蕪纏(かぶらのまとい)10
「乾」
蕪纏がそう呟いた瞬間、雲一つない満月の夜空から雷がおちた。
「ちぃ!」
エヴァンジェリン=フラクタルが空間を捻じ曲げて雷を屈折させることによって事なきを得る。
雷光、後の轟音。
「すまない、吸血鬼」
「いいええ、鬼切」
そんな二人のやり取りを無視して、
「坤」
蕪纏がそう呟いた瞬間、地が鳴動して大地震が起こる。
「「くっ!」」
バランスを崩したところに現身を持った蕪纏が襲い掛かる。
十二単を着た幼女の姿だ。
髪は濡れ羽色だが瞳が青い。
異国人の血を引いているのはそれだけで見て取れた。
蕪纏は指の先の鋭い爪で姫百合とエヴァンジェリンの首を裂こうとする。
姫百合とエヴァンジェリンは上空に跳ぶことで蕪纏の爪を避けた。
「乾」
また蕪纏がそう呟く。
また雷が落ちる。
同時にエヴァンジェリンが頭上の空間を歪める。
雷は姫百合とエヴァンジェリンを避けて地面を焦がす。
そして落下。
「もらった!」
姫百合が落下の後に童子切安綱を振る。
それを横っ飛びに跳んで避ける蕪纏。
同時に、
「危ない! 鬼切!」
エヴァンジェリンの声と共に、姫百合に向かってグラウンドの照明が倒れてくる。
まともにくらえば魔法防御でもどうにもならない質量だ。
「ちぃ! またか!」
舌打ちしてそれを避ける姫百合。
エヴァンジェリンもまた姫百合についていくようにして倒れこんでくる照明を避けた。
「乾」
満月の夜空から雷が落ちる。
空間を歪めて事なきを得るエヴァンジェリンと姫百合。
「これで二回目ですか」
「そうだね~」
確認しながら倒れてきた巨大な照明を見る姫百合とエヴァンジェリン。
「祟りによるものだと考えていいのかな?」
「だぁね~」
場所は中条小学校のグラウンド。
時は丑三つ時。
蕪纏の発した結界の中で姫百合とエヴァンジェリンは苦戦を強いられていた。
「祟り神は御霊信仰に繋がる。御霊はときに天変地異さえ起こすというがこうまで自在に天地を揺り動かされては……な」
「やってらんないよねぇ」
と、ちゃかすエヴァンジェリン目掛けて蕪纏が疾駆した。
まるでコマ落ちのような速度でエヴァンジェリンに接近すると駆け抜けざまにエヴァンジェリンの首を爪で掻き切った。
「うーん。身体能力も向こうが上。さて、どうしたものか……」
首を切られながら平然とそう悩むエヴァンジェリン。
噴出した血はエヴァンジェリンの首の傷へと戻っていき、そして首の傷は一秒と経たずに癒える。
セカンドヴァンパイアとしてのすさまじい治癒能力だ。
蕪纏は今度は姫百合に襲い掛かった。
刹那の邂逅、振られる爪を勘だけで童子切安綱で切り払う姫百合。
次の瞬間、詩が聞こえた。
「望月の、衣纏いて、夜の闇……」
朗々と響いたのは満月の輝く闇夜の空。
「乙女静かに、舞い降りる也」
その言葉に対して、姫百合と蕪纏は弾かれるように距離をとった。
同時に先ほどまで姫百合と蕪纏がいた空間を仮想聖釘が撃ち込まれ、グラウンドに突き刺さった。
「げ! 仮想聖釘! ということは神威装置の威力使徒!」
「違う、だよ」
満月を背負い闇夜から舞い降りたのは……もみじとプリムラだった。
「もみじ君にメイザースの魔女!」
「二人ともどこに行っていたのですか?」
姫百合の追及に、
「乙女の秘密だよ」
飄々ともみじが答える。
ウィンク付き。
「まぁいいけど、気を付けるようにね、もみじさん。この蕪纏、本体だよ」
「うん。知ってる、だよ」
頷くもみじ。
「ではいくよ。しっ!」
姫百合は童子切安綱を構えると蕪纏目掛けて跳躍する。
そこに、
「乾」
蕪纏が呟く。
姫百合の頭上に落ちた雷は、
「急々に律令の如く木気たる雷、金気をもって剋すなり!」
霊符を帯びた童子切安綱によって切り払われる。
そして姫百合の疾駆は短距離を素早く踏み潰した。
蕪纏目掛けて安綱が振るわれ……ようとして、
「っ!」
姫百合は安綱を止めた。
何故なら、
「もみじさん、どうしてそいつを庇うんだい?」
もみじが蕪纏を庇うようにして姫百合に立ちはだかったからだ。
「攻撃しないで。私、蕪纏と話すことがあるの、だよ」
「何を馬鹿な……!」
「ほう。わらわに話があるとな?」
蕪纏が食いついた。
「蕪先生にも話があるの。蕪纏……呼んでくれる、だよ?」
「そなた、主様の知り合いかえ?」
「うん。担任の先生」
「そうかや。ではついてこい!」
蕪纏はひとっ跳びでグラウンドから校舎際へと移動した。
すさまじい跳躍力だが、それはもみじ達も同じことだった。
ドンと地を蹴ってもみじ達は蕪纏に続く。
「主様。そなたの教え子が呼んでおるぞえ」
そう蕪纏に言われて校舎の陰から蕪教師が出てきた。
波打つパーマのかかったセミロングの髪。
化粧っ気の濃い、しかして人懐っこい顔。
できる女性みたいな典型的なビジネススーツ。
大きな胸。
美人で気さくな大人の女性。
間違いなくもみじ達の担任である蕪教師だった。
「はぁい、もみじちゃん。こんばんは」
ニコリと笑って蕪教師はそんなことを言った。
「どういうことかな、もみじさん?」
「うんと……私もよくはわからないんだけど、蕪纏は蕪先生に憑りついているんだと思う、だよ……」
「そうなのですか蕪先生?」
「ええ、そうよ」
あっさりと認める蕪教師。
「やっぱり。ということは蕪纏は何かしら目的があって人の生気を集めてる、だよ?」
「ほっほ、全部知られているようだわえ」
くつくつと笑う蕪纏。
「如何にも。わらわは主様に求め必要とされているから生気を集めておる所存である」
「うん。多分それは……」
「あっはははははははは……!」
もみじの予想を蕪教師の哄笑が塗りつぶした。
「もみじちゃんに姫百合ちゃん、プリムラちゃんにエヴァンジェリンちゃん……こうも転校生が来るからおかしいと思ったけど、なるほど、鬼を退治するためだったのね」
「それは蕪先生の勘違いだよ。たしかに転入の手続きは意図的だったけどそれは蕪先生を邪魔するためじゃない、だよ」
「ふーん。へえー。それで、これからどうするの?」
「その前に、聞きたいことがあるんだよ。蕪先生は何で蕪纏の主になったの、だよ?」
「小姫を救うためよ」
「小姫って誰だい?」
と尋ねる姫百合達にもみじは蕪小姫の存在を教えた。
蕪先生の妹で心臓の病故に永くないことを。
「蕪纏が人の生気を奪って、その一部を小姫に与えてくれている。そうすることで小姫の寿命が遠ざかる。そういう寸法よ。そのために私は蕪纏を受け入れた」
あっさりと全貌をばらす蕪教師に、カッとなって童子切安綱を構える姫百合。
「貴様の妹一人のために大勢の人間を犠牲にするつもりか! そんなことが通るとでも!」
「思ってるわよ……勿論」
「なっ!」
「人の命の価値は普遍的じゃない。それぞれの人がそれぞれ誰かを誰かより大事にしている。遠くの国で人が死んでも欠伸できる人間が、本の中の登場人物の死に泣くこともある。命の価値は一定じゃない。それは私も同じ」
「…………」
「私は小姫が助かるなら何でもするつもり。そのために誰かを殺さなければならないならそうするまでよ。たとえ何人死のうと知ったことじゃないわよ」
『もしも悪魔が契約を対価に小姫を助けてやるって言ってきたらあなたならどうする? 別に小姫じゃなくてもいい。大切な人が不幸にあって、それを悪魔との契約で助けられるならあなたならどうする?』
過去に蕪教師はそう言った。
あの時の言葉は全て蕪纏との契約のことだったのだともみじは理解する。
「狂っていますわ……」
「狂ってないよ。蕪先生は正常だよ、プリムラちゃん」
「もみじお姉様、本気で言ってますの?」
「うん。だって小姫さんにはそれだけの価値がある、だよ」
「そうよね。もみじちゃんならわかってくれるって信じてた。私、正しいわよね」
「うん。先生は正しい、だよ」
よどみなく言い切るもみじ。
そして、
「でもそれは蕪先生にだけ適用される正しさだよ」
もみじは蕪纏に近づいた。
「お願い、蕪纏。もう人の生気を集めるのは止めて、だよ」
「無理だわえ。主様が意見を変えぬ限り」
「お願い。蕪纏とは戦いたくないの。お願いだから、これ以上罪を重ねないで、だよ」
両手を重ねて握って祈るもみじ。
「どうか……だよ……」
そのもみじの胸に穴が開いた。
「え?」
呟いたのは誰だったか。
蕪纏の腕がもみじの胸を貫通して背中から飛び出していた。
そのもみじの背中から突き出した蕪纏の手に握られているのは心臓。
ドクンドクンと脈打っている新鮮なもみじの心臓だった。
そしてもみじの心臓はグシャッと握りつぶされた。
同時に蕪纏はもみじの胸から腕を引っこ抜くと、今度はもみじの頭部を横に捻って千切りとった。
ぶちぶちと筋繊維と血管と脊髄の千切れる音が聞こえて、無残にももみじの頭部は体から乖離した。
全ては一瞬の内に起った。
こうして頭部も心臓も失って伴之もみじは死んだ。
「ケ、ケケケケケケケケケケケケケケ!」
蕪纏の残虐な笑いが満月の夜空に響いた。




