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 父の名を出されては大人しく従う他ない私は繰尾家に二日滞在し、屋敷へと戻る事叶ったのは三日目の早朝。

 それまでの滞在で、私はみっともなくも手当たり次第に侍従侍女へ尋ねていた。

 あの女に、方鐸の分家に何かしたのか。これから従家が手を加える事もないのだろうか。

 言葉こそ変えても、同じ内容を繰り返した。

 当然、竜瑙の品に手を加え着飾り、竜瑙の前に現れた者共に責がある。だが、成敗したのならばともかくも騒いだ挙げ句押されて頭を打ち気絶した当主の子というのは外聞が悪い。あまつさえ公の場である事も忘れ激高した従家が相手をどうにかしたとあっては、私が情けなさ過ぎるではないか。

 従家が主家を守るのは道理だが、主とて己を守る多少の術は身に付けておくべきという六華の秘かな仕来りから私だって習っていたのだ。手を抜く事なく鍛錬を行っていた事も全く無意味だったと知れた訳だが、従家が大きく動けば動くほど噂の枝葉が伸びる上、根深くなる。

 竜瑙の恥として名を残すなど、考えただけでも耐えられない。

 集の者達から「存じません」との謝罪を含め答えが返ってきていたのが、根気強く問いを繰り返す私の様子に「何事も必ず止めます」と誓いに変わるだけの惨めな収穫。若干顔を痙攣させた者もいたが、躾ける余力が今はなかった。この上、嘘を吐いていたというなら――――絶対に許さない。

 事実を教えてくれるだろう方鐸の弟君方に会う事はなかった。代わりに一の弟君の侍従が状態を確かめに来たので尋ねると方鐸家が処分を検討している事は分かったが、竜瑙については言葉を濁された。

 曰く、他華が口にすべきではない、竜瑙の者に尋ねよ、と。竜瑙では答えが得られないから、恥を忍んで方鐸に尋ねたのだと訴えてみようかと思ったが、止めた。尚更、口を閉ざされるだけだ。



 方鐸から体調に問題がないと判断されたと屋敷へ伝えれば、迎えを送るので急ぎ戻るようにと屋敷にいる一の位から書簡が届いた。朝も早い迎えの侍従達は顔こそ知れども関わりのある者でもなく、声を掛ける隙がない。こうとなっては私にできる事は竜瑙の子として見苦しい姿を見せないようにする、それだけ。無理に尋ねようとはせず、普段と何一つ変わらない様で静かに馬車へと乗り込んだ。

 馬車の中ではいつもの落ち着きを取り戻す事が叶った。同席の侍女もやはりよく知らない者で、言葉を交わそうとは思わず、ただこれから如何に動くべきか、整理をして気構えができたのだ。

 朝日を浴びたこの館はどんな色だったのだろう。

 静かな揺れのみが変化する閉じた車内で、見た筈の景色の曖昧さに思いを馳せる余裕さえあった。



 けれども、戻った屋敷の内外の張りつめた空気は巡らせていた想像以上で、気にもしていなかった沈黙が重くのしかかる。



 私事に使用する東門から敷地に入り馬車を降りれば、待機していた侍従達が巡らすとばりの中だ。

 私の、普段の生活の中で外界げかいに最も近い場所。

 華の屋敷を覗き見ようなどと不埒者は無論果たす前に警固に当たる五の侍従侍女達に捕らえられる事になるのだが、万が一を案じるが為に侍従が二方に立ち布を掲げて作る道には身を清める香薬が焚かれている。

 ながれしきは帳を巡らすという事を除けば、六華に限らず貴族の古くより続く仕来りである。外での穢れを払うための作法、しかし今では水に香を溶かした物で清めを済ませる者もいるらしい。特に、下位貴族は軽んじているのか、体裁さえ保てないのか日常に関わる仕来りを改悪する傾向が強いと聞く。

 竜瑙の子である私は当然幼い頃から、流敷の独特の匂いに触れている。僅かな苦みはあまり後に引かず涼やかさのみ残る香薬の、慣れた匂いがいつもより強い気がした。

 無理を押してでも戻りたかった屋敷だというのに、歩くのが億劫だ。宴でもない限り外邦衣は着ない私の身を包む暁衣は、私の持つ衣の中では簡素な類であり身動きに困る筈もないのに、傍らに侍女が居なければ途中足を止めていたかもしれない。何故か、嫌な予感があった。否、予感という曖昧な物ではない。頑として目を逸らしていただけで屋敷に戻る前から気付いていた。

 帳は高く、頤を高く上げて見えるのは薄ら雲かかる空ばかり。見上げて、ふと身が震えた。少しばかり肌寒い空気だけが原因でないだろう。朝日は上辺を滑るだけで、心の奥の冷たさを拭いはしない。



 流敷を終え、私的の戸口である揺の間から屋敷に入り私室へと戻り、一息の休みもなく訪いがあった。

 竜瑙当主に仕えし筆頭が一の位、浩三郎。そして私の一の侍女である里実である。



 余程、体調が悪いと間帳まとばりで仕切りを作ってしまいたかったが、里実はともかく、浩三郎の皮肉の餌食になりそうなので諦める。

 気に入っている衣に着替え、薄く香を焚かせて待ち構えた。

 柔らかな布を重ねた座に腰を落ち着け、前向きに考えてみれば、情報を得るにはこれ以上にない機会である。

 部屋に戻ってようやく私の集の侍女達が周りに侍ったというのに皆一様にあの不届き者については答えない。知らせがないのだとこちらを宥めてくる。ならば、調べてこいと二人の侍女を放り出したが未だに帰ってこないのだ。

 それどころか屋敷にいれば必ず傍にいる咲江がいない。外から戻ればやってくる三の侍女、奈於なおもいない。外に関する事であれば予定のみならず庶務を仕切る三の侍女として今まで悪くない働きをする奈於が挨拶に来ないというのもおかしいが、何よりも咲江がいないという事に酷く違和感がある。

 三の侍女ががいの侍女であれば、二の侍女はだいの侍女。咲江は屋敷の生活の中で最も近しく仕える侍女であり、護衛だ。用事で離れる事があっても、すぐに戻ってくる。

 咲江は、私が認めてもいい侍女なのだ。奈於とともに二十という歳だが、咲江は六年と長く仕えている。そして、どちらもそろそろ婚礼を迎える為に務めを終えてしまうが、咲江は引き留めたいと思えるような者なのだ。

 その侍女がいない。何を意味するのか、見当もつかない。


 障子越しに朝日射す私室で意味もなく手の内にある扇を開いては閉じる。彫りのそれはまだ新しく僅かに木の香が漂った。


 兄のは無論、屋敷付の侍従侍女達は呼び出しても答えそうにない。両親に仕える者達だと必ず一の位に告げ口をされそうで躊躇っていたというのに、まさか当の本人が来るとは―――書簡が一の位の名で届いた時から少なからず予想はしていたけれど。

 偶に侍女よりも耳を利かせる冴璃と珪冱をこのような時こそ使ってやろと思ったのに、あの男が来るからには後回しだ。部屋に近づかず、控えていろと伝言と監視の為の侍女を向かわせる。

 鉢合わせでもしたら、いつも聞かされる小言が今回の話にも混じってしまい長引くばかりだろう。耳障りな言葉をわざわざ聞きたいと思う者などいるものか。

 


 尊き一華、竜瑙が一の位にある澳篭が三の弟、浩三郎は父が重用する――腹が立つ程に――有能で、殊の外、冷厳な侍従である。齢五十に近いこの男は父に対して物怖じせず、諫言が趣味かと嫌味を口にしたくなるくらい神経質だ。しかも、言う事成す事道理に適うものだから一層腹立たしい。

 道理詰めと言えば里実も似たような者だが、然程諫言立てはしないという違いがある。

 更に大きな違いを挙げれば里実は私を主として立てるけれど、浩三郎は私が竜瑙に相応しくないと蔑むところか。



 屋敷にいる侍従の中で小柄なうちだというのに、慇懃無礼な態度からこの男は大きく見える。一の位は名ばかりでなく、顔にも所作にも侍従ふさわしく感情の欠片も見当たらず――――疎んでいる私を前にしても、崩れない。

「三の御子様。繰尾にて伏せられていらっしゃたとの事でございますが、こちらでも暫くはご静養なさるようにと尊き一華、竜瑙よりお言葉を頂いております」

 簡略な挨拶を済ませての第一声の平淡さ。好悪の欠片も探せないが、少しばかり威圧的な重みがある響きからして私の言葉は喉に詰まって消えてしまう。昔から私の何事にも文句をつけてくるのだ。そして、幼い私は反論できずに癇癪を起こし、最後には父の耳に入っては叱られる道順。いい加減に学び、出来うる限り接する機会を減らし順調であったというのに。

 こんな時に。いや、こんな時だからこそ現れた。

「二の侍女には既に申し付けております故、どうかご自愛頂きますよう」

 私が最も欲しい情報を掌握しているだろう男の口を如何に軽くさせるか。

「その二の侍女が見当たらないのだけれど。一の位、お前の指図かしら」

 扇子を広げたの裏。部屋に漂う仄かに甘い空気を吸って、意識、笑みの形を作った。幾ら父に信を置かれていようとも、一介の奉公人にこれ以上呑まれてなるものか。

 日と障子により柔らかな明りで満ちる部屋。

 下座にて首を垂れる、見たくもない男に視線を据えた。

「はい。此度の非理は方鐸の末連なりから生じました。現在、守職もりのしきは調べを、また竜瑙家並び方鐸家では談合を進められております。ご存知ではないとあっても方鐸家の不祥事でございます。事が終わるまでの間、前二代のうちより方鐸の流れを汲む者は竜瑙の屋敷の務めから外します」

「……咲江はそれに当たらないわ」

 澳篭分家である咲江の家が他家より伴侶を得た話で最も新しいのは、先々代に嫁いだ水澄の従家の者だ。

 けれど、咄嗟に口にした後で気づく。――そうだったと、歯噛みしそうになった。

「仰る通りでございます。二の侍女は含まれませんでしたが、お嬢様の集の侍女で五名の名が上がり、それを補う為、只今お嬢様のお側での務めが叶わない次第でございます」

 咲江に付いている者が一人、瀞にも一人。そして奈恵には、三人。従家だったり、ただ関わりが深い者であったり違いはあるが方鐸に近いという条件を満たす者を迎え入れている。

 三の務めによく使う集の侍女は元々数が少ないというのに、半数が外れてしまった。

「また条件には当たりませんが、三の侍女については招きの選別で此度の宴を選んだ理由により、四の侍女については警護の責により宴に招かれていた竜瑙の従家の者と共に。各々調べを受けております」

 警護の責と聞いてふと思い浮かんだ姿があったが、扇を静かに閉じて打ち消す。

「三並びに四の侍女、両名が調べにより務めを果たせずにいる間、二の侍女、三の侍従、五の侍従侍女に補わせてはおります。暫く侍従侍女の至らぬ点もございましょうが、一の侍女に代理となる者を選ばせております故、どうかお許しください」

「まだ選べていないなんて…私が戻るまでの二日は何をしていたというのよ?――里実!」 

 苛立ちの儘、扇を閉じて一の侍女である里実に目を向ける。後では小言を乗せるだろう唇が、面を上げた今は粛然と結ばれていた。

「――申し上げます。お嬢様へ仕えさせて頂く誉れを望む者数多ではございますが、務めに相応しい者は限られております。また、此度のような非理に遭われる事なきよう厳正な選別をご不安を抱かれている尊き一華、竜瑙及び芳室はなむろより仰せつかっております故――」

「お、お母様にも伝えたの!?」

「……」

「……尊き一華、竜瑙が直にお伝えしたと伺っております」

 沈黙を挟んで、浩三郎が諌める声音で答えた。言葉を遮った事に物言いたそうだが、平然としていられるものか。母に伝わったのならば、有希乃にも知られたかもしれない。

 こんな失態をあの有希乃に!

 ――あからさまに私を憐れむんだ!そして不届き者にも偽善を垂らすに違いない!あの何もできない不具が!

「勝手な事を……!」

「三の御子様、尊き一華、竜瑙のご英断でございます。恐れながら申し上げますとその様なお言葉は甚だ軽率な――」

「うるさい!!」

 ――――――結局、私は幼い頃と変わりなくまだ子どもだ。

 口を開いた浩三郎に扇を投げつけて、一頻り癇癪を起し男を部屋から追い出した後、里実が懇懇と述べる道理に打たれ、疲れ果ててからそうと思い至った。後、あの男とはどうにも相性が悪い、とも。



 このことは父からもお叱りを受けるに違いないと頭を悩ませる私は、當生様へ媚を売った女を手に掛けていないのだからと安堵し、すっかり失念していた。

 悪道者として影で誹られるようになった今までの行いを両親が知らなかったという疑い。

 定嗣の四の子である毅介を人形である冴璃に打たせた事実。

 それは私が考えていた以上に、根深く、色濃い影を落としていたのだ。



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