(9)君を想うと:直人side
芽衣を庇って足首を捻挫した彼女を医務室に運び、胸の奥がザワザワしていたのを感じたその日の夜。
俺はどうにもこうにも落ちつかなくなって、芽衣に電話をしていた。
「頼む、俺に協力してくれ!」
彼女の事が、頭から離れないのだ。
強がっている態度や、はにかんだ笑顔。落ち着いた声と静かな雰囲気。そして、大人びた雰囲気に反して、驚いた顔があどけなくて可愛かったこと。
何がというか、どれかというか、とにかく、彼女のすべてが気になって仕方ないのだ。
頼みの綱は、イトコの芽衣しかいない。今のところ、彼女に関する情報を握っているのは、俺の知り合いの中でコイツしかいない。
ところが、
『“お前に助けてもらう事態なんて、そうそう起こらねぇよ”と仰ったのは、どこのどなただったかしらぁ?』
電話口に出るなり、完全に面白がっている声が返ってきた。
「悪かった。それは撤回する。だから、俺に協力しろ!」
『はぁ~?それが人に物を頼む態度~?直人君は私より社会人としての経験があるはずなのに、そんな事も分かってないの~?』
意地悪く笑う芽衣の顔がありありと目に浮かぶ。電話から聞こえてくる声は、俺の事を面白がっている様子しか感じられない。
俺は思わず心の中で舌打ちした。しかし、他に頼れる人間がいないのだ。
スッと息を吸って、苦虫を噛み潰した顔で口を開いた。
「大変失礼いたしました。お詫びに好きなだけプリンを贈呈しますので、どうかご協力をお願いいたします」
歯噛みしたいほどの口惜しさの中、俺は芽衣に縋る。
すると必死な俺の心根が伝わったのか、プリンにつられたのか(おそらく後者)、芽衣が嬉しそうに返してきた。
『うん、いいよ。やっぱり、直人君は小泉さんの事を気に入ってたんだね』
コロリと態度を変え、芽衣は無邪気ないつもの声に戻っている。そんな芽衣のセリフに、ふと訊きかえした。
「やっぱりって何だよ?」
すると、明るい笑い声が響く。
『あはは、自覚なかったんだ。あんなに小泉さんの事をじっと見つめていたくせに』
子供っぽくて、天真爛漫に振る舞っているように見える芽衣だが、実は、コイツの観察眼は侮れない。芽衣の目と感覚は驚くほどに鋭いところがあるので、俺よりも俺の気持ちに先に気が付いていたことは悔しいが、反論することはしなかった。
押し黙った俺に、芽衣の方から話しかけてくる。
『それで、私はどうしたらいいの?』
「とりあえず、彼女に関して知っていることを全部教えてくれ」
そう言って聞きだしたのは、彼女のフルネームと家族構成、所属部署。その程度であったけれど、何も知らないよりはマシだ。詳しいことは、これから知っていけばいいのだ。
その後も、芽衣の目から見た彼女の人物像を大人しく聞く。
『私もまだ小泉さんの事を良く知ってるわけじゃないけど、恋愛に関して臆病な人だと思う。だから、強引に迫るのは逆効果じゃないかな』
芽衣の言葉に深く頷く。確かに他人に対して遠慮がちで、一歩引いて接する彼女の態度は、俺でもすぐに分かった。
「そうか。じゃあ、少しずつ仲良くなるしかないな」
『そうだね。でも、直人君が一人で声を掛けると、変に警戒してくると思うよ。私が間に入るから、それで徐々に距離を詰めていく方がいいかも』
それが無難だろう。はじめに警戒心を抱かせてしまうと、その先のアプローチなんて無駄撃ちに終わりかねない。
芽衣の言葉に頷いていると、
『で?直人君は、小泉さんのどこが好きになったの?』
と、切り出された。
一瞬言葉に詰まる俺。
「……なんでお前にそんな事を話さなくちゃなんねぇんだよ」
そっけなく付き返すと、
『あらぁ?協力者の私に、そんな口を利いていいのかしらぁ?』
再び意地悪く笑う芽衣。ここでコイツの機嫌を損ねる訳にはいかない俺は、渋々ながら口を開いた。
「よく分かんないけど、あの子の事を甘やかしてやりたいって思ったんだ」
感じたままに教えてやると、芽衣が電話の向こうで感心している。
『へぇ、直人君。けっこう小泉さんの事を分かってるんだね』
「どういうことだ?」
『さっきも言ったけど、小泉さんは下に弟さんと妹さんが何人もいるお姉さんなの。だから、いつでもしっかりしなくちゃっていう気持ちが強くて、甘えたくても甘えられない人じゃないかなぁ』
コイツの観察眼は本当に恐ろしい。だからこそ、頼りになる。
「それなら、彼女を甘やかす作戦で行けばいいんだな」
『うん。だけど、ほどほどにだよ。まだ顔見知り程度でしかないんだから、絶対に強引に迫ったらダメだからね!』
くどいほどに釘を刺されば、
「分かった、気を付ける」
と答えるしかない。俺の想いを実らせるためには、芽衣の言葉に従うほうが失敗はないだろう。
ところが、素直に答えたにもかかわらず、芽衣は浮かない声を出した。
『私もそれとなく小泉さんの事は気にして、さりげなく直人君を売り込むようにするけど。でも、小泉さんが自分から恋人を作る気にならないと、ちょっと難しいなぁ』
「もしかして、彼女は恋愛したくないとか言ってたのか?」
そうだとしたら、望みが薄くなる。諦めるつもりはないがな。
『あ、違う違う。そんな事は言ってないよ。ただね、積極的に恋人を作るつもりはなさそうだから。まぁ、当分の間は仕事に慣れることで必死だろうし』
それは俺にも身に覚えがある。新入社員として、まずは職場の雰囲気と仕事に慣れることが最優先の必須事項だ。
「それは仕方ないさ。それなら、そんな彼女を労うってことで、食事に連れ出せばいい」
俺の提案に、芽衣も同意した。
『そうだね。小泉さんはほっそりしてるけど、食べることは好きだって言ってたから。じょあ、小泉さんが出勤したら、私もちょっとずつ動くからね』
「なんだよ。休んでいる間も、電話でそれとなく俺の話題を出せって」
と不貞腐れた口調で言えば、呆れまくったため息が聞こえてくる。
『あのねぇ。下手に直人君の話題を出したら、捻挫の話になるでしょ。そしたら、私だって気まずいし。小泉さんだって好きで会社を休んでいるわけじゃないんだから、同期に遅れをとるって思って、下手に焦らすことになるでしょうが』
そこまで言って、また深いため息をつく芽衣。
『とにかく、焦ったらダメ。いい、分かった?ホント、気を付けてよ』
「分かった」
神妙に返事をすれば、芽衣がクスッと笑った。
『さてと、そろそろ寝ようかな。明日、小泉さんに電話して、具合を聞いてみる』
「頼むよ。色々ありがとうな。これからもよろしく頼む」
何だかんだ言っても、俺に協力的な芽衣はありがたくて心強い存在だ。この電話と、これから先の事で礼を告げれば、
『直人君の恋が実ることを、イトコとして願ってるからね~。おやすみなさい』
朗らかな声で応援される。
「おやすみ」
互いに挨拶を交わして通話を切った。
ベッドへあおむけに倒れ込み、大きく息を吐く。
「早く、会いたいな……」
今日目にした彼女の表情を思い浮かべ、俺はしみじみ呟いたのだった。