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(5)最低な私に、ありえない言葉

 ところが、私が歩き出すより早く、芽衣が私の腕を掴む。

「桐子!行かないで!このままだったら、私はあなたに申し訳が立たなくて、友達じゃいられなくなる!」

「……放して、お願いだから」

 顔と声と腕で私に縋りついてくる芽衣に、私は声を押し殺して低く告げる。今にもこみ上げて口から溢れそうになっている黒い感情が私の大事な友を傷つけてしまう前に、早くここから立ち去らなくては。

 余計な事を言葉にしたくなくて、唇を必死で噛みしめる。

 それなのに芽衣は、

「どうして、私に何も話してくれないの!私たち、友達でしょ?ねぇ、桐子、何か言ってよ!私は、どうしたらいいの⁉どうしたら、あなたに償えるの⁉」

 尚も私を追いこんでくる。

 友達だから、大事な親友だからこそ言えないことがあるのだ。

 だが、あまりにしつこい彼女に、とうとう必死で押さえ込んでいた気持ちが爆発してしまった。

 パッと振り返り、芽衣に言い放つ。

「私、駿河さんが好きなの」

 それを聞いて、彼女の丸い目が一層丸くなった。

「……え?」

 唖然とした顔で私を見てくる芽衣に、私は更に言葉を続ける。

「出来ることなら何でもするって言ったわよね?だったら、駿河さんを私に頂戴」

「……桐子?それ、本気なの?」

 私が何を言っているのか信じられないといった顔で、芽衣が私を見遣っている。放心している彼女の手から力が抜け、ゆっくりと私の腕を開放した。

 そんな彼女に微笑みかける。

「償ってくれるんでしょう?この怪我の代償を」

 そう言って私は左足を軽く前に出し、不自由な足首を芽衣に見せ付ける。そこには包帯が巻かれているだけで、一見すれば大したことがないように見えるだろう。

 だが、ここに来るまで私が歩きづらそうにしている様子を間近で見ていた芽衣には、十分大層な状態だ。

 何も言わず、ただジッと私の足首を見ている彼女に、

「あなたの気持ちが決まったら、いつでも連絡してね。じゃ」

 言葉をなくした芽衣を一人残して、私はゆっくりとその場を立ち去った。


 どうせ私は、もうすぐこの会社を辞めるのだ。そのことはまだ部長と直属の上司しか知らない。理由は祖母の介護の為。正式には退職などではなく、支社への転属なのだが。

 雪深い地域で一人暮らししている祖母は施設に入ることを極端に嫌がり、高齢者にとっては不便な日本家屋で暮らしていた。

 近くには祖母の面倒を見られるような親戚はおらず、誰かがそのうちに面倒を見に行かなくてはと話し合っていた矢先、祖母が風邪をこじらせたのだ。その時は近所の人が回覧板を届けに来た際に祖母の異変に気付き、早い段階で病院に運ばれたので事なきを得た。

 だが、今後のためにも、やはり誰かが祖母のそばにいなくては。

 その話を家族そろってお盆に帰省した際に聞き、その時から私は少しずつ考えていた。

 そして今の自分の状況が苦しくなり、いっそのこと芽衣と駿河さんから離れてしまおうと思い至り、上司に相談したのだった。

 最初は祖母の体調が完全に安定するまでの長期休暇では社に迷惑をかけると思い、悩んだ末に辞職も考えた。

 しかし、上司は『辞めるのではなく、地元の支社に異動ということにしたらどうだ?支社の人事部は万年人手不足だから、小泉君の手が必要なはずだ』と、部長に取り計らってくれたのだ。

 そして、久しぶりに出社した今日、内々にではあるが、異動の辞令が下ったのである。


 その異動の件もあり、間もなく芽衣とは顔を合わせることもないのだからと、思い切って言ってやった。

 もちろん、本当に駿河さんを芽衣から奪ってやろうなんてことは望んでいない。ちょっとした意地悪を言ってやりたかっただけだ。

 だって、彼の隣で笑う芽衣はすごく楽しそうだったから。

 私は聖人君子なんかじゃない。もちろん悪魔でもないけれど、好きな人の隣で幸せそうに微笑む親友が、ほんのちょっとだけ悔しかったのだ。

 私の申し出がかなり衝撃だったのか、芽衣は一向に追いかけてくることもない。

 休憩室の入り口の横で、しばらく影を潜めるようにして立っていた私は振り返ることなく、

「ごめんね」

 と、大事な友達に向けて、届かない謝罪を呟いた。




 部署に戻って自分の荷物を手に持ち、一人で社員通用口へと向かう。

 夕暮れが過ぎ、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。何だかそのまま帰る気になれず、通用口を抜けた私は社屋裏の空き地に向かった。

 そこは昼間であれば野良猫がたむろする場所で、猫好きの社員たちが交代で面倒を見ている。だがこんなに寒くなってくると、野良猫たちの姿もなく、世話をする社員たちの姿もない。

 一人きりの空間で、私は建物に切り取られた空を見上げた。

「芽衣、意地悪しちゃってごめんね」

 彼女には迷惑でしかなかった八つ当たりのおかげで、駿河さんへの気持ちも吹っ切れた。

 私みたいな嫌な人、彼が好きになるはずなんてないのだ。だから、これまで心の奥にしまい込んでいた気持ちも、すっぱり捨ててしまうべきなのだ。

 私はスマホを取り出し、メールを打ち込む。

『さっきの話は嘘。いつまでも駿河さんとお幸せに』

 その文章を見て、私はホッとした気持ちになっていた。


―――やっと、解放される。苦しかった片想いから、ようやく私は私を解放することが出来るんだ。

  

 胸の奥で燻り続けていた本当の気持ちは、あの二人に知らせてはいけない。けして知られてはいけない。

 だから冗談で誤魔化してしまえば、それ以上は追求されることもないだろう。


 メールを送る前に、大好きだった人の顔を思い浮かべる。穏やかな雰囲気を纏った、笑顔が優しいあの人の顏を。

 その顔を脳裏にしっかりと思い浮かべ、そして、無理やりかき消す。

「さよなら……」

 一言呟いて、私は思いのほか晴れ晴れとした気持ちで送信アイコンに指をかざした。



「その“さよなら”って、誰に向けて言ったの?」



 自分以外誰もいないはずの空間に、自分以外の声が響く。

 ハッと振り返れば、駿河さんが息を切らして立っていた。いつもはきっちりと着こなしているスーツがやや崩れ、髪もネクタイも乱れている。


 いったい、どうしてそんな格好に?

 そんなことより、どうして駿河さんがここに?


 いや、彼がここにいる理由なんてどうでもいい。早く、ここから立ち去らなくては。今の私は、とてもじゃないが駿河さんに会わせる顏がないのだから。

 幸いにも、この空地には大きな歩道に通じる小路がある。わざわざ駿河さんのいる方へ引き戻さなくとも、ここから逃げ出すことが出来るのだ。

 私は短く息を吸うと、一気に走り出す。


 しかし、足の悪い私が小道に到達する前に、駿河さんが私を捕まえてしまった。

 バッグを持っていない左腕を、駿河さんの大きな手が掴む。それを振り払うように身を捩るけれど、その程度では外れないほど、彼の手がしっかりと私の腕を捕えていた。

「は、放してください!」

 早く芽衣に事実を教えなくては。このままだと、私は本当に友達を傷つけてしまう。そして、そんな自分が許せなくなってしまう。

「お話があるなら、後日改めて伺います!ですから、どうか放してください!」

 彼の手から腕を引き抜こうとしても腕の力は敵うはずもないし、踏ん張りがきく右足だけでは、成人男子の駿河さんにあらがえるはずもない。

 それでも必死に腕を振り、一刻も早くこの場から、何より駿河さんから逃げ出そうと躍起になっていた。

「お願いです、放して!」

「だめだ、放さない。きちんと話が済むまで、絶対に放さない」

「話なんてありません!」


―――これ以上、私を惨めな女にしないで!あなたを諦めさせて!


 肩の関節が外れることを覚悟して掴まれた腕を強引に取り戻そうとするが、駿河さんは掴んだ私の腕を一気に自分へと引き寄せ、そして後ろから私を抱きしめてきた。

 背中が彼の胸にぶつかった瞬間、逞しい腕が瞬時に私を閉じ込める。

「行くな!」

 あまりにも切羽詰った彼の声に私はビクンと肩を跳ねさせ、それきり動けなくなった。

「頼むから……、俺の話を聞いてくれ……」

 そう言った駿河さんが、私の左肩に額を押し付けてくる。

 今にも泣き出しそうな彼の声に、私は仕方なく体の力を抜いて逃走をやめることにした。

 体の力を抜いたのに、それでも駿河さんは私を抱き締める腕を解くことはなく、そのままの状態で話し出す。

「芽衣からついさっき連絡もらって、それで、その……、君が言い出した話を聞いたんだ」

 私は苦い息を呑んだ。


―――ああ、間に合わなかった。


 まさかこんなに早く彼の耳に入るとは思っていなかった。私と芽衣の間だけで、くだらない冗談にするはずだったのに。

 彼女に真実を告げるタイミングを逃したせいで、優しい芽衣は自分の気持ちを押し殺し、私の卑怯な申し出を優先させてしまったのだ。

 こんな卑怯者な私の八つ当たりじみたお願いなんて、聞き流してくれればよかったのだ。


―――ごめんね、芽衣……。


 そして、私の背後にいる駿河さんに対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 駿河さんはこんな話を聞かされて迷惑だろう。自分の恋人の友人が自分を好きだなんて聞かされたら、迷惑以外の何物でもない。しかも、三人とも同じ会社に勤務しているのだから、迷惑の極致だ。

 彼に迷惑をかけるつもりなんて、本当にこれっぽっちもなかった。自分の気持ちを彼に知らせるつもりなんて、微塵もなかった。

 私は呆然とする自分を叱咤し、震える唇を動かす。

「あ、あの……、そ、その話だったら……」


―――まったくの冗談なんです。


 と、言おうとしたのに。



「嬉しい、俺も君が好きだから」

 優しい声で囁かれた。


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