(6)「さよなら」から始まる
「………………え?」
たっぷりすぎるほど間を取り、私は間抜けな一言を漏らした。
―――何、今の。幻聴?
「す、駿河さん?」
おずおずと彼の名前を呼べば更に強く抱きしめられ、背の高い彼が私の髪に頬を寄せてきた。
「君が好きなんだ。初めて会った時から気になっていて、それからはずっと忘れられなくて。君が休んでいた間、心配でずっとやきもきしていたよ」
再び幻聴が炸裂する。
いや幻聴ではなくて、これは夢ではないだろうか。そうでなくては、こんなにも自分に都合のいい展開になるはずがない。
私はどうにか腕を動かし、自分の頬を抓ってみる。
……痛かった。
と、なれば、事態はますます混乱を極める。頭が考えることを放棄し、ただ、呆然と立ち尽くす。
そんな私を抱き締めたまま、駿河さんは話を再開した。
「いつ言おうか、ずっと悩んでいたんだ。いざ君に告白しようとしても、断られたらどうしようって怖気づいちまって。それで芽衣に頼んで、時間をかけて君と仲良くなって、とにかく君の信頼を得てから告白しようって。なのに、まさか君が俺を好きだったなんて。それを聞いたら居ても立ってもいられなくなって、それで、必死で君を探した」
彼の言葉がどうしても理解できない。今の彼の話を聞くと、私の事が好きだというように捉えられるのだが?
「ちょ、ちょっと待ってください!駿河さんって、芽衣と付き合っているんですよね⁈」
体はいまだに彼の拘束の中にあるので、首を捻って背後を振り返った。
私の視線の先に彼の瞳があり、その瞳が大きく見開かれている。
「………………え?」
今度は彼が呆けたような一言を返してきた。
「“え?”じゃないです!芽衣の恋人であるあなたが、どうして私に告白するつもりだったんですか!意味が分かりません!」
多大な戸惑いと若干の怒りを含めた視線で彼を見遣れば、
「俺と芽衣は付き合ってないし、恋人でもないけど」
大きく開かれた駿河さんの瞳が、今度は虚を突かれたように不思議そうな色を浮かべた。
「………………え?」
またしても私は呆けた一言を返す。
「芽衣と、付き合ってないし、恋人でもない?」
呆気にとられた私に、彼は優しく微笑んできた。
「俺たち、イトコなんだ。近所に住んでいるから小さな頃からずっと一緒で、兄妹みたいに育ってきて。物の考え方とか食べ物の好みとか似てるから、アイツとはすごく気が合うんだよ。お互いそれが居心地良くて、いつも一緒にツルんでる。だけど、本当に恋人なんかじゃないんだ。何だ、アイツ。今まで言ってなかったのか?」
その説明に愕然とした。
―――何、それ。全部、私の勘違い……ってこと?
「そんな……、そんな、まさか……」
駿河さん本人に言われても、頭がそれを即座に理解できない。
脳が飽和状態になり、足から力が抜けていった。クタリとへたり込みそうになる私をギュッと抱きしめなおし、駿河さんが私の顔に頬ずりしてきた。
「だから、俺の告白を受け入れてよ。君の告白はもう、取り消さないからね」
普段は穏やかな声が、今は明るく弾んでいる。やたら楽しそうなその声に、私は現実に引き戻された。
「で、でも、私っ、もうすぐ異動になって!だ、だから、もう、駿河さんとは会えなくなるんです!」
彼が私を好きだと言ってくれたことは嬉しいけれど、私には遠距離恋愛をするほどの強さはない。
いつかダメになってしまうなら、最初から始めなければいい。
私は泣きだしそうになるのを堪えて、そう告げる。
なのに。
「そんなことない、簡単に会えるよ」
と、さっきと同じような弾む口調が返ってきた。
「そんなことあります!異動って言っても、ただの部署移動ではないんですよ!私、北陸にある支社に行くんですよ!」
この本社からその支社までは、いくつもの県を超えていかなくてはならない。その距離は簡単に越えられるものではないのだ。
ところが。
「うん、知ってる」
またしても明るい口調が返ってきた。しかも、『知ってる』とは?
「………………え?」
今日だけで、何度この間抜けな一言を発しただろうか。
いやいや、そんな事を気にするよりも、どうして駿河さんが私の移動先を知っているかということを気にするべきなのだと、内心自分で自分に突っ込んだその時、
「俺もそこに行くから」
と、あっさり言われた。
「………………え?」
あまり大きくはない私の目が、極限まで見開かれる。
「駿河さんも、北陸支社に行くんですか⁉」
「うん。だから、会えるよ。いつでも、簡単に」
彼は立ち尽くす私を解放して、正面に回ってきた。そして大きな手で私の手を取る。
「ねぇ、言って。君の気持ちは芽衣から聞いたけど、やっぱり直接言って欲しい」
私の右手を両手ですっぽりと包み込み、自分の胸へと引き寄せる駿河さん。ジッとこちらを見つめて、私の言葉を待っている。
「そ、それは……」
こんな風に期待されると、言いにくいではないか。
私は俯いて、「ええと……、その……」と繰り返し続ける。
すると駿河さんは私の右手を口元に引き上げ、自分の手からはみ出している指先にチュッと音を立ててキスをした。
突然の事に驚いて思わず顔を上げてしまえば、バッチリと目が合ってしまった。
「君の言葉で、君の気持ちを聞かせてほしい」
優しく、甘く、そして真っ直ぐに向かってくる視線に、私は戸惑い続ける。
「私……、私は……」
絶対に知られたくなかった気持ちは、なかなか心の奥から出てきてくれない。伝えようとしても喉に閊えてしまって、それ以上は言葉になってくれない。
「わ、私は……、わ、たし、は……」
言葉の代わりに涙が出てきた。これではますます上手く言えない。
それでも駿河さんは辛抱強く私の言葉を待っている。
ヒクリとしゃくりあげ、私は懸命に口を開いた。
「わた、私は……、あ、あなたが、好きです……。駿河さんが、好き、です……」
やっとのことで言い終えると、正面からきつく抱きしめられる。
「良く出来ました」
優しい声でそう言った駿河さんはクスリと笑い、私の額に唇を押し当ててきて、
「ふふっ、これで晴れて恋人同士だ。だから、“さよなら”なんかじゃなくて、“これからよろしく”だね」
と、心底嬉しそうな声で言ったのだった。