。
「しこめ……?」
意味が分かっていないクラスメイトに、とびきり皮肉げな笑顔を向けて姫百合ちゃんはこう言った。
「ブスってことですよ」
「~~~~~~っ!」
怒りで顔を真っ赤にして言葉を失うクラスメイト。
彼女は手に持っていたバレーボールを姫百合ちゃん目掛けて投げる。
それを片手で軽々と掴みとめる姫百合ちゃん。
とびきり皮肉げな表情のまま姫百合ちゃんが続ける。
「化粧などという無駄な努力をしているみたいですが正に無駄ですね。あなたのような醜女は骨格から整形しなければとてもとても」
「~~~~~~っ!」
図星だったのか、返す言葉も見つからないらしいクラスメイトがついには泣き出してしまった。
周りの取り巻きのクラスメイト達が彼女を取り囲んで慰めはじめる。
そこにまた姫百合ちゃんが爆弾を落とす。
「よかったですね。慰めてくれる友達がいて。でも彼女らも自分よりあなたが醜いと見下しているから慰められるんですよ?」
それは友情にメスを入れる言葉。
クラスメイトたちを疑心暗鬼に落とす皮肉。
とたんに慰めを止めた取り巻き達が気まずげに件のクラスメイトを見る。
件のクラスメイトが「何だよぅ……。そんな目で見るなぁ!」なんて狂ったように癇癪をおこしたのは言うまでもない。
「あのね……姫百合ちゃん……嬉しいけど……言い過ぎ……だよ」
「そうだね」
私を抱きしめたまま姫百合ちゃんが頷く。
「全く我ながら大人げなかったよ」
子供だけどね。