表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

伴之もみじの日常03

 私は学校の正門をくぐると昇降口ではなく職員用の玄関口に向かって歩く。

 職員用の玄関口で靴箱の中に入れてある上履きをとると、外履きから上履きに履き替える。

 そんな私の背中に声がかかる。

「おはよう、もみじちゃん」

「…………」

 私は無言で振り返る。

 そこにいたのは担任の蕪先生だった。

 波打つパーマのかかったセミロングの髪。

 化粧っ気の濃い、しかして人懐っこい顔。

 できる女性みたいな典型的なビジネススーツ。

 大きな胸。

 美人で気さくな大人の女性。

 そんな私のクラスの担任の蕪先生は、にっこりと私に笑いかけてきた。

「おはようございます先生、だよ」

 私もなるたけ笑顔で朝の挨拶を返す。

 私は挨拶ついでに職員用の下駄箱に自分の靴を収納する。

 そんな私の行動を蕪先生は見咎めたりしない。

 そも、この職員用の下駄箱を私に使うように進言したのが当の蕪先生だからだ。

「よかった。今日もちゃんと学校に来てくれて」

「不登校ってわけにはいきませんし、だよ」

「うんうん。偉いぞ可愛いぞ」

「いえ、当然のことだからです、だよ」

「でも本当に辛くない?」

「もう慣れていますので、だよ」

「弱音はいつでも吐いていいのよ? 先生、待ってるから」

「御心配お掛けします、だよ」

 下駄箱の扉をパタンと閉める私。

「じゃあ先生は職員室に行くから。また後でね」

 ニッコリ笑ってひらひらと手を振ると、蕪先生は手近な階段を上っていった。

 ちなみに中条小学校の職員室は二階にある。

「いい先生ではあるんだけど、だよ」

 とても優しい先生だ。

 そこに疑問をさしはさむ余地はない。

 ただ波風を立てることを嫌う傾向にある。

 しょうがないといえばしょうがない。

 それに先生を責めるのはお門違いだ。

 これは私の問題なのだから。

「はあ……だよ」

 私は一つため息をついて教室を目指した。

 中条小学校の本棟はコの字の形を取っており、北棟と南棟が教室及び特別教室、東棟が職員室や事務室、校長室などの職員用の割り当てとなっている。

 私のクラスである五年三組は北棟の三階だ。

 私は手近な階段を上る。

 階段の途中でクラスメイト達とすれ違う。

 彼ら彼女らは私を見つけるとニヤリと悪意のこもった笑顔を私に放った。

 悪意の集団だ。

「…………」

 反応するのも馬鹿らしいので私は無視を決め込んで彼らのそばを――というのも階段の踊り場いっぱいに悪意の集団は陣取っていたので――通り過ぎようとして、悪意の集団の一人が差し出した足に引っかかって、転んだ。

「っ!」

 倒れまいと床に両手をつく。

 そんな私の必死さがおかしかったのだろう。

 悪意の集団はクスクスと笑いながら階段を下りていった。

「…………」

 私は無言で起き上がると、スカートについたほこりを手ではたいて落とす。

「大丈夫……だよ。こんなことにいちいち構っていられない……だよ」

 うん……。

 大丈夫。

 私は大丈夫。

 歩みを再開する。

 重い足取りで自分のクラスに向かう。

 階段を上って上って、ほどなく自分のクラスにつく。

 クラスの扉を開けて中に入ると、ざわっと波紋のようにクラスメイト達の間にざわめきが走った。

「…………」

 私はそのざわめきを無視して自分の席へと向かう。

 私の席は蕪先生のはからいにより窓際から二番目の最後方というまずまずのポジションだ。

 自分の席に近づいて、


――死ね


 そして私は、それを見た。

 寄せ書きというものがある。

 サイン色紙に中央から放射線状になるようにいろんな言葉を書き連ねていくアレだ。

 それと同じことが私の机にしてあった。

 油性ペンで書いたのだろう。

 ありとあらゆる負の言葉が私の机の中心から放射線状に伸びるように書き連ねてあった。

 死ね。

 死んでしまえ。

 死んだ方がいいと思うよ。

 化け物。

 嘘つき。

 既知外。

 私に対する中傷が私の机に寄せ書きされていた。

 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

 クラス中に書き込みを募ったのだろう。

 あらゆる個性的な文字で私を中傷する言葉が書いてあった。

「……っ!」

 とっさに吐き気に襲われて体をくの字に折り曲げて耐える私。

 そんな私を見てクラスメイト達がクスクス笑う。

 私は何とかこみ上げる吐き気を押さえ込むと、

「……っ……」

 なるべく平静を装いつつそのまま席についた。

 机に書きこまれた数々の中傷を指でなぞる。

「死ね……死ねば……死んだ方がいいよ……死ぬことがおすすめ……か」

 これは……きついなぁ。

 思えば悪意の集団が私に向かって笑いかけてきたのはこのためだったのだろう。

「本当に私が死んだらどうするんだろうね、だよ」

 諸手を上げて万々歳、かな?

「はは」

 もう笑うしかない。

 胸の奥の鼓動はチリチリと痛むけど、不思議と涙は出なかった。

 もう駄目なのだ。

 どうやっても仲間なんて増えない。

 こうやってクラスが一致団結して私を否定する。

 いや、クラスだけじゃない。

 登校中に感じた奇異の視線を思い出す。

 この学校の生徒の誰もが私の味方になってはくれない。

 あるいは陰ながら同情されてはいるのかもしれない。

 サイレントマジョリティではないにしても、沈黙ながら心情的に私に同情している人もいるかもしれない。

 でも声高らかに仲間であってはくれないだろう。

 自分まで排斥されかねないから。一緒くたにいじめの対象になってしまいかねないから。

「ははは」

 絶望。

 それは死に至る病だ。

 あるいは鬼のようにこの負の感情を表に出せればどんなにいいことだろう。

 私が自分の机に書かれた中傷を丁寧に指でなぞっていると、蕪先生が教室に入ってきた。

 朝の会の始まりだ。

「はい、皆、おはようございます」

「「「「「おはようございまーす!」」」」」

 いじめなどなかったかのように快活に元気よく挨拶をするクラスメイト。

 その中に私は含まれていない。

 沈黙する私に気付かず、蕪先生は今日の日程と諸事情を日直に伝え、それからこんなことを言い出した。

「はい、では今日は皆さんに新しいお友達を紹介します」

 新しいお友達とな。

「はい、じゃあ入ってきていいですよ賀茂さん」

「了承しました」

 入ってきたのは絶世と言って言い過ぎることのない美少女だった。

 艶やかな濡れ羽色のロングヘアーに穏やかな瞳。

 小高い鼻に桜色の唇。

 まるで日本人形をそのまま人に昇華したような完成度が転校生の女の子には備わっていた。

 私は息をのんだ。

 それは彼女の美しさのためじゃなかった。

 それは一度経験している。

 彼女が私の知っている人物だったからだ。

 今朝、鬼に襲われた私を助けてくれた女子……それが転校生だった。

 転校生は、鞄を右手で持って、童子切安綱の入っているのだろう鞘袋を左手に持っていた。

 ていうか日本刀なんて小学生が堂々と持っていていいものなんだろうか。

 よく先生に没収されなかったものである。

 蕪先生は黒板に大きく、賀茂姫百合、とチョークで書くと、

「はい、転校生の賀茂姫百合さんです。皆、仲良くするように。じゃあ賀茂さん。自己紹介を」

 蕪先生にそう催促されて、

「賀茂姫百合と申します。至らぬ点もあるでしょうがよろしくご教授願います」

 賀茂姫百合さんはそう端的に自己紹介をした。

 蕪先生はうーんとクラスを見渡した後、

「じゃあ賀茂さんの席は……窓際の最後方、あそこの席でお願いね」

 席を示した。

 先生の指差した先は私の左隣、今まで誰も座っていなかった窓際最後方という絶好のポジションだった。

「了解しました」

 一つ頷くと賀茂姫百合さんは肩で風を切って歩き出す。

 右手に鞄を、左手には日本刀を持ってこちらへと近づいてくる。

 そのまま指示された席につき、鞄を机の上に、日本刀を壁に立てかけて、そこでやっと賀茂姫百合さんはこちらに気付いた。

 賀茂姫百合さんの瞳が少しの驚愕に彩られる。

「あなたは……」

「あはは、今朝はどうも、だよ」

「そうか。あなたのクラスだったのだね」

「伴之もみじっていうんだよ。よろしく姫百合ちゃん」

「姫百合ちゃん……」

「あれ? 馴れ馴れしすぎたかな、だよ?」

「いえ、構わないよ。では私もあなたのことをもみじさんと……」

 呼ばせてもらうよ、と続くはずだったのだろう言葉は結局発せられなかった。

 姫百合ちゃんは私から視線を外し、私の机を凝視していた。

「あ、あはは」

 私は誤魔化し笑いを浮かべつつ両手で机の表面を隠すようにしたが、私の小さな手では到底全てを隠せそうにない。

 私に向けられた悪意の数々が姫百合ちゃんにばれてしまった。

「もみじさん……その悪戯書きは……」

「あはは、そういうことだから。私と仲良くしない方がいいかも、だよ」

 悲しみはない。

 遅かれ早かれこんなことはいずればれる。

 一日もあれば十分だ。

 しかし姫百合ちゃんの反応は違った。

 彼女は何でもなさげに私の方へと再度視線を戻すと、

「臆病者は数の力を喜ぶ。しかし勇敢なる精神をもつ者は一人で戦うことを誇りとする。勇敢なる精神をもつ者よ。けしてあなたの勇気を恥じないでほしい」

 そう言った。

「え、ええ……?」

 困惑する私を余所に、姫百合ちゃんは鞄から教科書を取り出して机の引き出しに入れる作業を開始した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ