表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

5(*)

 「侍従の粗相など御子様がお気になさる必要はございません」

 「何たる辱めを――」

 「貴殿は口を慎め。御子様の御前ぞ」

 「……申し訳ございません、我々が」

 「斗字ほしざねの、貴殿もだ!……御子様、失礼致しました」

 「繰尾に確かめております故、今暫く、どうか」

 椅子へ浅く腰掛ければ、それを機に招かれていた竜瑙に繋がる男達が我先にと集まってきた。宴に招かれた皆は下位の最上の支や上位の款の家の者達、そして六華除けば最上位にあたる位の家の者が一名。繰尾は竜瑙と縁薄いが、けれど竜瑙が三の子を招く為。竜瑙の従家やその従家を主とする家のうち款と支の者を両手で足りる数、最低限は招いたようだ。

 いつもであれば各々が重ならぬよう見計らって会話を交わし、後はそのまま離れてしまうか、新たな繋がりを求めて何かしら紹介があるというのに。嘗て竜瑙に奉公人として上がった者のみで一斉に囲む、この様よ。天井から吊された硝子製の外邦燈筒で隅々まで輝かんばかりの広間だというのに、私の周囲には息苦しさだけが漂っている。

 繋がりの遠い者は腫れ物でも扱うように近付きもしない。いや、来た者達もいたが、何を見たのか顔を強張らせて無言の儘に引き返した。そうして縁も所縁もない者達には奇異の目を向けられる。それに気付いた上でも彼らはまるで侍従のように傍らから離れず恥の上塗り。

 けれど俯く訳にはいかない。彼らに傅かれる竜瑙が頭を垂らすなんて、無様な姿。だから、一言、二言返せばそれ以上を求められないのを良い事に、私は彼らを眺めてただ笑っていた。他でもない、私の為。絢爛たる綴錦へ目を向けないよう必死だった。

 當生様の前に立っていた者が第一の婚約者候補であれば、良かった。謳示の分家の娘であればいずれ謳示の名から外れるし、現時点でも実質の扱いが全く異なるものの、形式的にはまだ謳示の子である。

 その娘すら差し置いて、當生様は貴族最下のえいと分かる程度の装いの女と談笑していた。

 六華の名を冠する者が直接声を掛ける事は勿論、相対するなど度し難い哉の者と。周囲を憚りもせず、寄り添うように。互いに至極楽しそうに。

 どうして當生様は笑っていらっしゃるの?

 どうして私は見ているだけなの?

 侍従を始めとした誰からも語られず、問いを発するのも儘ならない。歯痒いばかりの時間が過ぎる。 

 漸く開放されたのはいざ宴と大広間に移る際。だがそれも、席次を変えろと侍従擬じじゅうもどき達の妻や許嫁が繰尾に迫っていた裏があって始まりの時刻が延びていた。



 六華である當生様と私が上座に、隣は当主夫妻が着いたのだが異様さは変わらず続いた。

「竜瑙の御子様。この宴の後、別棟に飾る綴錦を是非ご覧頂きたく存じますが、いかが致しましょうか」

「我らが御子様には一度お休み頂くのがよろしいでしょう」

「然様でございますか……」

 当主夫妻との会話は招かれた竜瑙従家のうち唯一の款である滋實あさま家当主の弟が全て行っていた。竜瑙主体の宴ではないので本来の席次であれば私から遠い席にある筈が、至極当然の顔で当主の隣に着いて、私が答えるべき所全て間髪を容れず攫っていく。見苦しくないよう咎めを幾重にも薄衣でくるみ言葉に含ませても素知らぬとばかり。逆にあやす物言いで柔らかく返された。

 弟とは言え既に五十も近く、当主となる前の父に三の侍従として仕えた男。滋實が担う竜瑙に従う下位貴族の管理の為、疾うの昔に務めを辞したが主家の子だからと甘えを許す者ではない。それに父の庇護下にあり独り立ちも遠い私が、度を超えて勝手が出来る相手でもなかった。

 終いには苛立ちに目が吊り上がるのを抑えきれず向かいの席に顔を向けると、滋實の者と列を同じくする當生様が苦笑されていた。話の穂を悉く切って捨てられて顔色の悪い当主夫妻を哀れに感じたのだろう、窘められている。慌てて、気付かれぬよう少しだけ視線を落とす。當生様を前にしながらこんなにも辛いと思うのは初めてだ。いつもは當生様を思うだけで気持ちは弾み、お目に懸かれば指先まで温かくなるというのに。唯唯ただただ、悲しさで満ちていた。

 


  「何よっ、何よ何なの、一体!?」



 五つ、六つ以来なかった、殆ど言葉を生じない宴。胸につかえていた物を吐き出したのはその宴を終えて、他の者達は大広間から広間や庭へ散り散りになってから。

 私は有無を言わさず広間から伸びる階段から二階へと侍従に連れられて、一室へ押し込められた。侍従達だけなら手の打ちようがあるのに滋實の者直々に入室直前まで見送ってきた。その澄まし顔に投げつける物を見つける前に背の扉は外より集の侍従によって閉ざされ、戦慄く手は外邦衣の裾を握り締めるしかない。

「……何よ」

 唸るような声に、毅介が目の前で片膝を付いて長身を屈める。

「お嬢さ――」

 乾いた音に声が止まる。

「何よ何なの私を、當生様の前で、わ、私っ、は、恥を掻かせて!」

 視線を合わせようとした顔を振り上げた手で打ったというのに、顔色一つ変えない!

「申しっ……っ」

 痛む手で結い紐ごと黒髪を鷲掴み、大きく揺さぶった。

「侍従のっ、おまえ、侍従の癖に!私がどんなに當生様をっ、侍従如きが!!」

「申し訳、ございません、……っ」

「あの女、あんな女の前で私に恥を!?私はお側にも寄れずに……!」

 集の侍従――失態を犯した者共は宴の間から見当たらず、残る二人の内一人が外で番をしているので最後の一人。窓辺に控えているその集の方が血相変えているのに、この男、僅かに顔を歪めて上辺の謝罪ばかり……為すがままにすればすぐ終わるとでも思っているのか!

「おまえ!冴璃を呼んで!早く!」

「お待ちくだっ――」

「煩い煩い煩い!!」

 また指図しようとする男を幾ら甚振っても足りないが力を込め過ぎた手が痛い。仕方なく突き放したつもりが、私の方が大きく後ろへ蹌踉めいた。空かさず長い両腕が抱え込んでくる。

「離せ、無礼者!」

 打っても引っ掻いても、謝罪を繰り返すだけで腕は離れずにそのまま抱き上げられた。

「……こっ、の……っ」

 力尽きた私が下ろされたのは外邦の寝台。妙に柔らかく座り心地が悪いが、大声を出して力の限り抵抗すれば悪態を付く余裕もなく、咽せた。息を切らして咳く背に触れようとする手を打ち払った拍子に倒れ込む。そのまま俯せになり、掛布に顔を埋めて息を整える。学んだのか、もう触れてこなかった。

「……冴璃は」

「お嬢――」

「冴璃冴璃冴璃冴璃冴璃!!」

 不届き者から許しを得る必要があるとでも言うのか。端女の名を連呼して侍従の言葉を塞ぐ。それに外から女の静かな声が応えた。

「お嬢様、冴璃が参りました」

「っ、遅い!」

 急いで身を起こすと、散々装いを崩した男が苦々しく開いた扉を見詰めていた。歯を食い縛る番の侍従が閉める扉の前に連れられた冴璃。一礼に簪の細石が涼やかに揺れる。

「御前に失礼致し――」

「どうでもいいから、これ!これを打ちなさい!」

 侍従とも呼びたくない、不届き者を指し示す。これまでも目に付いた不作法者を珪冱と冴璃に躾けさせてきた。その多くは私が直に手懸けるまでもない者ばかりだったが、侍従侍女でも目に余れば鞭で打たせた――それなのに今更何を驚いているのか。表情のなさから微かな驚きは際立ち、常は平淡な声にさえそれは滲んだ。

「はい、けれど……鞭が屋敷にあります。屋敷にお戻りになられてからで――」

「ふざけないで!道具なんて何でも良いでしょう!?」

 道具なんてどうでもいい。とにかく一刻も早くこの男を打ちのめさなければ気が収まらない。これ以上どうして待っていられるものか。

 ――そう、何でも良いのだ。ならば侍従、いや、上位貴族の出であり、更には竜瑙に従う男への辱めとして最も都合の良い道具がある。

 息を大きく吐いて、唇を舐めた。

「毅介、刀を」

 名を呼ばれると同時に振り向いた男をゆっくりと見上げ、緑青の目を見詰めて探る。僅かに見えたのは怯えなのか嘆きなのか、分からなかったが少しばかり溜飲が下がった。

 珠玉の竜瑙とされて下下に忘れられている事も多いが、そもそも竜瑙は原初より鉱物全般を手懸けている。刀についても今では特化した従家とその末連なりたる職人が群を抜く質と技巧を連綿と伝えている。

 そして公の場で帯刀を許されるのは杲、六華、それぞれの侍女侍従を除けば上位貴族当主のみ。戦でなければ刀は明らかな権威の象徴。

 それらを考慮した上で嘗てから尊き一華である竜瑙は数位の侍従侍女へ竜瑙に相応しくあれと直々に刀を授けている。

 私の四の侍従も例外ではない。一度ひとたび授かったその誉れ。竜瑙が三の子である私にも触れさせなかった武人の矜恃だけれど。

「冴璃に渡しなさい」

 息を飲む音は遠い。

「無礼を承知で申し上げます!お嬢様、どうか、どうかお止め頂きたく!」

 命じられた本人ではなく、窓辺にいた侍従が勢い良くその場で跪いて頭を床に付けた。

「先の集の失態!無論の事申し開き立たず、しかし――」

「口を慎みなさい」

 それこそ弁解だろう言葉が流れるのを庇われる本人が強く止めた。帯から外し終えた刀の鞘を握り締めて、庇おうとした配下を振り向きもしない。失態で空けた穴を同情を買ってでも埋めようというのか。主である私に恥を掻かせておいて、何と図々しい事。こんな者共を侍従に置いていたと思うと悔やんでも悔やみきれない。

「四の侍従殿ですが」

「分を弁えろ、集の分際が!」

 部屋全体を震わす怒号に言い募る侍従が青褪めた。それを目の前にして受けた冴璃も身を固くするも、押し付けられた刀を落とすような真似はしなかった。

「失礼を」

「……何よ」

 聞きたくなかった。

「何で今なのそんな気概があるのに何であの女に言わないのあんな、えいのような、定嗣だったら、おまえなら平気、なのに何で、私、止めて、何、で、ど、して放って、黙って、何でっ」

 目頭が熱く、視界が歪む。辛うじて耐えているけれど、向き直り頭を下げようとした男さえ定かではない。ただ、髪に絡まる石だけは妙にはっきりと見えた。

 ――――お嬢様。貴石与り、光栄の至りに存じます。

「嘘吐き嘘吐き嘘吐き―――――裏切り者っ」

 ――――定嗣が四の子、毅介。竜瑙が三の御子様に粉骨砕身の覚悟で以てお仕えする所存でございます。

「打ち据えなさい!!」

 やはり冴璃は躾がなっている。私の命に即座に応じて、毅介の背中へ鞘に収まる刀を打ち付けた。護衛としての武術も嗜ませたが所詮十代半ばの女の力だ。一度では片膝を付いただけで、続け様に打った刀が首に当たって倒れ込んだ。藻掻いている所を起き上がらぬよう二度、三度と背を打ち据えると完全に崩れた。髪を飾る石が床に転がり千々に砕ける。更に振り上げたが、凄まじい形相で駆け寄った集の者が冴璃の手首を捻り上げ床へと取り押さえ刀を取り上げた。

 私が止めてもいないのに勝手な真似を。

「どうして恥知らずばかりなの!」

 私の叫びと集が倒れた男へ呼び掛けに突如として扉が開く。番をしていた侍従が踏み込み、足を止めた。

 開いた扉に、思い出す。廊下で見た扉。そこには四の侍女がいる。

 未熟であるが、芯からの忠義者と周りが称する私の侍女。

 愕然としている集を押し退けて外へ飛び出した。

「……ぅ、……ぁ……」

 瀞だ。瀞を探そう。竜瑙の従家にして昵位にある澳篭おうろの娘であれば、この嘆きも分かってくれる。いつもは避けているが、今ばかりは側に置いてやっても良い。

 低い呻きも、何もかも、知った事ではない。

 ――我が君の御身、御心。一身を賭してお守り致します。




 だって、嘘だった。嘘ばかりの。そんなものはいらない。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ