伴之もみじの日常02
中条小学校は凶都の中心にほど近い丘陵地の頂上に位置する小学校だ。
私の家は手狭な平地にあるものだから緩やかな上り坂が通学路となる。
そんなこんなで私は今日も坂道を上る。
太陽は東。
風は微風。
私は鞄もランドセルも持っていない。
手ぶらだ。
私の場合鞄を持っていてもしょうがないので手ぶらに甘んじている。
道行くのは私だけでなく、だいたい同い年くらいの、同じ中条小学校の制服を着た男子や女子もゆったりとした上り坂を上っていく。
「もろともに、あはれと思へ、山桜、花よりほかに、知る人もなし……だよ」
そんな独り言。
まぁ理解者などいらないというのが私の方針なのだけど。
それにそこまで悲観することもない。
「お兄ちゃんもいるし……だよ」
そう独りごちていると、半透明のお婆さんに挨拶された。
「おはよう、もみじちゃん」
私も足を止めてお辞儀をする。
「おはようございます、だよ。田中のお婆ちゃん」
「今日もいい天気ねぇ」
「そうですね、だよ」
言ってニッコリと笑う。
ふと、奇異の視線が私に集まる。
私と同じく通学路を行く同じ中条小学校の生徒の視線だ。
私はそれを認識した上で、幽霊のお婆ちゃんと話す。
「ここ最近はずっと晴れてるわねぇ」
「そうですね、だよ。じゃあ私は学校にいかなきゃ、だよ」
「あら、そーお? 気を付けてね」
ひらひらと手を振る幽霊のお婆ちゃん。
私も手を振り返しながら再度登校を続ける。
そんな私を不審げに見つめながらヒソヒソと噂する中条小学校の生徒たち。
噂の内容を要約するとこういうことだ。
つまり、
「化け物」
「嘘つき」
そんな類の中傷。
前者だろうと後者だろうと解釈の違いに興味はない。
ただ、子どもは異端に敏感だ。
異端でいるということは「攻撃していいですよ」と公言するようなものだ。
まぁだからなんだって話にしかならないんだけど。
幽霊が見えない人たちに対してどういった釈明も無駄だということは昔からの経験で散々思い知らされた。
今更どうこうするつもりもない。
私はまた学校に向かって歩き出す。
太陽が昇って桜が散って風が吹いて、それだけでいいということにしておきたい。
歩き出した私が意図せず近づいた同じ中条小学校の生徒が、
「ひっ……!」
と悲鳴をあげかけて、怯えたような表情になり、走って離れていく。
「…………」
無言で後頭部を掻く私。
あの反応からして先ほどの生徒は私を「嘘つき」ではなく「化け物」の類として見ていたのだろう。
傷つく心とは裏腹に理性がそう判断する。
「でも……傷つくなぁ、だよ」
それはどうしようもないこと。
見鬼の能力を持って生まれた私や兄さんは世界に弾かれながら生きるしかない。
止まった足を動かして通学路を進む。
次の瞬間、
……ズブリ。
なんて、まるで泥濘に身を浸したような違和感が私を包む。
それも一瞬のこと、次にゾクリと背筋に悪寒が走る。
先ほどまでの春爛漫な陽気はどこへやら、いつのまにか空はのっぺりとした灰色に。
それに伴って周囲の風景もオブジェクトは変わらずともテクスチャが変わった。
全体的に仄暗い雰囲気だ。
私はこの現象を知っていた。
「結界……っ!」
思わず呟く。
そう。
これは結界だ。
中と外とを区切るもの。
現実から紙一重ずれて閉鎖された異空間。
見れば先ほどまで周囲にいた私と同じく登校していた中条小学校の生徒は誰一人いなくなっていた。
いや、正確に言えばいなくなったのは私の方だろう。
結界に取り込まれた私をのぞいて、結界の外では何ら変わらない風景が広がっているはずだ。
「っ!」
私は走り出した。
学校に向かって。
展開されている結界の半径がどれくらいかはわからないけどとりあえず走る以外の選択肢は私にはない。
どうにかして出口を探さないと。
私はお兄ちゃんからもらった退魔の札を手に持って走る。
しかし、
「み、見つけたよぅ……」
私の行く手を阻むようにそいつは現れた。
そいつは、手入れをしていない長くボサボサの髪に白衣を纏った不気味な人型だった。
顔には般若のお面。
手には尖った爪。
皮と骨しかないのか異様に細身の体であって猫背ではあるけどかろうじて立ってはいる。
「お、鬼……」
うわずった声になってしまったのはしょうがないことだったろう。
恐怖に嫌な汗をかいてしまう。
脈拍が荒れる。
体が固まって動かない。
動け私の足!
動……かない。
「見つけたよぅ……」
フラリとよろけるように一歩踏み出す鬼。
そして跳躍。
こちらに向かって襲い掛かってくる鬼。
私は退魔の札を前面に突きだすだけで精一杯だった。
艮と鈍い音がして退魔の力の前に弾かれる鬼。
「っ!」
それが契機だった。
足の震えが止まる。
弾かれて二転三転する鬼から視線を外さないまま、私は走り出した。
目的は学校……それは変わらず。
倒れている鬼と交錯するように前方へとひた走る私。
その後は後方も見ずに私はひたすら走った。
この仄暗い空間がどこまで続いているのかもわからないことには胃が痛くなるが、そんな事情にかまけている場合ではない。
本物の鬼ごっこだ。
捕まったら私まで鬼にされてしまうあたり徹底している。
「ひっ……はっ……」
息も切れ切れに走る。
瞬間、私はなんとはなしに後ろを振り返った。
そこには、
「御器を見つけたよぅ……」
体勢を整えて今にも私に襲い掛かろうとする鬼がいた。
鬼が跳躍する。
その速さたるや空を駆ける風のようだ。
小学五年生の足では到底振り切れない速度だった。
ああ、死にたくないなぁ。
そんなことを呆然と考えながらみるみる近づく鬼を傍観する。
次の瞬間、
「しっ!」
私の視界に銀の軌跡が走った。
金属同士を打ち鳴らしたような音がしたかと思うと、私に向かって振りかざされた鬼の爪が勢いによって弾かれた。
黒の帳がバサリと広がる。
それが人の御髪だと理解したのは半瞬遅れてのことだった。
「結界の熾りに反応して来てみれば目的の鬼に出会うとは。なんとも運がいい」
女子の後姿は凛としていた。
こちらを振り返る女子。
「っ!」
私は息をのんだ。
それほどに目の前の女子の姿は美しかった。
艶やかな濡れ羽色のロングヘアーに穏やかな瞳。
小高い鼻に桜色の唇。
まるで日本人形をそのまま人に昇華したような完成度が目の前の女子には備わっていた。
そして着ている服は巫女服にも似た衣装。
神職に携わる人なのだろうか。
なにより目を引いたのは女子が両手に持っている日本刀だ。
鈍く鉄色に輝く日本刀を女子は平然と持っていた。
先ほど鬼の爪を弾いたのもこの日本刀だったのだろう。
そして私の視界に走った銀の軌跡も。
何故と、問うまでもない。
私は目の前の女子は知らないけど、彼女が何の役割なのかは経験則から見当がついた。
女子が口を開く。
「あなた……逃げなさい。ここは私が受け持つ」
そんな女子の言葉に、私が答えるより早く、速く、
「見つけたよぅ……」
一旦弾かれた鬼が再度私と女子へと襲い掛かる。
女子は余裕綽々に軽やかに半回転。
黒い長髪を波打たせながら鬼と対峙する。
「見つけたとはこれまた。それはこっちのセリフだ」
正眼に日本刀を構える女子。
「人を襲う鬼は成敗されるがその定め。この童子切安綱のさびと成れ」
女子はそう呟いて鬼の爪を躱すと、鬼の頭部目掛けて突きを繰り出す。
鬼はそれを頭部を傾けることで避けると再度爪を振りかざして女子を切り裂かんとする。
それを後方に跳んで避ける女子。
「見つ……けた……よぅ……」
呟いた鬼は、何故か私を見た気がした。
「っ!」
鬼に見られたという恐怖で後ずさる私。
見つけた?
誰を?
私を?
「…………」
しかし鬼はそれ以上何も言わず、後方に跳んで、跳んで、跳んで私たちの視界から消えた。
「待っ……!」
日本刀を持った女子は鬼を追おうとして、それから私を見て、どんな判断を下したのか鬼を追いかけることはしなかった。
後に残されたのは私と女子。
「…………」
女子は私を無視して私の後方へと歩くと、床に散らばった鞘と鞘袋を拾って日本刀を収納する。
同時に、
「……っ!」
私の驚愕とともに女子の巫女服が制服へと変わり、鬼の結界が崩れていった。
仄暗い空間に太陽が戻り、辺りに活気が戻る。
大声で笑いながら走って登校する男子たちやクスクス笑いあいながらゆっくり歩いて登校する女子たちがいつのまにか風景に現れる。
道路には自動車が走る。
鳥の声が聞こえる。
風が私の髪を撫ぜる。
全ては結界に取り込まれる前に戻っていた。
件の日本刀の女子が童子切安綱の入った鞘袋を肩に引っかけて、歩道に落ちていた自身の物だろう鞄を拾って、それから私を見る。
女子がまっすぐ私を見つめて口を開く。
「あなた……鬼が見えるのですね」
「……え?」
「鬼が見えるのですね」
「え、ええと……うん。そう……だよ」
「そう。鬼は恨み辛み……怨念の塊。けれど一般人には見えないがゆえに、その怨念を誰にもぶつけられずに孤独を重ねる。そして鬼が見える人間に会うやその怨念をぶつけようとする」
「…………」
「気を付けることです」
女子は私から視線を外すと学校へ向かってだろう歩きだした。
私はあわてて呼び止める。
「あ、あの……!」
「……なに?」
立ち止って振り返って興味無さげな視線をこちらに向ける女子。
そんな視線にひるみながら、それでも私は勇気を出して言う。
「た、助けてくれてありがとう、だよ」
「礼には及ばない。鬼を退治するのは鬼切の役目だから」
「でも、命の恩人だよ。ありがとう、だよ」
「感謝だけ受け取っておきましょう」
今度こそ日本刀の女子は振り返らずに歩き出した。
「…………」
私はしばし呆然として、凛とした件の女子の後姿を眺めていた。




